世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

「地の底の声筑豊・炭鉱に生きた女たち」

2020年05月21日 | Weblog
緊急事態宣言が解除になり、開店する、或いは開店予定の店舗スタッフからの問い合わせで忙しくてとても大変だった。
午後からは、株主総会のシナリオを元に、パワポでスライド作成。
コロナのせいで今年は例年通りとはいかず。とても悩ましい。
集中したいのに、近くの人がペンを「カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ ・・・」と鳴らすので気が散って狂死しそうだった。
また、相変わらずマスクしないマンが大声で電話で話すので、とても怖い。
NHKで見た「唾の飛沫映像」が脳裏をかすめる・・・。


今週の会社の花。
水色のカーネーションがとてもゆめかわなのでずっと見ていたい。



夕食は、餃子。
餃子を食べると大抵の嫌なことは忘れることができる。


LAISSE PASSEのワンピがマンションの宅配ボックスに入っていた。


とてもシンプルなのだけれども、この裾の部分がさりげなく存在を主張している。地味に華やか。


さっそく着てみた。




おお~。
着心地抜群!
生地も縫製もちゃんとしているので、長く着られそう。
良い買い物をした。

今日は見たい番組があったのでさっさと入浴して髪を乾かした。

こころの時代〜宗教・人生〜
その言葉が道をひらく

セレクション (3)「地の底の声筑豊・炭鉱に生きた女たち」

番組HPより
【「地方の時代」映像祭2017選奨】井手川泰子さんの手元に残る100本に上るカセットテープ。そこには大正から昭和、炭鉱で働いた女性たちの声が記録されている。暗い地の底で腰巻き一つの姿で石炭を掘った女性たち。死と隣り合わせの肉体労働、炭鉱住宅での共助、女ならではの所帯の苦労と喜びが、泣いたり、笑ったり、ときには歌ったりしながら語られる。働くこと、生きること、女であることの真実をつく言葉に耳を傾ける。


私の母方の祖父母は足尾の人で、母も中2まで足尾で育った。
祖父は足尾銅山で働いていた。
足尾のことを語りだすと、母は止まらなくなる。
鉱山で事故があるとサイレンが鳴る、など。
だからだろうか。
炭鉱と銅山は違うのかもしれないけれども、番組表を見たとき何か惹かれるものがあり、この番組を見たくなった。

番組には女性坑夫たちの壮絶な体験と、それを乗り越える強さが滲み出ていた。
もうおばあちゃんになった元女性坑夫たちに寄り添う井出川泰子さんの姿も胸にくるものがあった。

コロナ禍、そしてそれに伴う仕事の煩雑さで心が燻っていたのだけれども、炭鉱の女性たちの苦労に比べれば、自分はまだ甘いなと思わされた。
この時期に見ることができてよかった。心に喝を入れられた。

炭鉱で働いていた女性坑夫の言葉が胸を打つ。

「我が鬼にならん限りは
まわりも鬼にならん。」

この言葉の主は、この言葉を自らに言い聞かせていたのだろう。
そうやって、過酷な状況をやり過ごしていたのかもしれない。

いい言葉をまた一つ自分の胸に刻み付けることができた。


明日は花金。
その前に、総会関連の仕事、目途をつけよう。
頑張ろう。