日本にキリスト教が伝わったのは、1549年。
ザビエルが鹿児島に来日して布教が始まった。
信長のキリスト教を保護政策により、信者の数は爆発的に増加。
豊臣秀吉は、当初はキリスト教の布教を認めていたが、1587年バテレン追放令を出しキリスト教を禁止した。
江戸幕府も、はじめはキリスト教の布教を黙認していたが、やがてキリスト教を禁止した。
秀吉や家康がキリスト教を禁止したことには、様々な理由があるらしい。
秀吉は九州平定の際(ちょうど今、江でその時代のことやってますね)、
信者らがイエズス会の支配下にあり、イエスの教えに従う様子を見て危機感を感じ、禁止に至った。
家康も、はじめはスペインやポルトガルとの関係を深くし貿易の利益を得ようとして、キリスト教布教を認めたが、
イギリスやオランダからの「スペイン・ポルトガルは日本を征服しようとしている」との密告により
キリスト教禁止に変わったと言われているらしい。
キリスト教に改宗した大名(キリシタン大名)が、貿易で大きな利益を上げ、
キリシタン大名の勢力が強大化することを恐れたからとも言われている。
いずれにせよ、禁止の理由が、西国の強大化や信者の神への忠誠心や団結力を警戒と、
政治色の強いものだったわけで、信者はそんな政治的政策によって悲しい歴史を遂げることになるんだね。。。
これで、先日出かけた長崎の旅とも歴史がつながってきたよ。
江での家康役である北大路欣也さんと、家康さんは、
なかなかマッチしていると思っています。
徳川家康(1542-1616)。
江戸幕府初代将軍(1603-1605)。
三河岡崎城主、松平広忠の長男。
幼名竹千代、のち元信、元康、家康と改めた。
はじめ今川義元、のち織田信長と結び東海に勢力を拡大、信長とともに甲斐武田氏を滅ぼす。
豊臣秀吉の天下統一後はこれに協力、関八州を与えられ、1590年江戸入府。
関ヶ原の戦勝を経て1603年征夷大将軍となり、江戸に開幕。
将軍職を譲った後も大御所として実権を握り、
大坂冬・夏の陣で豊臣氏を滅ぼし、統一を完成した翌16年、駿府城で病死した。