三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

能面のいろいろ

2006年08月11日 05時45分50秒 | Weblog

きのうの続きなんですが、演目は鬼に関連するもの。
安倍晴明が出てきて、ある鬼の内面に入っていく、というようなお話。
情念の演劇らしく、鬼になった女性の内面世界を
なぜ鬼になったのか、その情念のこりかたまりを
演劇的に表現するというのですね。
案の定、夫の不実に怒って、その嫉妬の念が段階を追って描かれていました。
写真は、演目の鬼に合わせて、能面を展示していたもの。
鬼って、みんな同じかと思っていたら、
それぞれ恨みの情念の深さに合わせて、違いがあるそうです。
右の3つがそうなのですが、鬼の表情が変化していく様子が表されています。
生成(なまなり)→般若
という順番なのだそうです。
般若になると完全に角が飛び出していますが、
生成という段階が面白くて、少し角がでているけれど、おかしみもある。
名前が、なまなり、なんて、笑えます。
般若にも、顔の色の変化があって、違いがあるようです。

どんな時代にも、こういう嫉妬などの人間感情はわかりやすく存在するし、
能という形式が、動きを極限まで制約しながら
たどりついた表現世界は、こうした情念の世界だったのですね。
とくにこういう鬼の表情の表現力って、
すごくリアリティがあり、ストレートに迫ってくる感じがありますね。
やっぱり、恐怖心とか、恨みとか、嫉妬とか
そういう情念って、人間の想像力を大きく膨らませます。
男性は、こころしてしっかり見ておかなければなりませんね。(笑)
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能舞台~伝統芸能

2006年08月10日 05時49分17秒 | Weblog

写真は6年ほど前に旅行で行った大阪での能舞台です。
娘に伝統芸能の素晴らしさを感じさせたいと
いっしょに観に行ったのですが、それ以上に自分でも
感動してしまった舞台でした。
能鑑賞って、伝統的に貴族的な趣味とも言えて、
一部エスプリのものというイメージがあり、縁遠く感じるものですね。
宮沢元首相の趣味の欄に「能鑑賞」とあって、
そういうものか、と思った部分があったものです。
ただ、日本の芸能の歴史を見れば、
それぞれの芸能が、折り重なるように積み上がってきているのがよくわかります。
たとえば、猿楽から、能・狂言への進化、
それをよりデフォルメしたような、歌舞伎の登場という流れ。
ごく現代的に言えば、映画とテレビの重なりよう、もアナロジー出来ます。
テレビが登場して、映画がなくなる、という俗言も出たけれど、
そうではなかった。結局、その本質を活かして存続している。
より大衆化して新しい芸能の「スタイル」は生まれるけれど、
以前のものも、存続してきていますね。

能について言えば、テーマが日本的感受性だな、といつも感じますし、
狂言は、日本的農耕を踏まえた日本人の体の使い方、を再認識させてくれます。
人形浄瑠璃なんか、人形を使う分、その要素がもっと極められているかも知れません。
一度、人形浄瑠璃を見ていて、田んぼで低い体勢をとり続けているうちに
がに股で、短足という、一種の畸形化ともいえる動きを見せられて
驚くとともに、現代人にこうした要素が消えている強い実感を持ったものです。
そういうものを伝えていくという意味でも、こういう伝統芸能は
一見する価値があると思います。
わたしたちには祖先があり、それは日本人なんです。
祖先が感じた感受性や、義理人情の生きにくいしがらみ、家族の関係性
「家」というものが持っていた重み、などなど、
知りうることは、まるで宝箱のように詰め込まれていると感じます。

能舞台、という装置の意味はあまりわからなかったのですが、
この時に、演技者のみなさんが床を強く踏みならすことで、
この能舞台自体が大きな打楽器として考えられている、という側面を
発見できて、びっくりした記憶があります。
舞台の奥に笛や太鼓の伴奏者が座って演奏しますが、
クライマックスで、演技者の床の踏み叩く音と、伴奏の音が
渾然一体となって、大団円を演出していて、感動した次第。
単純に「すごい!」と打ちのめされましたです。
伝統芸能のパワーを、思い知らされたような瞬間でしたね。

能舞台って、金持ちになると自宅に作る、っていう趣味が存在するそうです。
ホエー、ってとこですが、
最近、北海道内で、「将来は、家の敷地に能舞台を・・・」という施主さんを取材して
びっくりしたものです。
建物だけではなく、こういう能の一座を呼ぶ必要もあるのですから
すごい趣味だなぁ、と恐れ入った次第。
でも、なんかワクワクした気持ちでした。
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ありがとう、ブログ満1年

