リコの文芸サロン

文化、芸術、手芸など人生を豊かにする情報発信ブログを始めました。より良いブログに育てるためにコメントなどお寄せください。

茶の湯展•京都国立博物館

2022-10-12 | 日々彩彩
10月12日に
京都国立博物館の「茶の湯」展に行って来ました。
コロナも落ち着いたのか、人出が多いです。
  

内覧会のオープニング。

リコは表千家の茶道を独身の時に7年習いました。特にお茶のお菓子のネーミングが気に入り、「岩根のつつじ、深山路、春衣、紫陽花」等、季節に、合ったお菓子が出てきます。

ネットよりイメージ画像。

お習いした先生が山村聡のような方で、大柄で着物がよく似合いました。

俳優の山村聡さん、ネットより、
利休はこんな感じだろうと思われる雰囲気の先生でした。
とても、お稽古が楽しかったのですが大阪に嫁ぎましたので、茶道は辞めてしまいました。


20代で、茶道、華道、ピアノを習ったことは人生の宝物です。



可愛いトートバッグを、買いたいと思いましたが、まだ、開催から五日しか経っていないのに売り切れでした。

多分、後期の展示の時に又、販売されるでしょう。

お茶は人と触れ合って、抹茶をいただき、季節のお菓子を味わうのが良いですね。
11月12日から土•日には4流派が交代でお茶席が設けられますが、大変に混むので平日の2時に入館しましたので、展示室はガラガラでした。

薄暗い展示では良く字が読めませんし、展示品も見えづらいでした。


パンフレット




ノーベル賞の晩餐会で使われるお酒「福寿」がちょうど無くなりましたのて、
会場で

鶴図下絵和歌巻
俵屋宗達•画
本阿弥光悦•書のお酒を買いました。

入場料が1800円なので、呈茶券付きは3700円です。







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3人の歌人の人生②

2022-10-11 | 短歌
①正岡子規
10月7日にアップしました。

②上田三四二
上田三四二•著 『短歌一生』。
1923年〜1989年、65歳。
医学博士

死はそこに抗ひがたく
 立つゆゑに生きてゐる
一日一日はいづみ  三四二

この本は1989年に発行されています。
上田氏の死の2年前です。
医師の上田氏は大腸癌になり自分の死を自覚して見えたことでしょう。
1966年に大腸がん、19
83年に膀胱がんを患う。
病を得て、私の短歌はここに来て、「闌(た)けた」p234
「闌ける」とは名人・上手の域をさらに超えた至高の域。

リコは自分が何とかしっかりしていられるのは上手く行けば後、15年だと思っています。
その後は老いが勝って行き、心身共に『消えねば』の境遇でしよう。

以下、本の概要です。
①短歌、俳句は日本語の底荷だと思っている。
短歌、俳句の言葉は日本語の中でも特に格調の正しい、磨かれた言葉と思っている。的確に物を捉え、思いをのべるのに情操のかぎりをつくし、正確に、真実に、核心を衝く言葉を選ぶのが、短歌であり、俳句である。

②自分は師を持たなかったが、私淑したのは、斎藤茂吉と佐藤佐太郎です。  

③歌会にも参加しました。
やはり、他人の感想を、聴くのは短歌上達にとても大切です。

④1番大切なのは続けること。
リコの短歌会も正岡子規の系統で、写生の短歌です。
 三四二さんの書いてみえることは全て、参考になります。

⑤インターンの頃に軽い結核になり、療養と医師として療養所に赴任した。
晩学の私が曲がりなりにも歌人になることができたのは、国立京都療養所の十年間が、あったからだと、思いあたる。

 この本は何処を読んでもすばらしい本なので書ききれません。
どうぞ短歌、人が生きるとはに感心のある方は、ご自分でお読み下さい。
リコの短歌会は男性は会社を退職をしてから入会する人が多いので、愛とか恋の歌はほとんど詠まれません。
自身/家族のこと、病気/死別、旅行詠が、多いです。

リコの座右の本です。
1000頁近い本です。
この本で良いなと思った歌人は更にその歌集を読みます。。


次回③は長塚節を藤沢周平が小説に書きました、



 






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『いのちの種』歌集

2022-10-09 | 短歌
リコの歌会は最近、4名の方が歌集を上梓されました。
今回は福岡歌会の武藤富美さんの歌集『いのちの種』を紹介します。
この歌集はアマゾンで購入出来ます。
表紙絵もご自分で描かれています。


