“熊野古道を歩く”シリーズ、2回目の今日は、今回のルートで最初の王子社である「芳養(はや)王子社跡」をご紹介します。
「芳養(はや)王子社跡」
田辺市の入口ともいうべき芳養王子は、天仁2年(1109年)10月、熊野参詣をした藤原宗忠の日記『中右記』に、「早(芳養)の海浜に出て河を越え、早王子に参った」とあります。
また、建仁元年(1201年)10月12日、後鳥羽上皇が熊野参詣の途次、「ハヤ王子社」に奉幣の使いを派遣したことが『御幸記』に記されているそうです。
明治4年の神社合祀により現在の大神社として合祀され、今日に至っています。
「芳養(はや)王子社跡」は田辺市内の5王子社跡の一つとして有名な遺蹟だそうです。
「芳養(はや)一里塚跡」
「芳養(はや)一里塚跡」は芳養王子のある大神社の東、松原の集落の中にあって、そばには榎の大木と地蔵堂があり、地元の人々からは「塚の地蔵さん」と呼ばれ親しまれているそうです。
一里塚とは、街道で一里ごとに道の両側に土を盛り、エノキなどの木を植えて、距離を示す目印とした塚のことで、旅人の休息の場所でもありました。
この「芳養(はや)一里塚跡」は、和歌山から一里ごとに設けられたもので、芳養で十八里だそうです。
(参考)1里は36町(3.9273㎞)に相当する距離です。
「牛の鼻聖徳地蔵尊」
この地蔵尊は享保2年(1717年)の建立だそうです。
牛の鼻という名称は、西側の海岸にある岩穴がちょうど牛の鼻のように見えることからつけられたようですが、今では土砂の堆積により鼻の判別がつきにくくなっているそうです。
道票の左にある石碑は、御坊市の熊野(イヤ)神社の祭典の大渡御が四百三十余年前まで毎年ここ、牛の鼻まで来る習わしだったと云う史実の証として建てられているのだそうです。
目良漁港の元島に向かって建っている鳥居の横に、魚の“ウマズラハギ”の顔に似た奇岩がありました。
「天神崎」
天神崎は日本の自然100選に選ばれている岬です。
田辺湾を真っ赤に染め、天神崎のシンボルとして愛されている丸山をシルエットにし、水平線の彼方に沈む夕日は素晴らしい眺めだそうです。
その天神崎のシンボル的な丸山とそこに建つ灯台です。
この辺り一面に岩礁が表れていました。