中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

「じいじ」と「ばあば」

2009-07-11 10:25:01 | 身辺雑記
 全国の成人803人を対象にした国立国語研究所の「国民の言語使用と言語意識に関する全国調査」によると、祖父母を「じいじ」「ばあば」と呼ぶ大人が4人に1人いることがわかったそうだ。

 全国平均は「じいじ」と呼ぶのが23.5%、「ばあば」と呼ぶのが23.7%で、「じいじ」が女性26.7%、男性20.2%、「ばあば」が女性28.9%、男性18.2%が使っているとなっていたようだ。若い世代ほどよく浸透していると言う。地域的な偏りもあり、首都圏に比べると近畿、九州に行くにしたがって使用率は低くなっているが、「じいじ」も「ばあば」も首都圏から全国に広がりつつ呼称らしいと言う。

 元来「じいじ」は「祖父(じじ)」が「ばあば」は「祖母(ばば)」が音変化した幼児語だそうだ。調査の担当者は「親しみをこめた新しい表現として広まっているようだ。あかぬけたニュアンスも感じられ、そこが特に首都圏の母親などに受け入られ広まりつつあるのではないか」とコメントしているそうだ。垢抜けしているかどうかはともかくとして、親しみのあるやわらかい表現だとは思う。優しい語感が若い人には受けているらしい。

 私の場合は、いささか垢抜けしないが「オジイ」と呼ばれている。長男の最初の娘がまだ1歳を少し過ぎた頃、たどたどしい口調で「オジイチャン」と言おうとしたのが後が続かず、それが可愛かったので定着した。妻はこれもその孫娘が言い始めた「パッチャン」と呼ばれていた。「オバアチャン」が十分に言えなかったからだが、妻はこう呼ばれることをとても気に入っていた。ひと頃は息子達や嫁達も「オジイ」「パッチャン」と呼んでいた。

 私は誰が見てももうひとかどの老人だ。それに逆らうことなく甘受しようと思っているから、「おじいさん」と呼ばれることに抵抗はまったくない。中国の友人達は私を爺爺(イェイェ)とか、お爺ちゃん、お爺さん、東京にいる施路敏は「爺ちゃん」と呼んでくれていて、それを聞くのは快い。人によっては他人に「おじいさん」、「おばあさん」と呼ばれるとむっとするのがいるそうだ。かつて中国の旅で知り合ったある老婦人は、中国で通訳に「おばあさん荷物を持ちましょう」と言われて、「私はあなたに、おばあさんと言われることはありません」と叱責したと話したが、何とも可愛げのないバアサンだと思った。





便所飯

2009-07-10 09:35:42 | 身辺雑記
 何とも汚らしい語感の言葉だが、こんな言葉で表わされる現象(行為)があることを新聞の記事で初めて知った。読んでみると一驚もので、本当なのかと呆れてしまった。

 それによると、東京大学のある学生がキャンパス内の男子トイレで見つけた張り紙には、「トイレ内で以下のような行為を禁止します」とあり、「喫煙」「落書き」「食事」の写真があり、それらに大きくバツ印がつけてあった。喫煙や落書きは当然にしても、食事とはどういうことか。さらに「監視カメラ作動中」「違反者にはトイレ使用禁止などの処分を行います。東京大学」とあって、いかにも大学当局の張り紙と思わせるもののようだ。いくら何でもトイレに監視カメラはあるまいと思うが、大学側はもちろん否定し「学生のいたずらだろうか」と言っているようだ。

 便所内での禁止事項として「食事」などとあれば、いたずらとすぐ分かるだろうと思うことなのだが、実はトイレの個室で食事をするという常識としては考えられない行動は、「便所飯」「トイレ飯」と言われて学生を中心に若者の間に広がっているのだそうだ。類似の張り紙は東京大学だけではなく、関西や名古屋の大学のトイレでもあったそうで、インターネットを通じて広まったらしいから、便所飯は全国的傾向になりつつあるのかも知れない。