2006年08月09日 09時13分37秒 | Weblog

みなさんお元気でしょうか?
ことしの夏は、札幌でもけっこう水銀柱がうなぎ登り。
連日、沖縄よりも暑い、といううれしい日が続いています。
っていっても、朝晩は温度が下がってくれるので、
そこそこの過ごしやすさ、というところでしょうか。
で、きのうは納涼のバーベキューを当社前の駐車場スペースで
やっておりました。
夕方6時くらいから食べ始めまして、9時過ぎくらいまで
楽しんでおりましたが、まさにバーベキューには最高の気温で
すっかり英気を養った次第。
でも、片付けがなかなか面倒くさいんですけど・・・。

おかげさまで、わたしのブログ、きょうで満1年です。
なんとか、毎日更新! の宣言通り、継続してきました。
わたしのはブログというよりもエッセイに近い、って
よく言われていまして、そういうものかなぁと思いつつ、
でもまぁ、スタイルはなかなか変えられないし、
こういうラフなスタイルで、書き続けるのも面白いな、と
最近感じています。
とくに歴史関係の話とか、古民家とか、そこでの暮らし
っていうような一連の事柄の周辺がどうも自分では
だんだんウェートが高くなってきている気がします。
昔のことが、建物を見ていくことで、いろいろなピースが
寄り集まってくる感じがあって、
だんだん住宅建築と人間の暮らし、って、
そういう営みが、楽しく想像力が膨らんでくる気がしています。
そしてこのテーマは、これからどうなるんだろう、
ということと強く結びついてもいるので、やっぱ、飽きることがないようです。
そんな次第ですから、これからもどうぞよろしくご愛読を。
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日本人と土地_4

2006年08月08日 11時25分31秒 | Weblog
ひきつづき、吉野ヶ里の写真から。
これは城郭側から周辺の倉庫群を見たところ。
倉庫の外側にも逆茂木が張り巡らされ、全体が防御されています。
こういうかたちで基本の食料が管理され、
それを恒常的な武力で守り、また隙あらば、他国を侵略しようと
虎視眈々と狙い続けていたのですね。

魏志倭人伝の「倭国大乱」というのは、こういう恒常的戦争準備から見て
むしろ平和でのどかな「弥生」なんてなかった事実を伝えてくれます。
わたしたちの受けた教育では、どちらかといえば
栽培型で穏和な生産システムが弥生的稲作農業で、
狩猟採集型の縄文システムは野蛮でおどろおどろしいイメージで
語られていたのではないかと思います。
でも、こういう丹念な復元努力や調査研究が指し示してくるのは
大がかりになった人間同士の殺し合いの進化。
鉄も青銅も、こうした集団に付属した形で抱えられていて
とくに鉄は農業生産を高める切り札ではあったのでしょうが、
秀吉の刀狩りを見るまでもなく、
どこまで農業用で、どこからが人殺し用だったのか、
境目はわかりにくいと思います。
こういうの、現代の核を巡る技術と似ていて、
原子力発電の技術蓄積が十分な日本は、潜在的核保有国ともいえるようなもの。
(たぶん、世論意志が定まれば、数日で日本は核を持つでしょうね)
しかしこういう部分を、現代の私たちのモラルから考えるのはナンセンスであり
逆に今の時代の表面的な平和の方が不思議な光景であるのかも知れません。

いずれにせよ、歴史のなかで土地の果たしてきた役割をすこし考えてみただけですが、
日本人の土地信仰はこういう歴史を背負ってのものであり、
草の根的な根がらみな、根源的なものなのですね。
どうも、欧米のような狩猟採集と、農業の組み合わせのような歴史とは
意識の上で、だいぶ違いがあるのだろうと推察できます。

ちょっとしばらく、歴史ネタにこだわってきましたが
あしたからはまた少し趣向を変えたいと思います。
っていうか、きょう札幌は沖縄以上の暑さで、スタッフから
「ビアガーデンとバーベキューやりましょ!」
という声が出ておりまして、その準備にもかからなければなりません。
花火も用意すっかなぁ(ルンルン)・・・
ということで、ではでは。

●番外の番外
最近、ブログ満1年を明日に控えて、サーバーの調子が悪くなって、アップ作業に手間取っております。
きょうもアップが大変遅れました。
なかなか原因特定が出来なくて困っていますが、なんとか「毎日更新」は継続しますので
ご愛読をよろしくお願いします。
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日本人と土地_3

