ディサービス初日

2006年03月10日 | 介護日記 -
今日、父は初めての施設に出向いた。
オープンしたてのピカピカの施設である。

朝から、精神的に落ち込み、涙に暮れた父は・・・
お迎えの施設員に手を引かれ、泣きながら玄関を出て行った。
その姿を見て・・・
まるで「ドナドナ」に歌われた「売られていく子牛」のようで・・・
すごく胸が痛かった。

「行きたくないの?」と訊くと、こっくりとうなずくので、
てっきり駄目かと思ったら・・・自発的に靴を履こうとしたりして・・・
父の反応と言動、そして行動には一貫性がない。
それでも、「お風呂に入ってきなさいよ」と声をかけると、泣きながらうなずく。

ずっと、ずっと、涙がぽたりと落ちていたので・・・
ものすごく辛かった。
無理やり「行かそうとしている」みたいで・・・。


父を見送った後、
私は、ひとしきり泣き崩れた。
その背景には、複雑な状況と心情が、入り組んでいたからである。
今日出向いた施設の二階には、小規模の(認知症)グループホームがあって、
施設の大家さんにあたるのが父の主治医だったので、そのような経緯から
父の主治医から「グループホーム入所」を勧められていたのである。
この数ヶ月の“寝られない状態”を、主治医は熟知しており、昨年末に
「共倒れにならないように、考えたほうがいいですよ」と言われ、
たまたま準備建設中の新施設の案内をしてくれた。
重度の内臓疾患と、足の関節痛、認知症、内臓疾患からの精神的問題など、
主治医に言われていたように、徐々に父の状態は悪くなってきていた。

医師との深夜連携もあり、“今後のことを考えると心配がない”とのことだった。
聞いた頃は、自分の中ではあまり現実的ではなかったのだが・・・
秋以降の連日連夜のケアによる寝不足で疲れがピークに達しており、
今年に入ってからは特に“私の中にも切実感が増してきていた”。
そして、先月末に内見をしたら非常に良かったので、徐々に気持ちが固まりつつある。
他の施設とは違って、個室をキープすれば、家族であれば(私も)宿泊できるし、
食事も予約すれば、一緒に二人で食べられるという、他にはないサービスが魅力的だった。
仕事に復帰して、自宅と施設を併用しながら、父を介護していく方法もある・・・。
スタッフは、片手間に仕事をしているような立場の人は全くおらず、だいたいが若く、
活気ある人たちばかりだ。何よりもフットワークが良くて、明るいので好感が持てる。
もちろん、まだ正式な申込・契約はしていないが、心はかなり傾いてきている。

そういう背景があり、どうしても泣きながら出かける父を直視できなかったのだ。
父には何も伝えておらず、本人の意志確認もこれからである。
  私は、逃げていないか?
  責任を逃れようとしていないか?
  自分のやりたいことを優先しようとしていないか?
「責める」というよりも、自分の気持ちを確認するために問いかけていた質問だったが、
自分で自分に問いかけるたびに苦しくて、“複雑な心情”に耐えられなくなっていた。
だから、考えないようにしていた・・・というのが、正直なところでもあった。
このことを考え始めると、いつも、どんなときにも、
「なんだか、わからない複雑な気持ち」が・・・幾つも“ごちゃごちゃ”になって、
もっと「わけがわからない感情」に満たされてしまうのである。

今週の木曜日も、朝から「う~」としか声に出さず、身体も動かさなかった父が、
ヘルパーさんが来て、顔を見た瞬間に「もう、いうこときかんでなぁ」と声に出した。
そして、短時間の内に、父は自ら起き上がり、食卓まで歩いてくれた。
肉親である私には、“甘え”のようなものがあるのだろうか。
私の声がけでは、自発性も乏しくなるのだということを、まざまざと目の前にした。
「刺激」を与えられるのは、身近な肉親だけでは厳しいときもあるのだ。

知り合いもおらず、ただ部屋で寝ているだけでは「うつ」にもなりやすい。
身体の具合が悪くなればなるほど、気持ちは下降していくわけで、一般的に考えても、
一人で思い悩むのは、あまり良い結果にならないはずである。
しかし、一人でいると“思いつめてしまう”ものだし、それを避けるのは難しい・・・。
いつも、独りぼっちの父には、「私」しかいないのだから。
たとえアプローチを変えたとしても、私の声かけは、いつも「私」でしかない・・・。

私と、父のために、
双方のために良いことだと・・・思う気持ちはある。
しかし、入所したとしても、父が快適に暮らせる確証はない。
家族的な関係ができあがるかどうか・・・それに関しても、よくわからない。
また、同時に、経済的な不安(毎月の支払い額)や、自分自身の想いがサクレツして、
「本当にわけがわからない」感覚である。

もちろん、入所したとしたって、慣れなくて(なじめなくて)
在宅に戻ってくることも充分考えられることである。
しかし、現時点では、まず「慣れてもらう」ということを念頭に置いて、
私が父に“より優しく向き合える方法”と、私の“身体状況”と、心の限界を加味して、
「入所もある」という選択肢を“大きくかかげはじめた”・・・という感じだろうか。


「何が良いのか」なんて、現時点ではわからないが、
私がくだした決断(選択)は、「いつも私にとってはベストの選択だから」・・・
それを信じて、これからも考えていこうと思っている。
一番の問題は、私にとっては“ベストな選択”が、
「父にとってはどうだろうか」ということだけである。

今日の「ディサービス初日」の感想さえも、ちゃんと伝えてもらえないぐらいなのだから、
「グループホームの入所に関して、どうしたいか」・・・なんて、大きな判断に際して
父の意志反応を得られるのだろうか――。

確実性がないからこそ、一つ一つを、実際「実行していく」しかないようだ。
行動すれば、必ず「その反応が得られるはずである」。
それがたとえ遠回りになったとしても、問題がクリアになることには違いない。

   ・・・・なんて、“もんもん”と慮る夜。
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