敦煌では赤字の所に行きました。
陽関とは、
古代シルクロードの軍事通商の重要関門で赤褐色の烽火台跡が残る。
唐代の詩人・王維が、友との別れを惜しみ「西の方陽関出づれば故人無からん」と詠んだことで知られる場所。
陽関の西側には、今でも砂嵐の後に陶器のかけらやコイン、装飾品が発見されるために「骨董灘」と呼ばれている地が広がっている。
陽関地区の施設を先に見学します。
陽関博物館
当時の役所のアトラクション。役人になり切り竹簡を読む。
後の屏風の字も素晴らしいい。中国では、至るところで良い書が見られます。
始めて西に遠征した将軍の像。
たくましく、力強い像です。
張騫とはダル、
将軍が紀元前139年の人で匈奴に捕まって、やつと13年後に長安に帰る、なんて壮大な歴史でしょう。
砂漠の中の陽関へロバ車で分乗して向かいます。
砂漠の中にポッんと長い廊下の様な建物が在るだけです。
陽関故址と書いてある碑です。
隣のロバが可愛いね、誰が乗って来たのだろうか。
王維の詩が後ろに書いてありました。
王維の詩が後ろに書いてありました。
展望台です。四方が見渡せますが砂漠ばかりで、何にも見えません。
私達が乗って来たロバ車です。リコはロバが大好きです。伏し目がちに歩く姿が慎ましくて可愛いですね。
玉門関
敦煌の北西100km。陽関と並ぶ重要な関所。玉の名産地だったホータンの玉石がこの門を通って都へ運ばれた事から命名された。
1辺6mほどの正方形で高さは10m、西門と北門がある。
西域へ通ずる重要な関門だった玉門関。
古来より攻防の地として最もよく詩に詠まれている。
唐代の詩人李白は、「漢は下る白登の道。胡はうかがう青海の湾。由来往の地。見ず人の還るあるを」とこの地を詠じている。
玉門関の中ではシルクと玉が交換された。
夜光杯を買う、
シルクロード名産の、祁連山脈で採れた原石を加工し販売。緑色の玉から作られた夜光杯は3000年の歴史を持ち、唐代には皇帝にも献上された。
一級品の杯は200元(3万円)から。
リコは恩師のK先生の卒寿(90歳)のお祝いに三本足(三足酒器)の坏を買いました。
よく、中国の古代劇で皇帝と武将が飲んでいる形です。
後日、飲み物を入れて飲むと体に良いと聞きましたので、今度、敦煌にいったら自分の分の夜光杯(三足酒器)を買います。ワイングラス形、盃の形や、湯飲みの形は良く、日本の通販でも売っています。
次回12はワイン棚の下でランチです。