中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

落書き

2008-06-13 09:39:30 | 身辺雑記
 街の公共物にスプレーやマジックインクを使った落書きをよく見かける。私の周辺ではそれほど多くはないが、地域によってはひどいところもあるそうだ。見かけるものはローマ字をデザイン化したようなものが多い。

 

 これはタギングという様式化されたマークだそうで、米国の若者文化に影響された青少年が流行させたものらしい。かつてはストリートギャングなどが自分の縄張りを誇示するために用いたサインだったが、最近では無意味な、単なる落書き化やファッション化が激しいそうだ。



 人通りの多い場所にある公共物などに落書きをするのだから、「犯行」は夜、それも深夜に行われるのだろう。落書きの主たちは、昼間は土の中に潜んでいて夜になると出てきて野菜を食い荒らす夜盗虫のような有害な連中だ。夜中に出没して公共物や民家の塀、店舗のシャッターなどを汚損して姿を消す。






 
 かつて大阪のある町で激しい落書きが続き監視カメラを設置したら、深夜に落書きをして回っている1人の青年の姿が映っていたそうだが、このようなゆがんだ性格の若者が増えているのだろうか。この青年がつかまったかどうかは知らないが、夜盗虫が駆除しにくいように、こういう暗い性格の落書き虫たちを捕らえることも難しいらしい

 これは隣の市で見かけた落書き。蔦が上に這っているからだいぶ前に書かれたものだろう。きれいにデザイン化されているから、落書きというよりも意図的に描いたものかも知れないが、やはりタギングの一種か。地方の寂れた商店街では、ストリートアーティストと呼ばれる者に依頼して、店舗のシャッターにカラフルなデザインを描いてもらうこともあるようだ。



 落書きは古今東西にあるもので、中にはイタリアのポンペイの遺跡にある落書きなどは、貴重な資料的価値があるそうだ。日本の古代の寺院の修復をする時などに、隠れた場所に当時の宮大工たちの墨書きの落書き(自分の名前が多いようだ)が残されているのが発見されることがあるが、何となくほほえましい感じがしなくもない。それに比べると貴重な文化財に自分の名を書いたり彫ったりするのは嫌なものだ。落書きというものは、自己顕示の手段、あるいは自分がここに存在したことをひそかに示したい心理から来るものなのだろうか。