世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

大切な人が見えていれば上出来

2007年01月11日 | Weblog
年末、NHKのニュースを観ていた。
番組の最後、子供たちが夢について語るシーン。
そのBGMとして流れていた曲に、私は衝撃を受けた。

タテタカコの「宝石」「傷」を初めて聴いたときもそうだったが、
「何か、大変なものを聴いてしまった」という興奮にも似た想いは、
その後も簡単には消えてくれなかった。

「手を繋ぐくらいでいい 
 並んで歩くくらいでいい
 それすら危ういから
 大切な人が見えていれば上出来」

番組が終ってからも、そのサビが頭を駆け巡る。
サビの歌詞だけで曲の雰囲気を推測。
「年末だから、たまには周りの人との関係性について考えてみませんか?…そのような番組の意図で、この曲が採用されたんかな…」
と、勝手に考えていた。

調べたら中村中(なかむらあたる)さんの「友達の詩」という歌だった。

中村さんは戸籍は男性であるが、女性として生きている。
そして、性同一性障害をカミングアウトしている。
性同一性障害…自分の性認識と自分の体の性が逆。
その性同一性障害の自覚を持ったのは思春期のころだったらしい。
この歌は中村さんが15歳の時、男の子に片想いしているときに創った。
生々しい歌詞は、彼女が背負った孤独な苦しみ、
そして美しいメロディーは、そんな壁を自ら乗り越えた、…乗り越え続けようという力強い前向きさを感じる。

「手を繋ぐくらいでいい 
 並んで歩くくらいでいい
 それすら危ういから
 大切な人が見えていれば上出来」

恋心を諦める。
理不尽さと切なさを、そう歌いながら鎮静させる。

…そのことを考えると涙が出てくる。

どうして神様は、15歳の人間にそのような苦悩を与えるのだろう。

生きていると、「どうしようもないから、妥協しなくてはならないこと」が巡ってくる。
それは確に、悲しかったり悔しかったりすることなのではあるが、逃げないで自分をちゃんと見つめた結果に出した妥協点は、必ず後々になって納得できるものになり得るんではないだろうか。

中村さんの透き通った声を聴いていると、そんなふうに思える。



『友達の詩』(中村 中)

触れるまでもなく先のことが見えてしまうなんて
そんなつまらない恋をずいぶん続けてきたね

胸の痛み直さないで別の傷で隠すけど
簡単にバレてしまう どこからか流れてしまう

手を繋ぐくらいでいい 並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから大切な人が見えていれば上出来

寄りかからなけりゃそばにいられたの?気にしていなければ
離れたけれど今さら 無理だと気付く

笑われて馬鹿にされて それでも憎めないなんて
自分だけ責めるなんて いつまでも情けないね

手を繋ぐくらいでいい 並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから大切な人が見えていれば上出来

忘れた頃にもう一度会えたら仲良くしてね

手を繋ぐくらいでいい 並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから大切な人が見えていれば上出来

手を繋ぐくらいでいい 並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから大切な人は友達くらいでいい

友達くらいが丁度いい


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