【鑑賞文】
〇肝っ玉先生
       大津留 直 
 この度、あけびの福岡歌会で長年活躍して来られた武藤富美さんが歌集『いのちの種』を上梓された。先ずは、心からお祝い申し上げます。歌集の題名『いのちの種』は歌集最後の次の歌から採られている。
塩糀保存と味を引き立たせ「いのちの種」の食べ物活かす
 武藤さんが生涯のテーマとして取り組んできたのは、日本人の食の問題である。
 略歴からも分かるように、福岡女子短大の特任教授などとして活躍してきたほか、地域での講演活動も活発にしてきたその道の専門家である。歌集の歌からもそのエネルギッシュで、ぶれることのない姿が彷彿する。まさに「肝っ玉先生」である。日本のみではなく、世界的に「食の危機」が明らかになりつつある現在、非常に貴重な存在である。私としても、その歌々から大いに学んでゆきたいと思う。

 
〇武藤富美「いのちの種」に寄す。            小西榮依子
逝く兄は手を振るごとく悠々と煙となりて天空(てんくう)に舞ふ
兄上との最後の別れの情景。煙の流れゆく様に肉親との情愛の深さが想定出来る。
日々(にちにち)の暮らしの短歌をあけび誌に我が生涯の一つの柱
どのお歌も表題の言葉を挿入し、角度を変えて詠む発想の豊かさで、日々の喜怒哀楽を歌に託している。
かなしみは悲しみ哀しみ愛しいといろいろあるが心揺さぶる
日本語の精密さ、それぞれの体温により同じ物を見ても表出が異なる。空間など、見えない物まで見える、奥深い短詩の妙味である。小笠原嗣朗先生が添えられた序のお言葉に「長い年々の足跡が臨場感よく綴られており、歌を人生の楽しみにされていることが云々」とある通り、生活実感を尊重し、言葉以上の豊穣な空間を見事に表現しておられる。

〇郷愁の歌集
      上野 猛雄 
 歌集『いのちの種』のご上梓を心からお祝い申し上げます。
 本歌集は、七十歳代であけびに入会した作者が月々詠まれた短歌作品を集大成したものであり、豊富な題材を生かして詠まれた歌の数々を感銘深く読ませていただいた。
 中でも、現在お住まいの九州から遠く離れた生まれ故郷、山形県酒田市での少女時代を回想して詠んだ歌、また作者を農家の主婦として慈しみ育ててくれた母上を懐かしんで詠んだ歌が圧巻であり、私が敢えて郷愁の歌集と題した所以である。
 もう一つこの歌集の特色を挙げると、歌を詠むに当たって、日常耳に聞き口に発する言葉、いわば生活語の中から一つを選び、その語を闊達自在に操って、バラエティーに富む八首があまた詠み上げられていることである。このようにして生まれた歌に、読者は親近感を抱き、同時代人として共感を覚えるのではないだろうか


〇いのちの種、とは?
     菅井 節子 
 昨年、あけび歌友の武藤富美さんが歌集『いのちの種』をご上梓。心よりお喜び申し上げます。
 内容は平成十八年からの「あけび」誌上の掲載歌を丹念に拾われています。ご経歴から拝察しますに、母であり、先生でありその上大学院にも挑まれ、いかにバイタリティある方であるかが想像に難くありません。そのお方の「いのちの種」とは何をさすのでしょうか。

色紙書くいつもと同じ「ひと皿の料理にいのちの種を宿して」 武藤 富美 
 勿論、美味しい料理も命の素ではありますが、その基には愛情がなくては始まらないでしょう。子への、はたまた生徒への短歌を拝見するにつけ、命の素となる愛が溢れていると感じました。
 最後の「こどもの戦争体験記」。戦争の記憶はまさにタイムリー。歌友だけでなく若い方々に是非読んで欲しいものです。

〇無碍の愛
      田中 悌子 
 山形の自然の中に優しいご両親に育てられた富美様の豊かな感性の詰まった歌集だと感じました。物事の正しい判断力、教師としての経験、常に前向きに学ばれ培われた知識等を、地域・ボランティア・趣味へと活用・還元された行動力に感服します。
 時代の流れと共に、自然・ご家族・作物等を優しい眼差しで包み込む、懐の広い歌は、武藤流の短歌となり新鮮で魅力的です。
 お幸せな日常を平明に詠まれ、ユーモアがあり機知に富み、同じ思いに納得します。特に野菜を詠まれた歌は、生活力に溢れ生き生きとして素敵です。富美様の努力され築かれた証が歌となり人生を彩っています。
今後もお元気で歌作りをお楽しみ下さい。
  私の好きな歌
九人(くにん)の子育てし農婦の母想ふ四人の子育てなんてことないさ
八十歳妬(ねた)まず驕(おご)らず謙遜に生くる技をと惑ひつつ暮らす