 それにしても、本来排泄を行う場所で食事をするとはいったいどういう神経なのかと呆れる。いくら近頃のトイレは水洗式で清潔で、かつての「便所」というようなイメージではないと言っても、しょせんは排泄の場だ。直前に誰かが使用していたかも知れないではないか。それへの抵抗感がないのは理解できない。私なら自分の家のトイレでも、食事どころか菓子を食べる気にもならない。それは清潔であるとかないとか言うことではない。心理的な制約だ。

 このようなこれまでの常識の埒外の行動は、最近の学生の中に見られる孤食の成れの果てのようだ。近頃は友達がなくキャンパス内で孤独であると、学生食堂などで1人で食べているのを見られるのが嫌で、「個室」であるトイレで食べるということになるようだ。孤独で人の目を気にする、このような若者が増えて「便所飯」ということが起こっているのだとすれば、これは一種の病理現象ではないだろうか。とにかく群れていなければ落ち着かず、疎外感を覚えるということが根底にあるのだろう。若い時代には時には孤独を楽しみ沈思するということがあってもいいと思うのだが、それはもはや非現実的なことなのか。

 青春まっただなかの若者、しかも大学生が、トイレにこもってぼそぼそと食事している姿は、おぞましいと言うか、薄気味悪いもので、それだけに留まっていれば滑稽だと済まされるかも知れないが、大阪大学でコミュニケーション論を担当しているある教授は、便所飯から始まって、退学や引きこもりに至ってしまう心配があるとコメントしているようで、そうかも知れない。



痛ましい話

2009-07-09 08:48:26 | 身辺雑記
 先月の下旬のことだが、新潟県三条市で駐車場に置いた車の中で、1歳と11ヶ月の男の子が2人、熱射病のために死亡した。

 関東方面に旅行に子ども連れで出かけた両親が午前5時半ごろに帰宅し、子ども2人が寝ていたので車内に寝かせておいた。午後0時半ごろ、母親が様子を見に行って子ども達の異常に気づき119番通報して近くの病院に搬送したが死亡した。駐車場は屋根がないため直射日光が車内に差し込み、温度が上昇したようだ。当日の三条市は昼過ぎに29度を超える7月下旬並みの気温だったと言う。

 なぜ幼い子どもを7時間も車の中に寝かせておいたのだろうか。両親は夜の車の旅に疲れて寝込んでしまったのかも知れない。5時半ごろはまだ涼しかったにしても、やがて暑くなっていることを考えなかったのだろうか。なぜ自分達と一緒に家に連れ帰らなかったのか、掛けがえのないわが子を喪った悲しみは想像して余りあるものだ。警察では保護責任者遺棄致死の疑いもあるとみて調べていると記事にあったが、時折ある子どもを車の中に放置してパチンコに夢中になって死なせてしまうという親のエゴということではなく、まして故意に遺棄したわけではあるまいが、やはり無分別で思慮が浅かったという誹りを受けても仕方がない。

 1歳(おそらくは2歳に近かったのだろう)と11ヶ月と言えばどちらも可愛い盛りで哀れというほかはない。とりわけ11ヶ月の男の子と言うと、西安の謝俊麗の息子の麦豆(マイトウ)と同じくらいの年頃だから、その可愛い顔が重なって涙を催すような思いがして胸が痛んだ。若い両親は1月もたってない今も涙が涸れることはなく、日夜後悔の念にさいなまれているのではないかと痛ましく思う。

 先日会った卒業生が、幼い子をプールに連れて行っても、子どもが水に入っている間、携帯電話の画面を見るのに夢中になっている若い母親が少なくないと苦々しそうに言っていた。親は幼い子どもから目を離せば、どんな突発的なことが起こらないとも限らないということを肝に銘ずるべきだ。

 



