“熊野古道を歩く”シリーズ、3回目の今日は「出立(でだち)王子社跡」をご紹介します。
「出立(でだち)王子社」
「出立(でだち)王子社」は元、若一王子社とも言っていたようです。
ここに立てられている説明によれば次のように書かれていました。
『元、若一王子社とも言う。紀伊続風土記に若一王子社、村の氏神なり。御幸記に出立王子とあるのは当社なり。
古には拝殿、回廊等ありとも天正の兵乱に悉(ことごと)く破損せしも、後、復興すると伝え言う。
崇峻(すしゅん)天皇元年、御勧請なりと、月読尊(ツクヨミノミコト)を祭祀し、出立王子と称し、明治6年5月、出立神社と改め、村社に列せんが、同40年2月1日、八立稲神社
に合祀せられて廃社となり、今は出立神社跡の一基の石碑を残すにすぎず。』
とあります。
・出立王子社跡です。
「潮垢離浜跡(しおごりはまあと)」
熊野詣での際、田辺から海岸線に別れを告げ中辺路へ入る参拝者には、潮で身を清める最後の場所として、ここ出立は重要な拠点だったようです。
当時、現在の田辺市江川漁港周辺はかつて会津川の河口から砂浜が広がっていました。
身を清めるためにする潮浴びのことを潮垢離(しおごり)といいますが、その儀式がここ出立王子前方の潮垢離浜で行われていました。
建仁元年(1201)の御幸記では後鳥羽院に同行した藤原定家が不覚にも風邪をひき、出立での潮垢離を辞退したところ、厳しく叱責され、やむなく潮浴びをしたと伝えられています。
「扇が浜」
扇が浜の公園には、「熊野水軍出陣の地」の碑や、野口雨情の歌碑などがあります。
平成17年(2005年)7月1日に、浜の長さ約300mの扇が浜海水浴場がオープンしています。
扇が浜公園で一休みするメンバーたちです。