ナチュラルな暮らし

穏やかな日常の一コマ

母の青春時代~昭和初期~

2024-08-17 | 日記

母が100歳を迎え百寿のお祝いをした際に、母のアルバムを探し出して皆で見ました。この暑さの中で倉庫から探し出すのが難しく、女学校時代の卒業アルバムと東京での学生時代の写真と結婚前の教師時代の写真だけ出てきました。母の青春時代ともいえるこの頃の写真を記録してみました。80~90年前の写真ですので顔出ししても良いかとそのまま載せています。まずは小学校入学の時の写真です。○で囲ったのが母です。

     

 

女学校の時の卒業アルバムから…東、中、西、南の4クラスです。この北が無くて中というクラス名がちょっと?ですが。○印が母です。

     

 

卒業アルバムにはその時代を映した写真がたくさんあったのでのせてみました。制服(スカート)で下駄スケートを履いてスケートをしている姿や、制服姿で中央アルプスの木曽西駒ヶ岳に登山した様子や、防空演習のために校庭でバケツリレーをする様子などがあります。

     

     

     

 

勤労奉仕にも出かけたようですが、仲の良いお友達と楽しく過ごした時間も多かったようで、高齢になってもその頃の友人との交流がありました。

     

     

 

女学校卒業後は東京の学校へ…太平洋戦争が始まった頃の東京でしたが充実の学生生活ができたようです。学校と階段教室の様子です

     

     

 

こんな名簿も出てきました。当時の世相を反映していると思われるのは、同期生の住所に樺太や朝鮮、台湾の地名があることでしょうか…東京は東京市となっています。

     

 

学校の運動会は神宮外苑競技場で行われたようです。渋谷や明治神宮表通り(今の原宿?)にも出かけたようで母の記載がありました。

     

     

     

 

卒業後は出身地の地元に戻って教員生活をした母です。学校の先生も出征していなくなっていたので採用されたようです。出征される先生方との写真や子どもたちとの写真が残されています。どの写真にも母が写っています。最後の写真は出征された先生のクラスの子供たちで、このクラスを引き継いだようです。

     

     

     

 

この時の教え子の中には戦時中に満州へ満蒙開拓団として行った子もいて、その子が母あてに書いた手紙を見つけた時のことはこのblogに載せました。母の戦後 - ナチュラルな暮らし (goo.ne.jp)

     

 

アルバムには母の生まれた年の新聞が残されていました。この大正13年は当時の皇太子殿下(後の昭和天皇)が結婚された年です。

     

 

母の生まれた頃や小さな頃の写真、それに結婚した頃の写真もあったのですが、この暑さの中で倉庫の中から探し出すことが出来ませんでした。また時期をみて見つけたいと思います。母のことではたくさんの手紙や日記や家計簿も残されています。それに記録しておきたい手仕事の数々…これは以前に少しまとめたものがあるのでこちらを見て下さい。ナチュラルな暮らし (goo.ne.jp)  たくさんの手仕事品は多くの方々に貰われて行きましたし、着物は母の孫が着てくれたりしていますが、またの機会にまとめてみたいと思います。

 

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10 コメント

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Unknown (おちゃ)
2024-08-17 20:28:41
タッジーマッジーさんにとってはお母さまの思い出
なんでしょうが、こうしたものは、歴史の記録と
しての価値がありますね。

どんな服装をしていて、人数はどれだけで、
卒業生の住所がどこで、校舎はどんなので・・・。
私の母の写真なんてどこに行ったのかさっぱり
わかりませんが、私が幼かった時に、母が私に
見せてくれた記憶はかすかにあります。

私は引っ越しが多くて、その都度にモノを
失っているのです。そもそもモノを大事に
保管するという癖がなく、要らないと思った
ものをどんどん捨ててしまうのでした。

しかしこうやって古い写真を見ると、それがない私は
羨ましくなってきます。タッジーマッジーさんも
じっと見てしまったのではないでしょうか。
お母さまの思い出を大事になさってください。