誰でもよかった

2009-07-08 09:06:59 | 身辺雑記
 またしても殺人容疑者の口からこんな言葉が出たらしい。大阪のパチンコ店が放火されて全焼し、死者4人、重軽傷者19人が出た惨事の容疑者が山口県の岩国警察署に出頭し、大阪府警に逮捕された。

 容疑者は41歳の男で、ホームセンターで購入した容器に、ガソリンスタンドで購入したガソリンを入れて現場のパチンコ店に行き、入り口付近でガソリンを撒いて火をつけた。逃げ遅れた人達が焼死したり一酸化炭素中毒死したりしたのだが、この男「通り魔みたいに誰でもいいから人を殺したいと思い、人が多数いるところに火をつけた」と言い、大量殺人を計画してガソリンを使ったようだ。動機はまだはっきりしていないが、「仕事も金もなく、人生に嫌気をさした」とも言っているようだ。

 41歳と言えば、昔なら「不惑」とされる年齢を超えているが、いくらそのような言葉は今時の40代には当てはまらないと言っても、この男の言動は常軌を逸している。近頃高校3年生が、他校の年下の生徒を撲殺したり、駅で同級生を刺殺したりした事件が相次いだが、人の命を奪うということがどれほど重大な行為かということに考えが及ばないのは本質は同じことだ。高校生の犯行理由は、自分が好意を持った女生徒を苦しめている者は存在させられないとか、仲が良かったのに冷たくなったとか、それくらいのことでなぜ簡単に殺意が起こり、実行するのかとまったく理解ができなかったが、少々荒っぽい言い方をすれば彼らにはまだ「動機」らしきものはある。しかし、まだ解明されていないにしても、この男の「動機」はあまりにも理不尽なものだ。被害者は浮かばれないし、遺族の怒りはどれほど激しいかと思う。

 批判を受けることを承知で言うならば、「人生に嫌気をさした」のなら自分にガソリンをかけて火をつけたらいいのだ。そんな身勝手な理由で何の恨みを受けることもないのに「誰でもいい」からと、たった1つしかない命を奪われてはたまらない。それにしても人生に嫌気をさしたからと言って、多数のゆかりもない人を殺そうという考えがどうして起こるのか、またそれをどうして実行できるのか、いくら考えても理解できない。少なくとも正常な行為ではないから、いずれ法廷では弁護人がまたぞろ「心神耗弱」だったと申し立てて刑の軽減を求めるのだろう。


七夕

2009-07-07 16:38:30 | 身辺雑記
 今日は七夕の日。あいにく梅雨の最中のこととて、空は曇っている。昨夜のテレビの天気予報では、沖縄地方を除いて全国的に曇り空と言っていた。これで3年連続の曇り空の七夕だ。

 新聞の読者の声欄に、奈良市在住の84歳の男性の投書が載っていた。「小さいころ、四国の農村でおよそ1カ月遅れの旧暦で七夕を祝ってきた私には、新暦の七夕はどうもなじめない。梅雨の最中だから、星空を見上げる日も数少ない」という出だしで、更に続けて

 「中国から伝えられたとされる七夕行事は旧暦が中心であり、星座の配置にも由来するものである。七夕としての正しい星の配置は旧暦のころに出現する。従って新暦の7月7日を七夕とすることは適当でない。俳句の季語でも七夕は秋の部に属する」

 と、なかなか説得的である。私は都会育ちだったから、幼い頃でも旧暦で七夕を祝ったことはないが、かねてから節句など古来の行事は旧暦で行うほうがいいという考えを持っていて、このブログにも書いたことがある(07.07.07)。これも書いたことだが、私の最後の勤務校におられ、今は故人になられた女性のO先生は国語担当で古典の造詣が深かった方だが、私に七夕は旧暦にするのが良いと説明されたのが印象に残っている(06.10.10.)。七夕は星祭とも言うから、やはり星空が眺められる季節がいい。

