熟考

2006年07月26日 | 出来事 -
今日、父の主治医と話した。
いい人である。
意識も高いし、信頼もできる。
彼は、発言と行動に“ぶれ”がない。

たった二年ぐらいのお付き合いにもかかわらず、
主治医の携帯TEL番号を知っている私は・・・
「有難い“出会い”をいただいた」と思っている。



この数ヶ月の経験、病院との折衝、その発端にいたるまで・・・
父の主治医と“ゆっくりとお話をさせてもらった”。
すごく深い内容だった。
二人の話題は、死生観、病院の医療環境、コミュニケーションのあり方、
医療体制、そして・・・日本国の現状(課題)にまで広がっていった。

私の心が、何度も揺れ動いた。
うそのない言葉に刺激されたからだ。
だからこそ「自分自身」の意識の置き所・・・その大切さを感じた。

私がストレートにぶつけた疑問―。
それに真摯に答えてくださった主治医は、
彼なりの立場で“未来に対する不安”を抱えていた。
質は違うが・・・確固とした説得力のあるものである。


私たちの最後の言葉は、
「どうしたらいいんでしょうか?」
「う~ん。どうしたら、いいんでしょうねぇ」
「そうですね」
「う~ん」
「何ができるんでしょうか?」
「何ができるんでしょうねぇ。何ができますかね?」


私たちの表情に曇りがなかったのが、せめてもの“救い”か・・・・・。


コメント (2)