中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

高速水着

2008-06-18 09:05:27 | 身辺雑記
 北京オリンピックも近く、新聞のスポーツ欄やテレビのスポーツタイムはいろいろな話題で賑やかだ。最近の大きなニュースは水泳の各種競泳種目で世界新記録や日本新記録が続出していることで、この記録を作った「立役者」として英国のスポーツ衣料メーカー製の水泳着が一躍脚光を浴びた。

 この水着はレーザー・レーサー(LZR)と言い、アメリカ航空宇宙局や大学、専門家の協力によって開発されたものだそうだが、各部分の継ぎ目を超音波で溶着して縫い目がなく、水の抵抗が軽減され、撥水性にも優れていると言われる。着用した各選手は着た途端にこれは違うと思ったそうだから、よほど革新的なものなのだろう。日本水泳界の期待の星で2大会連続2冠を狙う北島康介選手が、この新しい水着を着用して男子200メートル平泳ぎで2分7秒51の世界新記録を樹立した。日本水連は北京オリンピックでは、この水着の選択を選手に任せることを決定したから、これを着ける選手は増えるだろう。



 選手個人の競技能力以上に使用する道具などの性能が記録に大きく影響することは、目新しいことではない。スキーの滑降競技などはもはや測定機器に頼らなければ勝敗の判定はできなくなっているが、この何百分の一秒かの記録の差は、スキーの板に塗るワックスの差だと言われている。その点では水泳競技は男子なら水泳パンツ姿で、選手の体型や能力の差が記録を左右していた。それが新しい水着の出現で選手の姿も様変わりするわけだ。競技の進歩とはそういうものかも知れないが、いくら用具などが発達しても、やはり競技の主体は人間ではないのかと、もうひとつすっきりしない感じになるのは、たぶん私が時代遅れのせいなので、結局は勝敗以上に記録ということにこだわるのが今のスポーツ全般の傾向なのだろう。

 ところで、世界記録を達成した北島選手は「もちろん金メダルしか頭にはない。取れなかったら、日本に帰ってこられない」と言い切ったとある記事にあったが、私はこの「(金メダルを)取れなかったら、日本に帰ってこられない」という発言に違和感を覚え、これが私がオリンピックというものに何やら腰が引けるような感じを抱くことなのだ。勝敗を競う以上は勝つこと、それも優勝することを目指し、そのためにたゆまぬ努力をするのは当然のことだし、そこに美しさや感動がある。勝敗はその結果なのだが、オリンピックではそれ以上に「国家」と言うものが前面に出がちであることに違和感を覚えるのだ。やれ金メダルをいくつ取ったとか、銀がいくつ、銅は、トータルでメダル数はいくつかとかと騒ぐのは嫌いだ。獲得メダル数を言うのなら、選手を多く擁する米国や中国、ロシアなどの大国が有利であるのに決まっている。北京オリンピックの主催国である中国は、その威信にかけても最多のメダル獲得を目指すと言っているようだが、正直言ってつまらないことだと思う。主催国として心掛けることは、各国からの選手達のためににいかに快適な競技環境を作るかと言うことだろう。

 オリンピックは世界各国から人種を超えて選手達が集まり、それぞれが全力を尽くして競い合うところにすばらしさがあるので、「日の丸を背に」などとマスコミが好むような文句は願い下げだ。北島選手が「(金メダルを取れなかったら)日本に帰ってこられない」と言ったのは、オリンピックにかける決意の程を表現したのだろうが、これまでの日本選手にしばしばあった、過大な期待を背負ったために十分な結果を出せなかった轍を踏まないように、自分の目標、夢の実現を目指してのびのびと泳いできてほしい。