日曜日に見学していた円覚寺山門の屋根の隅角部軒先です。
黒っぽく変色しているので、画像処理を加えて見ました。
下の写真にあるように屋根は2重になっていますが、
この隅角部の構造の作り方は上下で違った。
上の写真の左側が上で、右が下でした。
上の方が垂木が放射状に配置されているのに対して
下の方は、垂木が隅角部の構造材に対して直角に組み上げられている。
このお寺さんは鎌倉時代1282年の創建ですが、
永禄六年 (1563) には円覚寺が全焼した記録があるようです。
その後、衰微していたところを江戸期末期、
天明5年(1785年)大用国師誠拙周樗が再建した、とされています。
わたしは、社寺建築の中でのこのような隅角部の作り方に
いつも興味を持って見学することが多いのですが、
今回ははじめて2重の屋根の上下で作り方が違うというのに出会った次第。
建築的事実というのはそれだけなのですが、
そこではてと思ったのが、なぜこういうふうに違うのかという
素朴な疑問であります。
「円覚興聖禅寺」の額字は伏見上皇の勅筆とされる、ということなので、
この再見時にはそれなりの格式と伝統を尊重した作り方を考慮したに違いない。
このように仕上げたについては理由があったと思われる。
ふつうに考えれば上下とも同じように作った方が合理的と思われる。
たぶん放射状の作り方の方がより古来の作りようで
より仏教的に「位階の高い」上の方の作り方を上位として
下の方はより「簡易」な作り方として造作したのかも知れない。
あるいは、上のような作り方の部分が辛うじて全焼を免れて存続していて
それをありがたがってそのまま使い、下の方だけ新築したモノか。
さらにこうした構造の作り方の違いをはるかに後世に至るまで
明示的に存続させることの意味合いはどんなことだったのだろう、とか、
いろいろな想念が沸き起こってきております(笑)。
まぁ物好きな疑問ではあるのですが、
どうにも腑に落ちる理由には到底至らないような気がします。
この違いについて、ご意見をいただける事を期待して
謎は謎のママ、掲載したいと思います。乞うご教授。
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