↓(5)で「この時、日本男子の世界選手権代表切符は3枚」…と書いて寝たのですが、夜中で朦朧としてたせいか間違ってました。この03-04年の枠は「2」でしたね。ということで加筆訂正。
まず、02年世選@長野で本田君が3位になり、2枠ゲット(だよねえ?)。
翌年の03年世選@ワシントンは、本田君が一人だけで出場し、再び3位。ここでまた2枠ゲット。
…そうでしたね。
03年からは、一人で出場して2位以上になれば、翌年の枠は3つ取れた。それが駄目でも、3位~10位以内に入れば2枠とれた。だからあえて03年世選は二人目を送りこまず、本田君だけ出したのだったわ。本田君と2番手以下の選手の実力に開きがありすぎて、足を引っ張ることになってはいけない…という、城田強化部長の采配だったわ。思い出した。
私は、大ちゃんはまだ仕方ないとしても、実質上2番手のヤマト君は出られると思っていたのよね。だから「あえて送り込まない」事にショックを受けた覚えが。
結果的にはこの采配が功を奏し、男子は2枠取れてまずまず良かったのですが、ヤマト君がWFS12号インタビューで
「僕は(世選に)行けると思っていたのに、連盟に何も知らされないまま、本田君一人で行く事になった、とスポーツ新聞で見て、ショックを受けた」
と、語っているのを読みました。もーつらいつらい。
去年のN杯でも、織田君は自分の名前がエントリー表に載っている事をインターネットで知って「タマゲた!」という事でしたね。いったい連盟と選手の間柄って何なんだ。意思疎通が無いのか?
可哀相なヤマト君。年齢的に彼の方が先に引退するのだし、長く活躍してきた選手に、もうちっと連盟も配慮せんかい。勝負の世界だから…とは思うものの、この頃は城田部長の強引な采配っぷりも増々エスカレートしていく感があって、非難も多かった。今思うと、多分、連盟内部でもこの頃から黒い煙がブスブスくすぶっていたのかなあ。とにかく、世選の代表を決める全日本は、毎年モメる元だったような気がします(それはどこの国でも一緒か)。
★WFS12号は、本田君・ヤマト君・大ちゃんのインタビューを収録。
この頃の男子の流れを知るのにはグーです~
まず、02年世選@長野で本田君が3位になり、2枠ゲット(だよねえ?)。
翌年の03年世選@ワシントンは、本田君が一人だけで出場し、再び3位。ここでまた2枠ゲット。
…そうでしたね。
03年からは、一人で出場して2位以上になれば、翌年の枠は3つ取れた。それが駄目でも、3位~10位以内に入れば2枠とれた。だからあえて03年世選は二人目を送りこまず、本田君だけ出したのだったわ。本田君と2番手以下の選手の実力に開きがありすぎて、足を引っ張ることになってはいけない…という、城田強化部長の采配だったわ。思い出した。
私は、大ちゃんはまだ仕方ないとしても、実質上2番手のヤマト君は出られると思っていたのよね。だから「あえて送り込まない」事にショックを受けた覚えが。
結果的にはこの采配が功を奏し、男子は2枠取れてまずまず良かったのですが、ヤマト君がWFS12号インタビューで
「僕は(世選に)行けると思っていたのに、連盟に何も知らされないまま、本田君一人で行く事になった、とスポーツ新聞で見て、ショックを受けた」
と、語っているのを読みました。もーつらいつらい。
去年のN杯でも、織田君は自分の名前がエントリー表に載っている事をインターネットで知って「タマゲた!」という事でしたね。いったい連盟と選手の間柄って何なんだ。意思疎通が無いのか?
可哀相なヤマト君。年齢的に彼の方が先に引退するのだし、長く活躍してきた選手に、もうちっと連盟も配慮せんかい。勝負の世界だから…とは思うものの、この頃は城田部長の強引な采配っぷりも増々エスカレートしていく感があって、非難も多かった。今思うと、多分、連盟内部でもこの頃から黒い煙がブスブスくすぶっていたのかなあ。とにかく、世選の代表を決める全日本は、毎年モメる元だったような気がします(それはどこの国でも一緒か)。
★WFS12号は、本田君・ヤマト君・大ちゃんのインタビューを収録。
この頃の男子の流れを知るのにはグーです~