中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

父の日

2008-06-15 10:03:13 | 身辺雑記
 今日、6月15日は父の日である。父の日はその年の6月15日~21日のうちの第3日曜日に該当する日となっている。朝刊に目を通して一息入れていたら、長男夫婦から父の日のプレゼントが届いた。私の好きな色のポロシャツだった。今ではプレゼントをもらうことはめっきり少なくなっているので、嬉しさもひとしおである。

 今年の父の日のセールの売れ行きはどうもよくありませんと、メンズショップを営む卒業生が言っている。普段でもオヤジのものは後回しになるようですからねえとも言った。わざわざ衣類などを贈るよりも、ビールを数本などと簡単に済ましてしまうのではないかという憶測だ。真偽のほどはともかくとして、最近の家庭での父親の権威の低下を表しているようでわびしくもなる。

 ところで、母の日はアメリカから来たものだが、父の日は?と聞いたら、さあ日本の習慣でしょうと少々覚束ない返事だった。ではまた、バレンタインデーに対するホワイトデーのように商売人の仕掛けかと思ったのだが、家に帰って調べてみると、父の日も発祥は米国だった。

 1910年と言うから100年ほど前のことだが、ワシントン州のドットという婦人が、母親の死後、男手1つで6人の子どもを育ててくれた亡き父親を讃えて、父親の誕生日の6月に教会の牧師に礼拝をしてもらったのが始まりだそうで、彼女は当時すでにあった母の日に対して父の日もと願い出たそうだ。アメリカでは1916年に父の日が認められ、1972年に国民の祝日に制定されたとのことである。なかなか味わい深い由来の、由緒正しい日であったのだ。日本でも50年代に知られるようになったが、母の日比べると影は薄く、商戦に利用される程度で、それも卒業生が言っているようにあまりぱっとしないようだ。

 母の日にはカーネーションを贈るということは誰でも知っているだろうことだが、父の日の花は?となるとこれも戸惑う。前述の婦人が父の日に父の墓前に白いバラを供えたことから、バラとなっているそうだ。生存している母親には赤いカーネーションを贈るが、元気でいる父親には赤いバラを贈るのかどうかは知らない。