2006年08月07日 05時27分53秒 | Weblog
きょうもコメと土地のことについて。
写真は去年末に行った、吉野ヶ里遺跡公園の様子。
右側写真は城郭になっている外周の土塁と堀、逆茂木のようす。
逆茂木~さかもぎ~って、ちょっと怖いですよね。
で、塀が回された内部には、高い物見櫓が建てられ、周囲を監視しています。

この国に弥生型の生産スタイル、コメ生産システムが導入された年代は
今、研究がどんどん進められているところですが、
揚子江流域で10,000年前頃から始められた栽培型イネ生産は
そう、ほどもなく日本列島に技術がもたらされたようですね。
しかし、本格化したのは、やはり吉野ヶ里の時代なのでしょう。
たぶん、朝鮮半島地域などから、種籾を持って稲作集団が根付いたものと思われます。
コメは生産の各段階で、はじめから労働集約型としてできあがった生産様式。
田んぼ作りから、田植え、収穫の稲刈りに至るまで、
多くの労働力を集中的に動員する必要があります。
とくに田んぼ作りでは、適地の選定、奪取が不可欠だったのでしょう。
なので、初期段階から、明確に支配・被支配の階級分化があったと思います。
そして、ごく初期の頃から、写真で見るような
戦争への準備が不可欠だったのですね。
敵はたぶん、ごく近くの同様な「クニ」だったのでしょう。
日本人の基本的な性行としての、隣のムラ社会への尋常ならざる敵愾心って、
きっとこうした時代から、守りを固めなければ土地を略奪される
という恐怖心が、DNA的に植え付けられている結果じゃないでしょうかね。
逆茂木を実際に見ていると、この敵愾心の強さに愕然とします。
魏志倭人伝に、国が大いに乱れた、と書かれているのは
実は日本という国の、常態的な状況だったのでしょう。
常に、田の権利を巡って、となりの集落と相争うのが一般的だった。
水利、ということを考えても、日本社会のなかでは
こういう対立は、きわめて自然に存在したのでしょう。

世界的にももっとも狩猟採集生活大国だった、といわれる
縄文の牧歌的世界は、この殺伐とした、
しかし、大量の人口を養うに足る生産システムによって、
駆逐されていったものなのでしょう。
日本人の土地への執着の強さは、こういう血みどろの歴史が
いろいろに語りかけてくれます。
恐ろしいが、まさにバイタリティそのものの活力ある社会、とは言えますね。
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日本人と土地_2

2006年08月06日 05時57分46秒 | Weblog

昨日の続きです。っていうか、お盆も近づいてきたので
歴史系のお話にしばらくこだわってみようかなと。

写真は、松本城資料館で撮影した「検地」の絵柄です。
記録性を重視した、一種の報道写真のような、迫ってくる迫力を感じます。
秀吉という中央権力段階になって、はじめて取り組めた検地。
それまでの権力も、具体的に全国でどれくらいの田んぼがあるか
調査したいと、念願しただろうと思うのです。なんといっても、
日本人にとって、コメ生産はそのまま経済行為そのものだったのですから。
保存可能で、逆に言えば「略奪」可能な
基本的な流通資産はコメであり、それを生み出すのは
田んぼしかあり得ないわけですから、強くこだわっただろうと思います。
しかしそれを完遂できるだけの、強い武力行使を伴った権力基盤がなかった。
信長や秀吉という、大量殺戮戦を経た中央権力の恫喝によって
はじめて、地方権力の側も渋々、協力したのでしょう。
この検地の結果で、はじめて具体的な領土の升目が定まったのですね。
どこが何万石、とかという土地の価値が定められたわけ。
そういう意味では、いまに至る「土地本位制」の基本がこうしたかたちで
スタートしたとも言えるのでしょう。
でも、検地が終わったあと、各地方権力は必死で
「新田開発」に没頭したことでしょうね。
江戸初期の検地と、末期の実高で、長州などは3倍も開きがあったと
司馬遼太郎さんの文章にも記述がありました。
経済基盤の拡充に、とくに外様の諸藩は必死だっただろうと思います。
中央権力に捕捉されない経済力を持ちたい、というわけです。
なにやら、税金逃れや隠し資産のようで、現代と同じかなぁ。(笑)

現代でも、財務省はいろいろに理由を設けては
増税を計りたいものだし、搾り取られる側は、必死で盲点を探る(笑)
結局、人間の営みには、大きな変わりはなくて
ただ、かたちがそれぞれの時代で変化すると言うことなのでしょうね。
そんな妄想がムクムクとわき上がってくる、検地の絵でした。
究極的には、やっぱ消費税は、すごいですよね。
税率のアップは既定路線なんだろうなぁ・・・やれやれ。
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日本人と土地