 近くの複合商業施設では今年も七夕飾りをしていた。通りがかりの者が短冊に願い事を書いて笹の葉に結んでいく。夫婦連れや中高年者、高校生なども書いていた。私は「麦豆や宸宸が元気に育ちますように」と書いた。










     

     

 短冊に書かれたものを見ると、自分の将来の願い、家族への思い、少し欲の表れたもの、思わず笑ってしまうものなどさまざまだが、星の数ほどもある願い事を読んでいくと、何か心が温まる思いがした。こういうときには誰もが素直な良い心になるのだろう。


  ささの葉さらさら のきばにゆれる お星さまきらきら きんぎん砂子
  ごしきのたんざく わたしがかいた お星さまきらきら 空から見てる

 懐かしい童謡だが、打ち水をした自宅の庭で星空を見上げて七夕の宵を楽しむ良い風習は、日本ではもうほとんど失われているのではないか。地方ではまだ残っているのかも知れないが、集合住宅の多い都会ではまずないだろう。まして梅雨のさなかの新暦のころに七夕の風情を求めるのは無理というものだ。それでもいつまでも残ってほしい風俗だと思う。

 


クレーム

2009-07-06 08:42:15 | 中国のこと
 西安の李真は中国国際旅行社という国営の旅行社に勤めている。日本の旅行社からのツアーの見積もり要求に応えたり、ツアーを手配したりしているが、トラブルやクレームにも対応しなければならず、なかなか大変なようだ。

 先日はある日本人ツアー客から来たクレームの話をしてくれた。青海省のゴルムドとチベットを観光した60代半ばの男性で、ゴルムドのホテルで酒を飲んで体が熱くなったようだが、高原地帯のゴルムドではまだ暑い時期ではないのでクーラーが入っていなかった。そのことで腹を立ててロビーで大声で怒鳴ったようだ。また客室には湯沸しポットと茶、湯飲みが同じ場所に置いてなくて分かりにくいと、それにも腹を立てたらしい。ガイドを叱りつけ、ガイドを通じて李真に伝えられたようだ。日本に戻ったらクレームを出すと言ったそうだ。

 実に情けない話だと思う。酒癖が悪いのか短気な性格なのか、そのような些細なことで怒鳴るとは恥ずかしい限りで、このような輩に外国旅行をする資格などはないとさえ思える。李真は、怒りやすい人なので、しようがない、わがままなお客様ですと言ったが、日本人の恥さらしだ。李真はまた、どこにもこんな人がいる、このお客様自身もずっと他人を非難して楽しくない、苦しいだろうとも言った。ファーストクラスの客で金持ちのようだが、人間としてはきわめて品性が卑しく、心貧しい人物なのだろう。李真は何とか日本の旅行社と連絡を取って処理したようだが、後を引くかも知れない。

 いわゆる「富裕層」や「有名人」に属する者の中には、それだけで自分が衆に抜きんでた存在で、何をしても、何を言っても許されると勘違いしている輩がままいるようだ。以前読んだある本には、ある世界的な日本企業の会長(実名で書かれているがここでは伏せる)が妻同伴で飛行機に乗ったとき、妻はミールサービスの際にナプキンに包まれたフォークやナイフがテーブルの上に心持曲がって置かれただけでスチュアーデスを叱り、謝られてもアシスタント・パーサーを呼びつけて同じことを言い、更にキャビンの責任者であるチーフ・パーサーも呼びつけたという話を紹介している。その間夫は黙って本を読んでいたそうだ。このようなのはまさに虎の威を借る狐と言うのか鼻持ちならない女だし、財界では有名人の夫も、そのような成り上がり者のような妻の言動をたしなめることもできない、卑小な人物だ。これは極端な例にしても、このような思い上がった言動の者は決して稀ではないのだろう。

 先年、四川省の成都で知り合ったガイドの雷鳴(レイ・ミン)君は、チベットに団体客を連れて行った際に、その中の1人の中年男性のわがままとも言えるクレームを受け、「おまえはバカだ」と罵られたことがあったそうで、聞いているだけで不愉快で腹が立ったことがあった。

