世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

I'm proud いつからか自分を誇れる様になってきたのはきっと…

2007年01月12日 | Weblog
「〇〇さん(私)がイライラしているのは、あの仕事をやり始めてからよ」
そう、同僚に言われた。

一昨年の夏、吉熊上司に「化粧が濃い」と言われて、私は切れてしまった。
それから数ヶ月、私は上司がほぼ不在の状態を経験し、社内ジプシーになった。
孤独だった。
仕事の進め方を相談するべく、隣の席の吉熊上司に声を掛けようとしても、喉で声が詰まってしまい、上手に喋れなくなった。

秋、見かねた吉熊上司が、ある仕事を私に任せてくれた。
それは、当時の私にはかなりのプレッシャーを与える仕事であった。

「私にできるんだろうか」
「もし、間違えたら…クビだろうな…」
「せっかく任されたんだから頑張ろう」

そんな様々な思いが、次々と私の胸を巡っていた。
それ以上に、吉熊上司に仕事を任された嬉しさが強かった。

毎日、あの仕事についてはかなりの神経を酷使している。

ミスをしたときの会社の損失、
社長へのホウレンソウの仕方に粗そうがあってはならない、
数字への恐怖、

色々な重圧が、あの秋の日からやってきた。

「あの件なら、〇〇さん(私)に聞けばいいじゃん」
社長が他部署の人間にそう言っていたと聞いたときは、本当に嬉しかった。

大きなミスもなく、今までやってこれたのは、仕事に対する誇りや責任が私の中で芽生えたからだ。
そして、やはり一番の要因は、吉熊上司の助言があったからであろう。
会社で切れるという始末書並のことをしでかした私を拾って使ってくれた吉熊上司。
その恩義は一生忘れない。

思えば、あの仕事は、私と吉熊上司の架け橋だったに違いない。
二人で悩み、二人で答えを出しながら、私たちは次第に歩み寄りを果たしたことは紛れも無い事実である。

あの仕事は辛いけれど、今の私の仕事の中心部分であり、原動力である。
楽しいとは思えないけれど、生き甲斐であるし、もっともっと勉強していこうと思える分野である。

それなのに、冒頭のようなことを言われた。

彼女が言うには、私は大雑把らしい。
そんな私は膨大な数字を扱うことには向いていない、無理なことをするから精神が病むんだ…ということらしい。

そうなのだろうか。
それはある意味、事実なのかもしれない。

しかし、
「その仕事、私に向いていないからやれません」
と言うことは、サラリーマンに許されることなんだろうか。

反論しようか。
一瞬、心がそう反応した。
でも、これは私の常識と彼女の常識の差から生じたことなんだと思い直し、軽く微笑んでおいた。

本当は悔しかった。
大雑把だと揶揄された自己に対してではなく、あの仕事に向いていないと判断されてしまう自己に対して。

笑いながらも、歯を喰いしばり、こめかみがじんじんと痛みだした。
だから、引きつり笑いになっていたかもしれない。
会社生活を円滑に生きるためには、歪んだ笑いも必要だということを、吉熊上司との一件で私は学んだ。
どんなことだって無駄にはしたくはない。


…負けない。
雑念、噂、惑わされる自分、
そして、色々なことに。

吉熊上司と築き上げたものに、私は誇りを持っているから。
あの仕事をしている自分を心から肯定できるから。

負けない。
負けるもんか。

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