途中で、キューピーさんが出て来る写真があり
ますね(笑)。その画像でスカーフっていうのかな?
胸のところで結んでおられるものが、それ以外の
部分と同じような色に見えます。当時はこんなの
だったんでしょうか。なんてことを考えながら
見ていました。
返信する
Unknown (kazukomtng)
2024-08-18 14:51:52
お母様の百歳のご長寿、おめでとうございます㊗️
素晴らしいですね。
沢山の昔の写真を拝見していて、瀬戸内寂聴さんを思い出しました。
調べてみたら、あちらが二歳お姉さんでした。
よく残っているんですねえ。
倉庫は、お宝の山かな?
そして、
子供さん達もお優しくて、温かいご家庭だなあ、と。
あの御膳弁当、参考になりました。
くちこも、叔父の他界に際して、従姉妹から台湾時代のアルバムを二冊受け取っているのですが、
何故か、
不思議な力が働いて?
見ることができずにいます。
そろそろ大丈夫かなとも思っているところです。
ちょっと、色々な経緯があったアルバムだからかも。
返信する
おちゃさんへ (タッジーマッジー)
2024-08-18 18:18:14
母の思い出の品は私にとっても大事な品々…
そしてこうしたものは今となっては当時の様子を知る
歴史の記録としての価値もあるのでしょうか、
そう言っていただいてこれは大事にしなければと
改めて思った次第です。
たしかにそこにはいろいろな記録が含まれますから…

普通は引っ越しの度にどんどん処分してしまいますね。
母は物を仕舞っておくのが得意だったのか、いろいろ残っています。
私の記録も幼稚園のお絵かき帖から小学校の絵日記から、
先生のガリ版刷りのお便り迄とってありました。
母が残した記録は写真の他に日記や家計簿や手紙、
それに手仕事の数々が残されています。
少しずつまとめて記録しながら大事にしようと思います。

キューピーさんの出てくる写真も時代でしょうか(笑)
女学校の時に写真館で撮った写真のようですが、
このセーラー服はスカーフではないですね。
襟の先がタイになっているのでしょうか、
ちょっと雰囲気の違うセーラー服…
これは当時の特徴かもしれませんね。
返信する
くちかずこさんへ (タッジーマッジー)
2024-08-18 19:20:07
母へのお祝いの言葉をありがとうございます。
要介護5の状態ですが、元気に100歳の誕生日を迎えられ、
皆でお祝いをすることが出来ました。

大正生まれの母ですから激動の時代を生き抜いてきました。
それでも懸命に生きてきた時代の様子がこうして写真に残されていて、
これもまたお宝ですね。
瀬戸内寂聴さんは母の二つ年上でしたか、同時代を生きた方なのですね。

母は飲み込みにも問題があってミキサー食やペースト食をいただいているのですが、
料理人が作られた見た目もお味も素晴らしいこうした祝膳があって、
娘が注文してくれました。
取り寄せのおせち料理のような雰囲気…
母もとっても食べやすそうで美味しそうに食べることが出来ました。
レトルトパックの介護食も使いやすくて使っています。

母の名簿の中に台湾が住所の方が居て時代を反映しているのかなと…
くちこさんの叔父様も台湾にいらしたのですね。
不思議な力を感じるくちこさん…
大丈夫になってアルバムを見ることが出来るといいですね。
返信する
貴重な写真 (take)
2024-08-19 00:43:01
お母さまのアルバムはご自身の思い出とともに
当時の様子がわかる貴重な資料でもありますね。

母のことを思いながら ゆっくりと拝見させていただきました。

まずは小学校入学時の写真。
ここは・・どこでしょう。
女子だけのクラス?女子だけの学校?
装いも母の小学校時とは違い 洋服、着物に袴姿。
(母は多分・・お母様が赴任された小学校の子たちと似ているかと)

女学校からその上の東京の学校まで進まれた・・。
お母様の「お育ち」が少しわかります。

義母から当時の学校制度のことを聞いていました。

女学校から上の学校まで進む人はまわりにはいなかったようです。

義母は職業婦人になるべく師範学校、卒業時にできた「専攻科」へ進み教師になりました。
師範学校は全寮制で費用はすべて無料。
山奥から進学した義母には多くの「カルチャーショック」、それも楽し気に話してくれました。
クラス会は晩年まで続き(義母は義父が亡くなってからの参加)
毎年の クラス会の様子(写真+欠席者からのお葉書のコピーなどの)ファイルを作った私はクラスメイトの名前とお顔 その性格、当時のエピソードなどなど、しっかりと記憶していました。

中には諏訪にお住まいの方(今となってはお名前がでてきません)が「幹事」のときには
その娘さんが諏訪大社などに案内され「おやき」をご馳走になった、など楽しく話してくれました。

それにしても貴重な写真たち。
さすがに女学校の卒業アルバム!
個人写真のほかに 生活の一部を切り取りコラージュ・・当時にもこういうアルバム作りがあったのですね~。

東京の学校の「階段教室」!
何十年か後、私は「階段教室」にものすごく新鮮が驚きを感じたものです。

長くなりますが
大正13年の新聞記事
これはお母さまのお母さまが保存してくださっていたのですね。
娘が生まれた年の記念の新聞!!!
何代に渡ってのすばらしい女性たち!(タッジーマッジーさんのことも、ですよ)

