中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

同窓会

2008-06-02 09:35:11 | 身辺雑記
 高校の教師になって初めて担任した時の生徒達の学年同窓会が大阪であった。古い生徒達の同窓会に出席するのは心楽しいことなので、よほど都合がつかない場合以外は出席することにしているから、今回も喜んで出かけた。

 会場のある建物に着きエレベーターに乗ろうとしたら、男性が1人いて、「同窓会ですか」と尋ねたから頷いたが、彼の顔には見覚えがなく、彼も私が誰か分からない様子だった。エレベーターが来たので入ってしばらくすると、彼が急に「あっ、先生ですか。失礼しました」と言った、どうやら教えたことがない生徒だった。

 この学年の生徒は私より10歳年下だから、今年は65歳になる。卒業してから47年、1年生の時からもう50年もたっている。会場に入るとそれだけの年齢を重ねた容姿の男女が既に多く集まっていたが、名前は思い出せなくても、顔はほとんど見覚えがあり懐かしくなった。卒業時のクラスごとにテーブルが設けられていて、そこにはもう座っている子がいて、声を掛け合った。私にとって卒業生達はいつまでたっても「子」である。「あの子はどうしているのかなあ」、「元気ですよ」などと話し合っていると、たちまち彼ら、彼女らが在校していた頃の気分に戻ってしまい、それが何とも言えないくらい良いものなのだ。

 幹事代表の挨拶で会は始まり、最初に出席した3人の元のクラス担任が紹介されて花束が贈られた。このようなことが、いかにも何十年かの人生を歩んできた者の心遣いに思われて嬉しかった。食事しながらの賑やかな談笑が始まったが、その間にも何人も私が座る席に来て挨拶するし、私もテーブルを回ったりして話を楽しんだ。在学当時には「ワル」も「ゴンタ」もいたが、今頃よく見聞きする崩れた高校生とは違う、何か人間味があったように思う。こういう場ではいつも思うことだが、「あの頃に」、「この学校の」教師になって本当に良かった。特に有名校でも、いわゆる受験校でもなかったが、教師になって良かったと思わせる温かい教師と生徒の関係があり、クラブ活動も盛んだった。

 楽しい3時間はすぐに過ぎた。私のクラスの出席者はいろいろな都合もあったのだろう、常連的な者の姿がなく6名だけだったが、幹事役の女の子が皆と相談して、来年、私の喜寿祝いにクラス同窓会をして集まろうと日を決めてくれた。満年齢だと再来年なのだが数え年でということになったようだ。できるだけたくさん集まるように声を掛けますよと言うので、私も余命わずかだから皆に会いたいと言ってほしいと冗談めかして答えた。

 50年近くの歳月は短いものではない。この歳月の間に皆それぞれの人生を歩んできたのだろうし、苦労が多かったこともあるだろう。配偶者を亡くした者もいるし、私のクラスにも若くして物故した者もいる。いろいろな思いはあるが、生の続く限り「この子」達とは心を通わしていきたいと思う。