2006年08月05日 06時06分21秒 | Weblog

きょうは久しぶりに歴史ネタで、行きたいと思います。
写真は先般訪れた信州松本歴史資料館で見かけた「検地」の絵と記録。

最近、鎌倉時代に凝っていまして
日本の歴史のターニングポイントだったんだと深く思い入れています。
弥生以来、日本の農地開発は一貫して、吉野ヶ里のような
力のあるものによる集団動員の結果、開墾されてきた。
それに対して、一時期の古代国家創成期に
土地の国家管理が法としては強制された。
たぶんその当時は、そのことに必然性がなかったわけではないのでしょうね。
しかし、こうした国有の形態は強制力の裏付けが乏しいなか
結局、大寺社や高級貴族たちによる資本投下での「荘園」が広がり
「私有地」という、権力分散が行われてきた。
公有田ではやっていけない、もしくはうまみが全くない
ということから、多くの人たちが「逃散」して、国家の経済基盤が
安定的に確保できなかったというのが実態だったのでしょう。
導入された私有荘園の元請けとして
藤原氏や大寺社の所有農地が拡大していった、と同時に
そういう階層に、実質的権力が移行していった。
鎌倉になると、そうしたシステムが究極化して
「寄進地形荘園」という形態で、関東地域の開墾地主が
藤原氏や、平氏に開墾した農地の所有権を差し出す代わりに
法的な「所領の安堵」が行われていたのでしょう。
ただ、このシステムだと、結局土地所有権が安定しなかったし、
そのときどきの権力によって、土地の裁判の結果が左右された。
実際には、土地の開墾から実質支配まで、その現地の連中がやっているのに
理不尽な権力機構の裁量で不安定だった。
そういった状況に対して、革命を起こしたのが
頼朝を盟主として、蜂起した関東「武士」団だったのですね。
鎌倉権力の基本は、自分たちが開墾した土地を
自分たちの持ち物として、認めさせるためのシステムだった。
そのために、それまでの権力にはなかった
「恒常的武力強制集団」としての「幕府」が誕生した。
アジアのなかで、きわめて特殊な発展をした日本の歴史の
最大のポイントはここだったと思うのです。

この革命の結果、土地の私有概念が完全に根付き、
権力の分散化、というか、封建のシステムが準備されたということなのでしょう。
そのあとにくる欧米的近代社会システムをスムーズに受容できた
いちばん大きなポイントだったと思う次第。
土地へのこだわりが、日本の歴史を動かす最大のパワーだったのです。
この検地の記録や絵からは、こういう歴史が実に生き生きと感じられます。
封建システムの完成として、こういう検地は行われた。
日本人と土地。
権力というのは、ここだけにこだわってきた歴史なのですね。
土地の上に建つ住宅、って、こういう日本人的な歴史要素も
いっぱい込められてきているものだなぁと、最近強く思っているところです・・・。
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重宝する多目的オープンルーム

2006年08月04日 06時07分36秒 | Weblog

写真はわが社の2階のオープンルーム。
事務所を新築したときに、住宅雑誌というコミュニケーションの仕事
というポイントを考えて、ちょっとしたミニイベントが可能な空間を作ったのです。
少ない予算のなかで、こういう場所を作るのは大変だったのですが、
ものすごく重宝して使っています。
現在は、ブログで触れている「学生の匠」コンクールの作品展示を
8月いっぱいのスケジュールで行っています。
あまり案内はしていませんが、それでも学生さんをはじめ
ちょこちょこと見学に来てくれています。
また先日は、ある建築家グループのみなさんが
当社に打合せに来られて、この場所を気に入っていただき
講演会の会場に使っていただきました。
出版社のオープンスペースということで、利用しやすさがあるようですね。

また、全国からいろいろな建築関係のみなさんが来社されます。
お金がないので、内装仕上げは構造の素地をそのまま表しています。
それが、強く木の質感を感じられる空間というメリットになるようです。
建築基準法が変わって、この内装空間では
準防火地域のこの地域では不適になっているのですが・・・。
建築としては、その当時の考え方に適法に建てられているものです。
そういう感じが、北海道らしいシンプルな空間と言うことなのでしょうか。
みなさんここにいると、木の持つ清々しさを感じていただけます。
手前側の大きな開口部も木製サッシの20連窓なので
開放感も大きいのでしょう。
新築当初は、いろいろなイベントを仕掛けたりもしましたが
いまは忙しすぎて、そう積極的には誘致はしておりません。
でもまだ、いろいろなみなさんから引き合いは頂戴しています。

