リキデンタルオフィス 医療関係者向けブログ

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職人

2013-06-24 07:56:34 | Weblog
久しぶりに勤務医時代によく行ってたラーメン屋へ、車で一時間ちょっとかけて行ってきた。 
いつの間にかテナントから移転し、住居と店舗を一緒にした立派な建物で経営されていた。
コツコツと地道に働き努力されたんだなと感心すると共に、久しぶりの味を堪能さしてもらった。

ラーメン屋… この業種も一つのエリアで数多く存在する。
そんな中、この店は昔から変わらない職人気質の姿勢で、何よりも
お客に美味しいラーメンを食べてもらいたい。どうぞ召し上がれ” という思いが
入魂された『気』が伝わってくるのがたまらない。
注文してから出てくるまでに他の店より少し遅いが、厨房での動作にムダがなく、
懸命に料理に取り組んでる姿勢がひしひしと伝わり、その姿をみると待たされても逆に
いつかくるであろう作品”にワクワクさえする。
有名な一流料理人の料理において、料理人の構想と情熱と味が融合されたものが
作品と称されることに対して、地方のこじんまりした一店舗の店主の情熱と味が融合されたものも
同じ作品であると考える。
これって客商売するにあたりとても大切な事であり、すべての職種に相通じるものと考える。

芸術の世界で、音楽、絵画や陶芸、書道などの作品の中でも高い評価がされるものが
なぜそのような評価がされるかを考えてみよう。
同じ様な器、キャンバスに書かれた絵、毛筆で書かれた文字、耳に入る音色、これらは
作者または演者の情熱や気、躍動感が、そのまま作品ににじみでてるからである。
すべてに共通することは、与える側の情熱や努力が、受ける側の感性に影響を与えるのである。

言ってる意味 よくわかんない? では身近なことで説明しよう、、
 
与える側の努力や情熱、”気”の込められたものってどんなもの…
例えば、なにげなく入った食べ物屋。 
【店に入り 注文して 料理が来て 食べて 勘定して 店の外にでる】
その後、その店とその料理についてふと思い返したとき、あまりよく思い出すことができないときと
できる時ってあると思う。 
できないときが、簡単に言えば惰性の産物であり、気の不十分なものである。
思い出す像が鮮明であればあるほど気(入魂)”の込められたものの度合いが大きいものであり、
受ける側の感性に影響を与えたものである。
芸術でもまったく同じ。美術館や音楽堂をでたあとに、作品の記憶がどれだけ残っているかということ。

 我々歯科医療の世界でもこれらはいえることではないかと考える。
いかに宣伝し集客すること、いかに最新治療や最新設備をアピールし集客するか、
にこだわることより、、
いかに自分のもつ知識と技術を駆使し、自分を頼ってくる患者に情熱を込めて医療”を
行うかということは、患者への思いやりだけでなく、自院の医療哲学と臨床手技の
インパクトを鮮烈に与えることになる。
このこだわりは医療人にとって必要なことと信じてやまない。

たかがラーメン一杯でこんな大げさな話…?
ひたむきにラーメンを作る店主の背中を見つめてこのようなことを考える、
久しぶりの休日を過ごした私だ…