上砂理佳のうぐいす日記

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訂正変更★

2006-07-05 | 大ちゃんたら大ちゃんたら
↓(5)で「この時、日本男子の世界選手権代表切符は3枚」…と書いて寝たのですが、夜中で朦朧としてたせいか間違ってました。この03-04年の枠は「2」でしたね。ということで加筆訂正。
まず、02年世選@長野で本田君が3位になり、2枠ゲット(だよねえ?)。
翌年の03年世選@ワシントンは、本田君が一人だけで出場し、再び3位。ここでまた2枠ゲット。
…そうでしたね。
03年からは、一人で出場して2位以上になれば、翌年の枠は3つ取れた。それが駄目でも、3位~10位以内に入れば2枠とれた。だからあえて03年世選は二人目を送りこまず、本田君だけ出したのだったわ。本田君と2番手以下の選手の実力に開きがありすぎて、足を引っ張ることになってはいけない…という、城田強化部長の采配だったわ。思い出した。
私は、大ちゃんはまだ仕方ないとしても、実質上2番手のヤマト君は出られると思っていたのよね。だから「あえて送り込まない」事にショックを受けた覚えが。
結果的にはこの采配が功を奏し、男子は2枠取れてまずまず良かったのですが、ヤマト君がWFS12号インタビューで
「僕は(世選に)行けると思っていたのに、連盟に何も知らされないまま、本田君一人で行く事になった、とスポーツ新聞で見て、ショックを受けた」
と、語っているのを読みました。もーつらいつらい。
去年のN杯でも、織田君は自分の名前がエントリー表に載っている事をインターネットで知って「タマゲた!」という事でしたね。いったい連盟と選手の間柄って何なんだ。意思疎通が無いのか?
可哀相なヤマト君。年齢的に彼の方が先に引退するのだし、長く活躍してきた選手に、もうちっと連盟も配慮せんかい。勝負の世界だから…とは思うものの、この頃は城田部長の強引な采配っぷりも増々エスカレートしていく感があって、非難も多かった。今思うと、多分、連盟内部でもこの頃から黒い煙がブスブスくすぶっていたのかなあ。とにかく、世選の代表を決める全日本は、毎年モメる元だったような気がします(それはどこの国でも一緒か)。

★WFS12号は、本田君・ヤマト君・大ちゃんのインタビューを収録。
 この頃の男子の流れを知るのにはグーです~
コメント (2)
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わたくしと大ちゃん(5)

2006-07-05 | 大ちゃんたら大ちゃんたら

どピンク×黒の衣装で「Nyah」を演じる大ちゃん。
これは05年ワールドSPですが、好きなショット
あ~ららららら~♪なんだっ!なんだなんだっ!!
この色っぽさはなんですか。
フラメンコなリズムに合わせて、情熱のステップを踏む。私が「カニの横歩き」と命名した中盤の見せ場では、妖しげ~な視線をジャッジに送るのだ。スルドイ眉間。口元は不敵な笑みさえ浮かべている。
「私の魔法にひっかかりなさい~」。誘ってる。誘ってるのだ。アンタね。
「大ちゃん。困るわ。そんな目で見つめないで…」なんだかポッと頬を赤らめる私(おーい)。ムスコのよーな若造に誘われてどーするのだ。しかし駄目よ。このヒト、本能的に女性を陥落させるナンカを持ってるのよ(笑)。
その「ナンカ」って解らないんだけどさ…きっと、ハマらない人には何てこたーないんだろうけど、「来ちゃった」人には麻薬的かもしれない。セクシーつうても、表面的なキレイキレイではなくて、こう、暗~く体の奥底に訴えかけてくる感じ。「情念の炎」かな…。
タラソワさんは元々こういう「情念プログラム」は得意中の得意です。大ちゃんにピッタリではないか。ひゃー。息つく間も無くストレートラインステップで魅了します。この時、飛び上がりながら耳の横で両手をパパパンと叩くフラメンコ的振付がありますが、私は何度コレの真似をしたことでしょうか。好きなんです。でも意外に難しいのです。大ちゃんはやはり、ダンサーな才能があるよ。

この時のSPはなんと、プルシェンコに次ぐ2位!
確か、ジュベールやサンデューもいた筈なのに2位。
うあああああと期待していたら、FSの「パガニーニ」(ラフマニノフです。ご縁あるねえ)」では4回転を転倒。その後も崩れてしまい5位に後退。GP初メダルは結局、この後2年近く待たされる事となりました。難しいねえ。GPって。そうそう甘くないんやわ。17歳には試練の道なのでした。
FSの方の衣装は(もうご存知の通り)、右胸から右腕にかけてが白い王子様ヒラヒラ、左半身と下が黒いタキシード仕様。そしてでっかいがそこかしこに踊ってるんですが…。
はまだ良しとして、襟元にベビー服みたいなレースがついてるのよね。
哺乳瓶いりそう。
最初に見た時はやや眩暈がしましたが、慣れたらもう「なんでもこい」じゃ。
SPでは年上の女を妖しげな目線で誘っておきながら、FSではベビーって。その落差は何なのか~(でも演技は「大人路線」なんですよ)。
グリアツェフも「襟元ベビー服」ってのあったよな…タラソワさんは躊躇しないんだろな、きっと。

総合5位に後退しながらも、私にとっては「シニア上昇気流」に乗ったかのような嬉しいGPでした(もっとも実際の演技を見たのはかなり後だ)。
「いける!いけるやん!」と初優勝の期待をかけた暮れの全日本。
この時は本田君が怪我で欠場していて、ヤマト君と大ちゃんの一騎打ちか?と思われたのですが、FSで岸本君に追い抜かれ総合3位。やはりジャンプ…4回転が決まらないと他にも影響が出て、グズグズと崩れてしまう。
表彰台には乗ったものの「大ちゃ~ん、このチャンスに優勝せんかいな…」トホホと泣く私。岸本君は大ちゃんと同世代ですが、この頃はジャンプが超・超安定していて、日本人には珍しい「骨太系」「パワフル系」でした。オドロキの2位!(実は私は岸本君も応援しています)
3月の世界選手権@ドイツの日本男子代表切符は2枚。
全日本で優勝したヤマト君は当確なんだろか…。
エース本田君は外せないけれど、全日本欠場でワールド代表というのも。
2位の岸本君の立場はどーなる…大ちゃん、落選かいな…よよよと思いきや、岸本君はまだジュニアカテゴリーということで、織田君と共に世界Jr選手権へ派遣となりました。
結局、二月の四大陸選手権に、本田君、大ちゃん、ヤマト君、と派遣が決まり、そこでの成績も加味して、ドイツ・ワールドの代表が最終的に決まる、と、こういう段取りに。大ちゃんはどーしても、最後の最後まで試練を与えられるのでした。
岸本君や小林君、織田君や南里君などなど、男子ジュニア勢が力をつけてハツラツと滑ってる。大ちゃんもウカウカしていられない!自分もまだジュニアで滑ってていい年頃なのに、既にシニア2年生として期待をかけられ責任を負う立場にいる…なんだか気の毒でしたが、その才能が故に、私までもが「早く、早く」と焦ってしまうのでした。

しかしながら、ラリック杯で「まじゅちゅし・高橋大輔」を見てしまったこの上は、もはや舞台は世界選手権しかおまへん。
行け!世界へ行け!…と私は又コブシをググッと握りしめるのでした。
コメント (12)
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