世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

恋について

2009年09月25日 | Weblog
恋に落ちる瞬間って、ある。
そう、恋はするものなのではなくて、落ちるものなのである。
恋に落ちるということは、「この人のこと、好きなのかも」という自覚がじんわりと胸の奥底から湧き出てくるあの瞬間の、あの気持ちだと久々に思った。
そうすっと、まるで自分だけが自由落下の中にいるような、なにか大きな力で吸い込まれていくような、「自分が自分じゃなくなる」的心理状況に陥るのである。

そんな体験は全くもってご無沙汰な私。
昔は妄想でこんな詩やらあんな詩やらをしたためていたのに。
もう、妄想力も限界値に達したらしい。

奥さまとの馴れ初めが少しだけ描かれている友達の日記を読みながら、昼休み、ひらすら恋について考えていた。

みんな、恋に落ちているのだろうか。
こんなに長い間、恋に落ちていないのって、私だけなのではないだろうか。

「落ちてたまるか、こんちきしょーめ!てやんでぃ~ばろー、ちくしょう!!!」
と頑なに恋愛を拒んでいる反面、己についてスイミーみたいな特異性を自覚してしまうと、なんだか不安になってしまうチキンなオレ。

百人一首に詠まれている歌だって、43首、約半分が恋の歌なのである。どうやら恋というものは人々の生活に密接にあるものっぽい。

そんなことを喫煙所で煙を吐きつつ悶々と考え、午後の業務に突入。
後輩女子Cちゃんと和気藹々と什器備品の管理に勤しんでいたら、副社長から電話が来た。
「あのぉー、あれだよ。なぁ。おぃ。〇〇表をこさえてくれや」

「こさえる」って…。
戦前生まれの彼が使う言葉は、若干古文ちっくである。

その一本の電話で午後の計画が狂っていった。

「こさえたもの」を彼に持っていったのだが、彼の思っていたものと違っていてガッカリされた。承るときに確認したんだが。

「…でも、まぁこれも使えるかなぁー。なぁ?」
と慰められた。
結局、吉熊上司のアドバイスで〇〇表は他部署に振ったのだが、なんとも…。

恋に落ちてない生活に不満もなければ、これらの仕事にも不満がない。
結局、今は安定しているということなのだろう。

怖いあの副社長も恋に落ちたことがあったのだろうか。
彼の眼鏡とかを回想し、まじまじと考えてしまう。


(別に副社長に恋をしているわけではないです。あしからず)
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自然の摂理

2009年09月25日 | Weblog
母方の祖父は私が大学4年生の秋に亡くなった。秋の日溜まりのような穏やかな人だった。通信簿を見せに訪ねると必ず本を買ってくれた。

彼が亡くなったとき、父っ子だった母の悲しみはそのまま私の悲しみとなった。
足尾銅山観光で暗い銅山内を一緒に歩いた7歳の夏。握ったお祖父ちゃんの手のぬくもりやポマードの匂いを私は忘れないだろう。

就職した初夏。
私はある事件に巻き込まれる寸前という状況に陥った。
でも助かった。
お祖父ちゃんが私を守ってくれた…根拠はないのだが、なぜだかそう強く思う。

母の姉はとても美人な人だった。笑うと品のある目鼻が桜のように舞うようであった。たぶん親族では一番容姿に恵まれた人だったのではないだろうか。
でも15年前、癌で亡くなってしまった。

祖父が末期癌の叔母を見舞いに行ったとき。
叔母は
「(遠くまでこさせてしまって)(こんな風になってしまって)…ごめんね」
と謝った。

祖父はただ静かに
「いいんだよ…」
と言ったらしい。

弱った娘を前にして、どれほど苦しかったのだろうか。お祖父ちゃん。


叔母、祖父母も亡くなってしまった。
母と母の兄は疎遠な関係にある。

一つの団欒が、時とともに無くなっていく切なさが、なぜか今日、強く強く私に押し寄せてきた。

私の実家の団欒も、いつか自然の摂理で崩壊していくのだと思うと、怖くて切なくて、死んでしまいそうになる。
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