 クレームの中には正当な、聴くべきものもあるのだろうが、理不尽なものも少なくないようで、李真が受けた事例の根底には、日本人によくあるサービス業従事者を見下す横柄さや、中国人への蔑視があるような気がする。



誕生日

2009-07-05 09:28:20 | 身辺雑記
 76歳の誕生日を迎えた。いよいよこれから越えなければならないハードルとして設定した77歳まで後1年になった。77歳をハードルとしたのは、父が77歳を迎える少し前に逝ったからで、まずそれを越えようということだ。それに喜寿の年齢でもある。還暦とか喜寿などは数え年齢によるのだそうだが、今頃は数え年は旧いので、私は満年齢によることにしている。

 先日あまり使っていない引き出しの中から、妻からもらったバースデーカードが出てきた。定年退職した年、すなわち還暦を迎えた時のものだ。妻のことだからおそらく何かプレゼントもしてくれたはずだが、妻には申し訳ないが忘れてしまった。このカードも長い間忘れていた。いささか面映いが、「大好きな貴方に お誕生日おめでとうございます」という出だしで、その後「おかげさまで息子達は立派に成長し、可愛い孫達もいます。娘達(嫁達のこと)も幸せを運んでくれます」とあり、その後も続いていて、懐かしく読み返した。あれから16年たった。あのときには考えもしなかったことだが、今ではその妻はいない。寂しいことだとあらためて思う。しかしそれでも、今年も嬉しいことがいくつもあった。

 次男が夏の帽子を贈ってくれた。日差しが強くなってきたので買おうかと考えていたところだった。長男は毎年誕生日に近い父の日にプレゼントしてくれる。いつも夏のカッターシャツで重宝している。

 私が高校でクラス担任として最初に送り出したクラスの生徒達が、誕生日を機会に前日に神戸で集まってくれた。人数は多くなかったが、昔話が飛び交い、楽しいひとときを過ごすことができた。私よりも10歳年下の彼、彼女らも、ひとかどの年齢になっているが、往年のゴンタ坊主も立派になっているのが嬉しかった。
 
 いつものHg君夫妻とHr君、Ko君が夕食で祝ってくれ、楽しいひと時を過ごした。皆高校の生物クラブの卒業生だが長い付き合いで、年齢は一回り違うが、今では「師弟」と言うよりも仲間のようなものだ。

 彼らと同じ学年のある女の子(卒業生はいくつになっても「子」だ)は、毎年カードを贈ってくれていたが、今年は電話をくれた。久しぶりなのでひとしきり話をしたが、こういう卒業生の心遣いも嬉しいものだ。

 知的障害者の施設を経営しているSiさんと、中国語教室の学友だったSaさん、2人の知人が誕生祝のメールをくれた。いつも覚えてくれている。

 いつもインタネットでチャットしている西安の謝俊麗は、「爺爺 お誕生日おめでとう」と題した動画を送ってくれた。主役は息子の麦豆(マイトウ)で、「I  爺爺」と書いた赤い紙の王冠を被せられて、私のために用意してくれたらしいケーキの前に座り、俊麗が文楽の人形遣いよろしく、後ろから麦豆の両腕を持って、「祝你生日快楽(チュニ・ションリ・カイルァ)お誕生日おめでとう」の歌に合わせて手を叩いたり、投げキッスしたり、踊ったり、ケーキの蝋燭の火を吹き消したりと、いろいろなパフォーマンスをさせたが、いかんせん10ヶ月に満たない赤ん坊だから、何をさせられているのか分からない覚束ない顔つきと様子が何ともおかしく可愛く、終いにはケーキのチョコレートに指を突っ込んだりしたので笑ってしまった。日頃私が麦豆を可愛く思っているのを知っている俊麗がこのような企画をしてくれたようだが、本当にひ孫の祝福を受けているようで、嬉しく幸せに思った。

