一週間後にはまた働き始めると分かってはいてもやはり、一年よく働いたなあと感慨にふけるのであります。
しばし休息。
日本の経済社会の根本的な病理は、高度成長時代への郷愁・幻想をいつまでも断ち切れないところにあるのではないか、という話はこのブログで何度も書いていますが、今朝の日経新聞一面「春秋」は、まさにその典型でした。
春秋(12/27) -NIKKEI NET
NHKの「紅白歌合戦」は1962年に80%を超す視聴率を記録した。目玉は人気絶頂の吉永小百合さん初出場だったという。曲は「北風吹きぬく……」と始まる「寒い朝」だ。切なくも明るいあの歌は高度成長期の心情そのものだろう。
▼世の中はまだまだ貧しく格差に満ちていた。それでも経済は伸び続け、若者が希望を持てた時代だ。小百合さんはそんな季節の若者群像を体現して幅広い人気を得たのだと、社会学者の橋本健二さんが「『格差』の戦後史」で説いている。紅白歌合戦もまた、ひたむきに歩む日本人の年越しの宴だったに違いない。
▼「紅白」は生き永らえて今年で60回目を迎えるが、視聴率は平成に入ったころにガクンと下がったまま低迷している。何とか挽回(ばんかい)しようとNHKは英国の異色の歌い手スーザン・ボイルさんを招いたり、お笑い芸人を集合させたりと話題づくりに忙しい。こうなると何でもありのバラエティー番組という気がする。
▼これはこれで楽しいとしても、夢と熱気をなくした時代のどこか寂しい光景ではある。「国民的番組」の成功体験が忘れられず「紅白」になおこだわる放送局と、それを高ぶりもなく眺める私たち。競い合う裏番組にも力がない。「望みに胸を元気に張って……」と歌った「寒い朝」の景色はどこへ消えたのだろう。
経済が伸び続け、若者が将来に希望を持って頑張った。
その結果として、日本は世界でも1、2を争う豊かな国になったわけです。
社会に問題がまったく無いわけではないけど、総じて安全で、清潔で、便利で。
娯楽のバリエーションも豊富で、だからこそ国民みんなで揃いも揃って「紅白」を観ることもなくなった。
そのことのいったいどこが「寂しい」のでしょうか?
豊かになろうと頑張ってきて、その結果豊かになったことのどこが悪いのでしょうか?
この筆者は豊かになったことを後悔しているんですかね?
地球上にはまだまだ生命の危険に日々直面するような貧しい生活をしている人々が大勢いるというのに、こんな贅沢なこと言って恥ずかしくないんですかね。
貧しさを郷愁する、老人のマスターベーションにしか聞こえません。
本日付け日経新聞朝刊「中外時評」池田元博・論説委員のコラム「ロシア 脱資源国への岐路」より。
金融危機後、先進国に先駆けて成長軌道を取り戻した、ブラジル、インド、中国と比較して、ロシア経済の低迷ぶりは突出しており、BRICsから「R」を外すべきではないか、との議論が浮上しているとのこと。
ロシアだけが何故金融危機の痛手から立ち直れずにいるのか。
「我々は過去数年で、原始的な経済構造、屈辱的な資源依存を断ち切れなかったからだ」。メドベージェフ大統領は11月の年次教書演説で、自国の経済構造を痛烈に批判した。石油や天然ガス、鉱物資源に安住した産業競争力の欠如や、慢性的な汚職体質が危機を招いた主因だと強調したのだ。
大統領は「すべての産業分野で近代化と技術革新を始めなければならない」と表明。特にプーチン前政権時代に設立したゴスコルポラーツィアと呼ばれる国策会社を「現状では全く展望はない」と切り捨て、経済の国家管理を弱める考えを示した。
資源大国であるがゆえに、そこに安住し、経済構造の抜本改革の機会を逃す一方、既得権益に居座る官僚や一部企業家の事業不振に引っ張られて大きく落ち込んだ経済の回復が遅れているとのこと。
そのような状況下でも、プーチン首相の影響力が未だ強大である状況では、改革推進に期待することは難しいようであります。
ところでここで気づかされるのは、上記の引用部分のうち、「資源依存」を「外需依存」或いは「公共事業依存」、「国策会社」を「天下り企業」或いは「利益誘導企業」に置き換えれば、日本にも当てはまるところが多いのではないか、ということ。
ロシアも日本も、自立心が相対的に弱く、お上依存体質が強いという点では相通じる印象があり、抱える問題点も似ているのかもしれません。
新潮選書 「3」の発想 数学教育に欠けているもの芳沢 光雄新潮社このアイテムの詳細を見る |
学問山田 詠美新潮社このアイテムの詳細を見る |