あ、私もキューピーちゃんに目が行きました。
それにセーラー服のタイ、私の中学時代もリボンではなくタイでした。

ではでは おやすみなさい。
返信する
takeさんへ (タッジーマッジー)
2024-08-19 19:13:32
母のアルバムはこの頃のものがとりあえずあって、
どれも注目して皆で見たところです。
こうした写真は当時の様子が分かって興味深いですね。
貴重な資料と言えるかもしれません。
大事にしようと思います。

この小学校は地元の公立小学校…
何故女の子ばかりの入学写真なのでしょうか疑問です!
その後の遠足や修学旅行(伊勢志摩!)の写真は男の子も写っています。
卒業写真はクラスごとでしょうか、男女一緒です!
数えて見たら男子35人、女子25人…
どのクラスもそんな割合で男の子が多かったようです。
当時の写真から不思議がいっぱい出てきます…
服装も皆さんいろいろですが、母は主に洋服姿でした。
でも普段は赴任先の学校の子供たちのようだったかと思います。

お義母様は師範学校に進まれたのですね。
母も田舎から上京したのでカルチャーショックは大きかったことと思います。
それでも当時のクラスの仲間はtakeさんのお義母様同様、
長年にわたってお付き合いがありました!
クラス会も晩年までやっていました。
それにその友達との手紙のやり取りも盛んで、
たくさんの手紙が残されています。
takeさんは毎年のクラス会のファイルを作られた…
なんとお優しい!お義母様も喜ばれたことでしょう。

女学校の卒業アルバムはなかなかいい構成…
学校での様子や校外活動などたくさんの写真が載っていました。
これも当時を知る興味深いものたちでした…

階段教室は次の世代の私たちにとっても新鮮なものでしたね。
母は学生時代をとても懐かしがっていて、
私が東京にいた頃上京してきた母と一緒に
下宿先や学校を訪ねたものです。
住所を頼りに尋ねた下宿先には小さなビルができ、
当時の面影がありませんでしたが、母は思い出して満足したようでした。

大正13年の新聞記事…これを保存していたのがだれか確かめようもありませんが、
いろいろ大事に残す気風はあるかもしれません。
私は大事に残すというより片付けられないのかもしれませんが(笑)

このキューピーちゃんの写真…みんなここに注目でした!
セーラー服のタイはtakeさんも経験されたのですね。
私の中学の制服はタイもリボンもスカーフもないものでしたし
高校は制服が無かったので、
セーラー服は小学校の入学時に着ただけでした。
そういえば大きな白いリボンがついていました。(笑)
返信する
貴重な資料 (ran1005)
2024-08-20 14:15:39
驚きました!
とても貴重な資料を今日まで保存状態良く保管しておいでだった事にまず敬服です。
流石、教員経験のあるお母さまですネ。
お母さまは女学校からさらに上の教育を受けておられるのですね・・・
流石教育県長野!
でも、戦前に女学校に進学されたのはごく一握りのエリートで在られた事でしょう。
下駄スキーやバケツリレー防空演習・勤労奉仕など・・・
忘れかけている言葉が写真と共に甦って来ます。

駒ヶ岳の千畳敷カールが写って居ますネ。
当時、中央アルプス駒ケ岳にはロープウエーが在ったのでしょうか?
麓から登山されたのでしょうか??
もしそうだとすれば・・・気が遠くなります。

今年で戦後77年、滅多に目にする事が無くなった貴重な写真を拝見出来ました。
私は戦前生まれで、幼少時代、父の実家のある滋賀県湖北に疎開して居た経験がありますヨ。
幼かったので食料不足などの記憶は全くありませんが
長閑で自然あふれた湖北での幼少時代が人生の中で最高無二に楽しかったです。
諏訪湖に良く似た記憶が時々甦るのも不思議です。

古い時代で恐縮ですが、疎開時代・坪井栄の『24の瞳』が映画化されましたが
私達は、それ以前に、受け持ちの先生が出産の為に退職された後、
長~い距離(国鉄の一駅くらいの距離)同級生数人で先生恋しくて逢いに行った経験がありますヨ。
先生にお目にかかった時には全員でワアワア泣きました!
本当は赤ちゃん誕生のお祝いに行ったはずでしたのに・・・(笑)
受け持ちの先生は両親にも勝るとも劣らない心の寄処の存在で在られましたから・・・
お写真を拝見して居て思わず遠い昔を思い出してしまいましたヨ。
多分、タッジ―マッジー様にもお母さまの血が多く流れておられると確信しますヨ。