 西安の李真も動画を送ってくれた。息子の宸宸(チェンチェン)を膝に乗せて、「祝你生日快楽」の歌を歌いながら、宸宸の両手を開いたり閉じたりしている。宸宸もまだ5ヶ月を過ぎたばかりだから何ををさせられているのかは分かっていないのだが、そのおっとりした無邪気な表情が可愛い。

 東京にいる上海の施路敏からは今年もプレゼントが届いた。小型のバッグで、ちょうどほしいと思っていたものだから、非常に嬉しかった。路敏は毎年心づくしの品物を贈ってくれる。私の誕生日のために、いろいろ考えてくれる心遣いを可愛く思う。

 大阪にいる西安の邵利明からは「おめでとうございます」と電話があった。Hr君達との食事に参加したかったようだが、会社の出勤日なので残念ですがということだった。

 先日湖南省に行った帰途に広州で短時間会った伍海珠は、天然藍色虎目石の腕輪を誕生祝にプレゼントしてくれた。付けてあった手紙に「お体に健康と活力を与える能力とまよけの力を持っているそうです」とある。最近足が痛むと話していたので気遣ってくれたようだ。その心遣いが嬉しくてずっと左の手首に着けている。 

 新疆ウイグルのウルムチにいる趙戈莉も毎年プレゼントの品を送ってくれるが、今年も送りましたよとチャットで言った。今年のプレゼントは彼女の夫のお勧めだそうだ。遥か遠い新疆からのプレゼント、これも嬉しいものだ。

 上海の唐怡荷がチャットで祝ってくれた。彼女との付き合いも長いが、いつもいろいろと気を遣ってくれる。

 湖南省出身で寧夏回族自治区の銀川の対外友好協会の職員で、今は島根県に出向している宋潔もメールで祝ってくれた。土家族の彼女は日本語がなかなか上手い。 

 こうして今年の誕生日も、たくさんの人達の善意で心豊かに過ごすことができたことを心から有難く思う。これを糧にしてこれからの1年を充実して過ごすようにしよう。

背籠

2009-07-02 21:58:30 | 中国のこと
 桑植県は農業県で、いわばイナカである。県城(県政府所在地)は日本の地方小都市よりは大きいがやはり鄙びていて、街を行き交う人たちも農民が多いようで、その多くが竹で編んだ籠を背負っている。背籠(ベイロン)と言い、なかなか便利なようで何でも入れている。日本でも昔は農民が使っていたもので、時代劇などによく出てくる。おそらく竹が多いアジアの農村地域では普遍的に使われているのではないか。省都の長沙から来た通訳の曾さんに、長沙でも見かけるかと尋ねたら、ありませんよと笑った。やはりイナカのものなのだろう。
 県城の定期市で見かけた風景。買い物客の多くが背籠を背負っている。










 少し小さめのものに幼児を入れて背負っている姿もよく見かける。これは小背籠(シャオベイロン)と言うようで、日本の街で見かけるベビーキャリアーのようなものだ。曾さんは、湖南には『小背籠』という有名な民謡があります、幼い時にお母さんの背の小背籠で揺られながらいろいろなものを見た思い出を歌ったものですと言って、教育局の王さんと口ずさんでくれたが、懐かしさを感じさせるしみじみとした好い節回しだった。

 夕方の広場で見かけた祖母と幼児。これは竹籠ではなく竹で作った椅子のようなもので、家では椅子として使うのではないか。こちらの呼びかけに無邪気な笑顔を返した可愛い子だった。


 教育局の王さんがおみやげにくれた背籠の工芸品。細い籤(ひご)を編んで精巧に作られている。帰国途中で泊ったホテルの女性の従業員は「きれい!」と言い、どこのものかと尋ねた。やはり珍しく思ったのだろう。帰ってから青銅製の花瓶にリンドウを生け、籠の中に入れた。生け花の心得がないからいい加減なものだが、風情はあると自賛している。