首相・日銀総裁のほか、いくつもの内閣で蔵相を務め、最期は2・26事件で暗殺された高橋是清という人物にスポットを当てた一冊。
ですが、高橋是清の人物像に深く切り込むというよりは、彼を基軸にして明治維新から太平洋戦争開戦までの日本の財政・金融史を俯瞰することに重きが置かれています。
通常「歴史」を語る際に政治史や社会・文化史の陰に隠れがちな財政・金融という観点でこの時代を改めて振り返ってみると、一般的な日本近現代史とはまたちょっと異なる側面が見えたりして、なかなか興味深かったです。
この時代の財政を理解するにあたって重要な意味を持つキーワードが「金本位制」。
現在の変動相場制に慣れ切っている身には、金本位制の時代の感覚やメカニズムを理解するのがなかなか難しい。
読んでいる途中、当時の経済の動きを追う中で「この場合為替レートがこう動いて…」などとついつい考えてしまったりします。
当時、金本位制を採っていることは、その国の経済の信頼性・安全性の証であり、外資を呼び込み殖産興業を図るために必要なことであった。
一方で、金本位制の下での輸入超過は正貨流出を招くものであり、明治時代を政府は徹底した緊縮財政志向であった。
この本で振り返られている当時の政府の健全財政志向・デフレ志向には、「景気対策」としての財政出動が当たり前のように肯定されている現代の我々からみると驚かされるものがあります。
軍事的には勝利した日露戦争は、賠償が取れなかったことから、財政的には負け戦であった。
第一次大戦の特需で一時的に好景気に恵まれるもののバブルははじけ、さらに関東大震災が追い討ちをかける。
震災手形の処理を契機に深刻化した昭和恐慌下、国は税負担を地方に押し付けたために農村は窮乏し、都市と農村の格差による社会不安が軍部台頭の遠因となる。
高橋是清が絶命するまで、昭和8年~11年にかけての「高橋財政」下では金輸出再禁止と低金利政策による産業振興により、農村疲弊や軍部対応の暗いイメージと裏腹に、日本経済は絶好調であった。
好況を背景に軍部は軍事予算の拡張を要求するが、公債発行の限界を読み取っていた高橋はこれに応じない。
そのことにより、高橋は軍の憎悪の対象となり、2・26での暗殺を招くことになる。
高橋財政が好況をもたらしたことは世間には理解されず、専ら満州事変が景気拡幅を実現したと信じられる。
高橋没後、軍事予算の拡張には歯止めがかからず、日本の財政状況は急激に悪化する。
一般に、日本は「持たざる国」であり、欧米の「持てる国」の敵対政策により追い込まれたとの構図が、現在でも信じられているが、昭和10年前後の好景気時代には日本はけっして「持たざる国」ではなかった。
軍部暴走による財政悪化と日満ブロック化などの国際的な孤立政策が、自らを「持たざる国」へと追い込んでいったのである。
…というのが、この本が俯瞰する大まかな流れです。
一点留保しておかなければならないのは、著者が現役の財務官僚であり、この本自体「ファイナンス」という財務省の広報誌に連載されたものをまとめたものであること。
財政均衡主義への肩入れ感など若干のバイアスは差し引く必要はあるのかもしれませんが、理屈としては正しいことが書いてあると思うし、基本的には客観的な立場で論じられている印象です。
財政肥大による公債負担増や、格差社会による社会不安の増大・右傾化は現代にも通じるものがある、などと通俗的なまとめ方をするつもりはありませんが、当時も今も、経済や財政のメカニズムは一般世間にはなかなか理解されないものであり、それがポピュリズムと結びつくと不幸な結果を招く恐れがある点は同じだな、という感想です。