キューピーには未来の夢成就や不吉を払拭するおまじないみたいな魔力があって
私の写真館で写した古い写真にもキューピーが写って居ますヨ。
若さイッパイ眩しいばかりのお嬢様方への写真館のご主人からの
粋な計らいでは無かったかと想像します。
それにしても貴重な写真を拝見して感激いたしました。
返信する
ran1005さんへ (タッジーマッジー)
2024-08-20 21:08:58
母の小学校時代から教員をしていた頃までの写真は
きれいに整理されて残されていました。
もっと前のものや結婚後のものもあるはずですが、
今回は探し出せませんでした。
この時期のものは母の青春時代のものかと
たくさんある写真の中から選んでまとめてみました。

写真を見ているとその時代が浮かんできます。
戦前の女学校の卒業アルバムは殊に世相を反映しているようで、
防空演習や勤労奉仕など別世界のような言葉を身近に感じました。
大変な時代でしたから苦労も多かったでしょうが、
その中でも楽しみを見つけていたようです。

駒ケ岳にも登ったようで驚きです!
当時、駒ケ岳にはロープウェーはありません。
麓から自力で登って行ったのだと思います。
ちなみに私も中学2年生の時に学校登山で駒ケ岳に登りましたが
その時もロープウェーはなく、麓から歩いて登りました。
ロープウェーが出来たのは1967年(昭和42年)でした…
大人になってから何度も中央アルプスに登りましたが、
すべてロープウェーを使った登山でした(笑)

ranさんは戦時中の疎開を経験されたのですね。
それは大変だったことと思いますが、
自然にあふれた琵琶湖のほとりの環境に助けられたことでしょう。
以前、伊吹山に登った時に湖北地方を訪れとても素敵な場所と感じたことでした。
ranさんの記憶にある琵琶湖の風景が今、諏訪湖とも重なるのですね。
そんな記憶も素敵だなと思います。

「二十四の瞳」は本も読み、映画も見ました。
当時の先生は子どもたちにとってはとっても大きな存在でしたね。
ranさんの先生に会いに行かれたエピソード、胸に迫るものがあります!
とっても素敵な思い出ですね。
この時の先生にとっても嬉しい素敵な思い出となったことでしょう。
母も教え子たちとの交流をいつも楽しみにしていましたし、
写真や手紙もたくさん残されています。
そんな母を見ていたので、私も教師の道をと思ったこともありました。
全く違う進路になってしまいましたが(笑)

キューピーさんには夢成就や不吉を払拭する力があるのですね。
写真館の方の粋な計らい…これは良いですね。
ますますこの写真が素敵なものになりました。
写真を見て当時のことを思い出していただいたり、
いろいろ教えていただきありがとうございました。
返信する
家族の記憶 (tenten-3)
2024-08-20 21:43:27
お母さま、ご長寿で100歳おめでとうございます。
古いアルバム貴重な記録ですね。

自分が幼いころ父や母は身近にいて、父母の子供の頃(青春時代も)はどんなだったか想像もしませんでした
今年自宅の引っ越しで古い写真も出てきましたが、父や母の幼い頃の資料は少ないです
今は亡き両親が健在のうちに少しでも昔話(子供や青春時代)を聞いておいたら良かったと思っています。

こちらは引っ越して新居の生活始まったばかりで、まだ写真の整理は当分先になりそうですが、古い写真に分かる範囲でコメントだけでも付けて記録したいと思っています。
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tenten-3さんへ (タッジーマッジー)
2024-08-20 22:59:43
母へのお祝いの言葉をありがとうございます。
100歳という節目の年を迎えることが出来てホッとしております。
激動の時代を生きてきた母でしたので、
ゆっくり穏やかな日々を過ごしてほしいものだと思っております。

古いアルバムは何度もの引っ越しを経ても残っていました。
母も大事にしていたのだと思います。
写真からはその時代を反映しているようなことも垣間見えて
貴重な記録とも言えますね。

今まではあまり母の青春時代に思いを馳せることもなかったのですが、
写真を前にしていろいろ感じることもあり、こうしてまとめてみました。
そちらでは古い道具類も大切に保管されていましたから、
写真類もたくさんおありかと思ったのですが、
ご両親がすでに片つけられていたのかもしれませんね。
母ももう昔の話を聞き出すのが難しい状態ですので、
もっと前にたくさん話を聞いておけばよかったとつくづく思います。
今は写真や手紙やメモなどから想像するばかりです…

暫くは引っ越しの片付けに追われる生活でしょうか。
暑い日々でのお引越しの疲れは出ていませんか、
無理なくゆっくりなさって下さい。
それでも新しいお家は快適でしょうね。
羨ましい限りです…

私も古い写真の整理はなかなかできていません。
せめてコメントを付けて整理すると良いなと、
私も母のアルバムを見ていて思ったところです…
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