超党派の国会議員が「量刑制度を考える超党派の会」という議員連盟を作って、死刑と無期懲役の間に仮釈放のない終身刑を創設することで意見がまとまり、秋の臨時国会に議員立法刑法改正案を提出することになるようだ。これは来年5月から始まる裁判員制度のもとで、裁判員が死刑と無期懲役の選択に悩まないために検討した結果だと言う。
前にも書いたが、私は死刑制度に賛成している。死刑廃止論にはいろいろな理由があるようだが、もうひとつ納得できないものを感じている。何か加害者のいのち、人権が前面に出ていて、そこだけを見ると分からないでもないが、ではその加害者のために、たった1つしかないいのちを無残に奪われた被害者はどうなるのか。その人権など云々することもできないことになってしまっているのだ。自分の家族が理不尽に他人に命を奪われるようなことがあっても、死刑廃止論者はやはり持論を守るのだろうか。私には到底できないことだ。
犯行時未成年であったことで、死刑か無期懲役で注目を集めた山口県の母子殺人事件でも、私は死刑が妥当と思っていた。逮捕された当初、この犯人は真実を究明するために奔走する親族を嘲笑するような手紙を友人に送っていたという。それが高裁での審理になると、弁護団が代わったこともあるのか、死刑を回避するためだろうが犯行当時の心理状態を述べ始めた。その内容を読んだときには、私は深い嫌悪感を覚えた。高裁での差し戻し審で死刑判決が出たこの裁判はまだ完全に終わったわけではないが、取り敢えずは長い年月の間の苦しみや悲しみがいささかでも軽減されたであろう遺族の気持ちは理解できる。このような遺族の感情を死刑廃止論者は、批判したり諭したりできるのだろうか。
最近の殺人事件に対する判決では、被害者が1人の場合には死刑を回避する傾向があるようだが、一方では社会に与えた影響の重大さを考慮した、長崎市長暗殺事件に対する死刑判決もある。どうにも情状酌量の余地がない残忍きわまる殺人事件には、被害者が1人であろうと、死をもって償わせるのは当然だと思う。近頃は何かというとすぐに弁護士が被告の精神鑑定を申請することがあるが、死刑を回避するためのものと思えてならない。
無期懲役は最短10年で仮釈放が認められる。改悛の情が深いとか情状酌量するべき余地があった場合を考慮したものなのかも知れないが、事例によっては殺人事件でなくとも20年もの量刑が下されることがあることを思うといかにも軽く思われる。実際に殺人を犯して無期懲役になり、仮釈放になって再度殺人を犯した者もいる。そのような事件を審理した地裁での審理の判決で、裁判官が「死刑を科すことになおためらいを感じる」と述べて無期懲役の判決を下した記事を読んで、その甘ったるさにひどく不快になったことがある。
私は百歩譲っても死刑を廃止するなら、仮釈放なしの終身刑を設けるべきだと考えているから、今回の議員連盟の提案には賛成する。提案ではなお死刑は存続するようで、それは死刑制度についての賛否両論が拮抗しているような現在の状況では、過渡的処置ということなのだろう。凶悪な犯罪がとみに増えている昨今では、すぐに死刑廃止と言うことには賛成できない。死刑は凶悪犯罪の抑止にはらないとも言われるが、人のかけがえのない命を奪った者には、自分の命で償わせることも必要だろう。無期懲役になって「助かった」などと思わせてはならない。
まったくの素人考えだが、殺人に対する量刑は、死刑―仮釈放なしの終身刑―例えば20年以降に仮釈放の審査を認める終身刑―無期懲役―有期刑、ということではどうだろうか。
前にも書いたが、私は死刑制度に賛成している。死刑廃止論にはいろいろな理由があるようだが、もうひとつ納得できないものを感じている。何か加害者のいのち、人権が前面に出ていて、そこだけを見ると分からないでもないが、ではその加害者のために、たった1つしかないいのちを無残に奪われた被害者はどうなるのか。その人権など云々することもできないことになってしまっているのだ。自分の家族が理不尽に他人に命を奪われるようなことがあっても、死刑廃止論者はやはり持論を守るのだろうか。私には到底できないことだ。
犯行時未成年であったことで、死刑か無期懲役で注目を集めた山口県の母子殺人事件でも、私は死刑が妥当と思っていた。逮捕された当初、この犯人は真実を究明するために奔走する親族を嘲笑するような手紙を友人に送っていたという。それが高裁での審理になると、弁護団が代わったこともあるのか、死刑を回避するためだろうが犯行当時の心理状態を述べ始めた。その内容を読んだときには、私は深い嫌悪感を覚えた。高裁での差し戻し審で死刑判決が出たこの裁判はまだ完全に終わったわけではないが、取り敢えずは長い年月の間の苦しみや悲しみがいささかでも軽減されたであろう遺族の気持ちは理解できる。このような遺族の感情を死刑廃止論者は、批判したり諭したりできるのだろうか。
最近の殺人事件に対する判決では、被害者が1人の場合には死刑を回避する傾向があるようだが、一方では社会に与えた影響の重大さを考慮した、長崎市長暗殺事件に対する死刑判決もある。どうにも情状酌量の余地がない残忍きわまる殺人事件には、被害者が1人であろうと、死をもって償わせるのは当然だと思う。近頃は何かというとすぐに弁護士が被告の精神鑑定を申請することがあるが、死刑を回避するためのものと思えてならない。
無期懲役は最短10年で仮釈放が認められる。改悛の情が深いとか情状酌量するべき余地があった場合を考慮したものなのかも知れないが、事例によっては殺人事件でなくとも20年もの量刑が下されることがあることを思うといかにも軽く思われる。実際に殺人を犯して無期懲役になり、仮釈放になって再度殺人を犯した者もいる。そのような事件を審理した地裁での審理の判決で、裁判官が「死刑を科すことになおためらいを感じる」と述べて無期懲役の判決を下した記事を読んで、その甘ったるさにひどく不快になったことがある。
私は百歩譲っても死刑を廃止するなら、仮釈放なしの終身刑を設けるべきだと考えているから、今回の議員連盟の提案には賛成する。提案ではなお死刑は存続するようで、それは死刑制度についての賛否両論が拮抗しているような現在の状況では、過渡的処置ということなのだろう。凶悪な犯罪がとみに増えている昨今では、すぐに死刑廃止と言うことには賛成できない。死刑は凶悪犯罪の抑止にはらないとも言われるが、人のかけがえのない命を奪った者には、自分の命で償わせることも必要だろう。無期懲役になって「助かった」などと思わせてはならない。
まったくの素人考えだが、殺人に対する量刑は、死刑―仮釈放なしの終身刑―例えば20年以降に仮釈放の審査を認める終身刑―無期懲役―有期刑、ということではどうだろうか。