〇六名の方々の十首選の中からリコの好きな歌を加えて掲載します。
我が命誰かの杖となりしかと問ひつつ生きし八十五年

荷の届く透き間に埋むる新聞に故郷の香を探し読み入る

香りだし主材引き立て寄り添ひて葱の旨みのごとく生きたし

朝夕に笑顔にまさる化粧なし心ひそかに想いひて暮らす

九人の子育てし農婦の母想ふ四人の子育てなんてことないさ

ほんたうの言葉はひとつ「ありがとう」素直に言えればいのち輝く

着いた日に帰りの日を問ふ母の瞳に待つ切なさにたぢろぐ想ひ


リコの大阪歌会にくださった、自筆の絵の礼状です。



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3人の歌人の人生

2022-10-07 | 短歌
リコは短歌をしてますので3人の歌人がどんな日々の中で歌を詠まれたのか関心が有ります。
①正岡子規、②長塚節/上田三四二氏の3歌人について書いてみます。

★正岡子規(34歳の人生•1867年〜1902年)
「ノボさん」を読んで、感じたことです。

リコの好きな俳句、
ちぎらばや君は赤われ白椿 
          子規
子規の色恋いは想像出来ないので、水間寺でこの句碑を見た時は驚きました。

①子規は最初は本を書くことに力を入れてましたが、俳句、短歌に移りました。

②写生の俳句/短歌がよく分からなかったのが、中村さんの絵を新聞「日本」に掲載する縁で画家の中村不折との交流で「写生」とはを会得します。

③20代の頃から時々、喀血していて、結核の病気は始まっていました。
34歳で亡くなるまでの子規の日々が小説とはいえよく分かりました。

④亡くなる直前まで、物凄い食欲と食に関する関心は衰えることはありませんでした。

⑤母の八重と妹の律さんがいなければ子規の東京での生活は成り立たなかったようでます。

子規の死後、15年経った頃の母の八重と妹の律。
律は学校の先生に成りました。

⑥親族や知人、恩人に借金を度々する子規の金銭感覚が理解出来ません




いちはつの花咲きいでて
我目には今年ばかりの
春行かんとす  子規

短歌の全国大会で子規庵を訪ねたときに、いちはつが今も植えてありました。

あけび歌会・会員の鈴木葯房こと鈴木虎雄先生(1878年~1963年)は京都大学名誉教授で中国古典文学の功績で文化勲章を受章されました。
子規は享年34、この時、葯房24歳でした。子規の通夜と葬儀の様子をこんなに近くで立ち会った人の文章を読むのは初めてでした。
『葯房主人歌草』p216から抜粋します。

「子規君を夜台に送る。(明治35年9月22日 「日本」)
月の十九日子規君逝く。其の夕棺して之を守り、朝夕宗族朋友これに殮(れん)す。君が遺体は病臥のままに随ひ蓋ふに白布を以てす。収むる所のものは暫く流俗に従ひ亦た君が志にかなふ。青葉あり紅艸あり、蕪あり、瓜あり、萄あり、橘あり、秋色斕然(らんぜん)、君その中に眠るに似たり。朋友の親しきもの十数室を隔てて枕頭に環座し、律の僧一来て経を読む。翌二十一日、親族朋友来り会す。午前九時霊柩門を出づ。白灯四、野花二、銘旌なく、楽音なし。僧は導たり。木主は君が従弟之を奉ず。棺の左右は君の友人侍し、墓標次ぐ。其の後は葬に会するもの、其の次は君が令妹親戚、又た其の次は葬に会するもの。歩して田端大竜院に到り、経を捧げ香を抹し、遂に君を黄泉夜台の下に送らむとす。」
注:銘旌(めいせい)・・旗じるし、木主(もくしゅ)・・位牌





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挿し木のその後

2022-10-06 | 日々彩彩


部屋の中で陰干しして時々、裏返し万遍なく乾くようにします。




一本は枯れたので抜きました。

10月4日の様子。
随分大きく成りましたでしょ。


こんな花が咲く予定です。
10日間乾燥させて斜めに差して根を出させて本植えなんて神業ね。
ネットは何でも教えてくれます。

★赤の木瓜は着かないかもしれません。

6日の様子。
ネットに依ると、挿し木の時期は3月ですから、遅いですね。
2日に庭師さんが剪定に見えるので急いで挿し穂を切り取りました。
来年、3月に再挑戦します。

赤の木瓜の親木は2m位の高さの樹齢50年超えです。

地面に植わっています。


台湾椿。こがね虫にかじられて、葉が網状に成ってます。

台湾椿に花が咲いてます。
例年は2月くらいに咲くのに今年は早く咲いてます。
温暖化の影響ですかね。
夏にこがね虫に食べられた、山茶花と台湾椿もスッキリと剪定しました。

★3回目のヒポクラテススープ
今回は1500ccの水で2時間弱煮ました。

主人用に3瓶取れて、濾した野菜かすは豚肉、人参を、足してクリームシチューにしました。

★ペットに癒される
東京の友人宅の2匹のフェレットの寝姿。7歳だそうです。

以前は毎月大阪に彼女は来てくれたのにコロナ禍でもう3年も会っていません。

こちらは我が家のミー姫の昼寝姿、

玄関先の箱の中がお気に入り。





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