中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

自己責任

2008-06-25 09:13:51 | 身辺雑記
 たまたまテレビで、近隣のある市の広報番組を見た。そこでその市の児童公園で幼い子ども達が砂遊びをしている場面があったが、そこへ「(子ども達は)自己責任で遊びを楽しんでいます・・・」というナレーションが入った。これはいったいどういうことなのかと首を傾げてしまった。

  「自己責任」という語は、自分で蒔いた種は自分で刈り取らなければならないと言う意味で、主に証券取引などの分野で言われていた概念なのだそうだ。それが非常にポピュラーに使われだしたのは、イラクでボランティア活動をしていた3人の日本人がゲリラに人質となった事件の時からだった。彼らに左翼思想の傾向があったためか、時の政府は彼らの行為を厳しく批判し、その際にこの「自己責任」が使われて、多くの国民もこれに乗って、本人や家族達に激しいバッシングを浴びせかけた。私の友人の1人は彼らをバカ呼ばわりさえしたものだった。解放された後で、ある与党の幹部は、帰国に要する航空運賃を本人達に負担させよというみみっちいことまで発言した。人質になった1人が解放後に、「それでもイラク人が嫌いになれない、今後もイラクでの活動を続けたい」と言ったことに対して時の首相は「まだそんなことを言うのか」と激しく非難した。外国では欧米や韓国などのメディアは好意的に捉えていたらしく、例えば米国の国務長官は彼らの行為を評価し賞賛までしたのだが、日頃は対米一辺倒の当時の首相はそのような発言は一顧だにしなかった。民間人の国際貢献ということに対する彼我の考え方の違いが明らかになったし、為政者が自分達の意に沿わない者をマスメディアも使って叩き、それに煽られて国民が自国の少数者を打ちのめすようになることは、かつての戦時中の「アカ」、「国賊」を思い出させるような事件だった。

 以来この自己責任という語は、またたく間にすっかり馴染みのあるものになって定着したが、それはかなり恣意的に使われることにもなって、ある大手の人材派遣会社の女社長が「経営者は過労死するまで働けなどとは言わない。過労死なども含めてこれは自己管理だ」と言って物議を醸したこともあった。このように何でも彼でも自己管理、自己責任の問題にすり替えて、ある立場の者にとっては極めて好都合で、自らの責任を回避し曖昧にする使い方になっていった傾向もある。そこにはそう言われた者が何らかの不利を蒙ったばあには、「自業自得」だと決め付ける意味も含まれてくる。健康を害したのも、失業したのも、倒産したのも何もかも自己責任ということにされては、「運命だ」と言われる以上に冷酷なことではないか。言葉が独り歩きすると無責任な使い方をするようになる。

 最初に戻って、市の児童公園で「子ども達が自己責任で楽しんでいる」と言うことは、まさか事故があっても市は責任を負いませんと言うことではないだろう。どうも意味不明なのだが、子ども達は思い思いに自分達で遊びを考えながら楽しんでいると言いたかったのだろうか。言葉は一瞬のうちに消え去るものであるだけに、丁寧に使ってほしいし、「自己責任」という言葉が乱発されることは願い下げにしてほしいと思う。