また、陰惨なひどい事件が起こった。東京の秋葉原での無差別殺傷事件だ。
秋葉原の歩行者天国の交差点に、2トントラックが突っ込み歩行者をはねてから、運転していた男が車を降りてサバイバルナイフで警察官や歩行者を次々に刺した。その結果7人が死亡し10人が負傷した。目撃者によると男は歩行者たちに馬乗りになって刺し、その際に奇声を発したり、笑いながら逃げる者を追い回したという。
警察官に取り押さえられた犯人の男は静岡県の裾野市に住む25歳。レンタカーで東京に来て殺傷事件を起こしたようだが、「人を殺すために静岡から来た。襲うのは誰でもよかった」と言い、動機らしいものについては、「世の中が嫌になった。生活に疲れた」などと供述しているらしい。
言いようのない理不尽な話で、「誰でもよかった」のその対象になって殺された被害者の不運や家族の嘆きを思うと心底怒りを覚える。まったく異常としか思えない行動だが、明確な殺人の意志を抱き、車を運転してわざわざ遠く離れた東京の繁華街に来て犯行に及んだたことは、心神耗弱状態にあったとは思えない。それにしても生活に疲れ世の中が嫌になったにしても、どうして誰でもよいから人を殺そうという気になるのだろう。冷酷なことを言うようだが、それなら近くにある富士の原生林にでも入って、人知れず死ねば良いのだ。自分で死ぬことは怖くてできないから、人を殺して死刑になろうとでも考えたのかも知れないが、身勝手な考えとしか言いようがない。
事件のあったのは、7年前に大阪府池田市での大阪教育大学付属小学校に侵入した男が児童8人を包丁で刺し殺した衝撃的な事件があった日に当たる。このときの犯人は「大量殺人して死刑になりたい」という、これも身勝手で自暴自棄な動機を供述していたが、最後まで反省も謝罪もせずに死刑を執行された。
今年の3月には茨城県土浦市のJRの駅構内で、若い男が男女8人を包丁で刺して1人が死亡する事件があった。このときの犯人は逃走中に携帯電話で「早くつかまえてごらん」と警察を挑発し、逮捕後も「人を殺すなら誰でもよかった」と言っていた。
今回のように無差別大量殺人の犯人は、おそらく逃げおおせるとは思わず、つかまればほぼ確実に死刑になることを自覚していただろう。11年前にも睡眠薬を大量に飲んだ男が、山口県下関市のJR駅構内に車を突っ込ませてから包丁で乗客たちを襲い、5人が死亡し、10人が重軽傷を追った事件があった。この犯人は一審、二審とも死刑の判決を受けている。
大量殺傷ではないが、通り魔事件はしばしば起こっている。秋葉原の事件の当日の夜には、名古屋市内の路上で帰宅途中の中学1年生の女生徒が男に刃物で刺されている。幸い刃物は女生徒がズボンの前ポケットに入れていた財布で止まったので怪我はなかったようだが、男は逃走した。このような単独の通行人を狙った通り魔事件はしばしば起こっていて死者も出ているが、通りすがりの犯行はなかなか犯人が特定できないようだ。犯人は相手が誰でもよかったのだろうが、被害者は不運としか言いようがない。
いったいこのような陰惨な事件が頻発するのにはどんな背景があるのだろうか。社会に問題があるのか、個人の性格や環境の問題か。私は社会学者でも心理学者でもないから分からないが、おそらくは両方に原因がある、現在の日本の病理現象ではないだろうか。ある日突然、まったく自分とは無関係の人間に、何の前触れもなく襲われることが、虚構でも他人事ではなくなってきているようで慄然とする。
秋葉原の歩行者天国の交差点に、2トントラックが突っ込み歩行者をはねてから、運転していた男が車を降りてサバイバルナイフで警察官や歩行者を次々に刺した。その結果7人が死亡し10人が負傷した。目撃者によると男は歩行者たちに馬乗りになって刺し、その際に奇声を発したり、笑いながら逃げる者を追い回したという。
警察官に取り押さえられた犯人の男は静岡県の裾野市に住む25歳。レンタカーで東京に来て殺傷事件を起こしたようだが、「人を殺すために静岡から来た。襲うのは誰でもよかった」と言い、動機らしいものについては、「世の中が嫌になった。生活に疲れた」などと供述しているらしい。
言いようのない理不尽な話で、「誰でもよかった」のその対象になって殺された被害者の不運や家族の嘆きを思うと心底怒りを覚える。まったく異常としか思えない行動だが、明確な殺人の意志を抱き、車を運転してわざわざ遠く離れた東京の繁華街に来て犯行に及んだたことは、心神耗弱状態にあったとは思えない。それにしても生活に疲れ世の中が嫌になったにしても、どうして誰でもよいから人を殺そうという気になるのだろう。冷酷なことを言うようだが、それなら近くにある富士の原生林にでも入って、人知れず死ねば良いのだ。自分で死ぬことは怖くてできないから、人を殺して死刑になろうとでも考えたのかも知れないが、身勝手な考えとしか言いようがない。
事件のあったのは、7年前に大阪府池田市での大阪教育大学付属小学校に侵入した男が児童8人を包丁で刺し殺した衝撃的な事件があった日に当たる。このときの犯人は「大量殺人して死刑になりたい」という、これも身勝手で自暴自棄な動機を供述していたが、最後まで反省も謝罪もせずに死刑を執行された。
今年の3月には茨城県土浦市のJRの駅構内で、若い男が男女8人を包丁で刺して1人が死亡する事件があった。このときの犯人は逃走中に携帯電話で「早くつかまえてごらん」と警察を挑発し、逮捕後も「人を殺すなら誰でもよかった」と言っていた。
今回のように無差別大量殺人の犯人は、おそらく逃げおおせるとは思わず、つかまればほぼ確実に死刑になることを自覚していただろう。11年前にも睡眠薬を大量に飲んだ男が、山口県下関市のJR駅構内に車を突っ込ませてから包丁で乗客たちを襲い、5人が死亡し、10人が重軽傷を追った事件があった。この犯人は一審、二審とも死刑の判決を受けている。
大量殺傷ではないが、通り魔事件はしばしば起こっている。秋葉原の事件の当日の夜には、名古屋市内の路上で帰宅途中の中学1年生の女生徒が男に刃物で刺されている。幸い刃物は女生徒がズボンの前ポケットに入れていた財布で止まったので怪我はなかったようだが、男は逃走した。このような単独の通行人を狙った通り魔事件はしばしば起こっていて死者も出ているが、通りすがりの犯行はなかなか犯人が特定できないようだ。犯人は相手が誰でもよかったのだろうが、被害者は不運としか言いようがない。
いったいこのような陰惨な事件が頻発するのにはどんな背景があるのだろうか。社会に問題があるのか、個人の性格や環境の問題か。私は社会学者でも心理学者でもないから分からないが、おそらくは両方に原因がある、現在の日本の病理現象ではないだろうか。ある日突然、まったく自分とは無関係の人間に、何の前触れもなく襲われることが、虚構でも他人事ではなくなってきているようで慄然とする。