北海道の住宅情報関係の一つの「交差点」になってくれたら
これに過ぎるうれしさはありません。
機会があったら、ぜひ来ていただきたいと思います。
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もうすぐブログ、満1年。

2006年08月03日 05時43分45秒 | Weblog

写真はきのう夕方、仙台でのお盆前の仕事を終えてから
空港で、七夕飾りの様子を撮ったもの。
残念ながら、一度も仙台七夕や、青森ねぶた、秋田竿灯といった
東北の夏祭りを見たことがありません。(笑)
これだけ、東北で過ごす時間が増えているのですが
~って、計算すると210日のうち60日ほどは東北です~
不思議とそういう時期はスルーしているのですね。
やっぱりこの時期に仕事を入れるのは
東北在住のみなさんには、あまりそういう習慣がないということなのか?
わたしも、まだ小さい子供がいるもので
いそいそと、休みになると札幌で過ごしたくなるのでしょうね。
でも、一度はこの東北の夏祭り、体験してみたいなぁ、と。
ただ、仙台では案外みんな、冷めていて、
札幌の人の「雪祭り」への態度と似た感じがありますね。
あんまり地元の人間は行かない、みたいな。
それと、どこもかしこも大渋滞になるものだそうです。
それが「疲れてさぁ・・・」ってところのよう。
実際、七夕の幕開けの広瀬川河畔の花火大会の時には、
仙台の住まいから、街中に抜ける道は通行止めになるんですよね。
まぁ、観光客向けのイベント、っていう色彩は強いのでしょう。
青森ねぶたみたいな、熱狂的な感じは受けません。
大都会で、すこし冷めた部分が出てくると言うことでしょうか。

さて、わたしのブログ、この9日で書き始めてから
なんと、満1年になります。なんとか無休で過ごしてきています。
大体、1日1000人くらいは見ていただけている感じです。
yahooではいろいろカウンターのトラブルに遭っておりますが(苦笑)。
住宅を中心にした特殊な領域のことばかりなので
どうなることやらと案じながら書いてきましたが、
おかげさまで、ペースもつかめて
生活のなかの折り目となって、楽しみながら書いてきています。
先日の「オール電化アンケート」での返信のなかには
たいへん心温まるお便りもありまして(感涙)
こころから、感謝申し上げます。
地味で目立たず、大向こう受けのするテーマのブログでもありませんが、
肩の力は、すっぽりと抜いて(笑)
これからも頑張って書き続けたいので、ご愛読、どうぞよろしく(平身低頭)!
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軒先の雪対策

2006年08月02日 06時14分38秒 | Weblog

きのうは岩手県北上市で住宅取材に行ってきました。
北上はほとんど北海道と変わらない寒冷地域。
そのうえ、積雪も多い。
この住宅はそうした防寒対策がいろいろなされています。
断熱はグラスウール100mmの通常充填断熱に、さらに付加して
板状のグラスウール35mmを外側にプラスしています。
基礎は外断熱、屋根面も200mmグラスウール。
きちんとした気密処理を行っていて、
熱損失係数(Q値)は、1.56というレベル。
換気装置は通常の第3種換気装置なので、
これをより高性能な第1種換気装置に換えるだけで
Q値は、1.2レベルが実現する性能の住宅。
暖房は1階が基礎断熱された床下をピットとして利用したセントラルヒーティング。
2階は各室にパネルヒーターが配置されています。
ちなみに次世代省エネ基準では、北海道でQ値1.6ということですから、
ほぼ、北海道と同じレベルの高性能住宅ですね。

というようなポイントなんですが、
2階から窓の外を見て、あれ、と思った次第。
軒先に、三角状の鉄製の「網かご」のようなものが
雪止めから引っかけて装置されていました。
昔なつかしいねずみ取りのようなもの。
って、たとえが古いですね(笑)、あんまり知らない人が多いかも知れません。
まぁようするに、網が中空になっているようなんですね。
聞いてみたら、ここ1年くらい工夫されてきた軒先の雪対策。
とくに出入り口など、落雪させたくないない場所の軒先に
こうした装置を付けることで、中空部分の空気が
雪を融けやすくするんだそうです。

個人的にも、札幌の事務所の雪庇対策を考えているさなかなので、
つい目がいってしまった次第です。
いろいろな工夫がされてきているものと、感じ入りました。
どうなんだろうかなぁ、検討してみよう、と思います。
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