「大看板 團十郎への道」

2013年02月06日 | 人物 -
雪から雨にかわった今日、第十二代目市川団十郎氏の密葬が
しめやかに行われた。

「神道」での密葬は、まさに団十郎氏らしい。
 戒名に当たる諡号(しごう)は、美しく光を照らしてきた人生を意味する
 「瑞垣珠照彦命(みずがきたまてるひこのみこと)」。
 



今日・・・私は、感慨深く、かつての記録映像を見直して、
団十郎氏の言葉をかみしめた。



やはり、江戸歌舞伎:市川宗家に産まれ、若くして父を亡くし、
苦労をしてきた 「團十郎襲名までの道のり」 は、凄いものがある。
本日、見返したドキュメンタリー映像は、かなり貴重なものだ。
当時の襲名公演を支えた先輩俳優は、すでにこの世にはいない
名優ばかりだった・・・。
あらためて、新鮮な感覚で、鑑賞をした。


第十二代目市川団十郎氏は、自分が背負っているものから、
逃げることもできず、逆らうこともできず・・・
ただ、ただ、修行に明け暮れ、襲名公演にかける意気込みが
痛いほど 伝わってきた。
腹を据えなければ、何もできない状況だったのかもしれないし、
自然と覚悟がついてきて、腹がすわったのかもしれない・・・。



歌舞伎界を背負っていける “ 100年に一人の逸材になる ”
そんな “可能性” を秘めていると言われながら、常に マスコミに
追いかけられることになってしまった息子:海老蔵さんにも、やっと
「自覚のようなもの」 が 芽生えてきたように思うけれど・・・
私個人からすると、これまでは父と家の後ろ盾があってのことだし、
そこには「甘え」のようなものさえ感じとれる部分があったと思う。

けれど、団十郎氏には、その境遇ゆえ、選択する余地などなく、
あがく余裕さえ 全くなかったのではないかと 想像する。
不安と共にまい進しながら、修行をかさねて、市川家の伝統芸を
守ることを第一として、歌舞伎の世界に身を置きながら、同時に
精神的世界の追及を重ねていたのではないだろうか。
その道は・・・、疑問を感じ、反発をしても、結局はストレートな道!

どっちが先かはわからないが、団十郎氏の晩年は「ある境地」に達し、
人間的に、神々しいまでに、達観していたように感じる。
そこが、私が強く惹かれる大元になっている。



その「人生に課せられたモノ:全て」 が、団十郎氏だからこそだと
思えるぐらいだ。
耐えられる人にしか、そんな「課題」を与えたりはしないだろうし、
勝負できる人にしか、結果は与えられなかっただろうとも思う。

努力だけでなく、洞察力の鋭いひとだった・・・。
アグレッシブでありながら、寛容でもある。

「経験」と「実績」と、人から頂いた御厚情によって、到達した世界!





団十郎氏は、ひょうひょうとして、劇場の舞台上でも
ほどの良いアドリブを放つ 愛らしい面があった。
人として魅力があり、興味があるから、芸も観たくなるし・・・
高額なチケットでも、劇場に足を運ぶ。
テレビに出ていたら、チャンネルをあわせる・・・。
何を語るのかと、好奇心がいっぱいになる。
そんなものだ。


今日の株価は上がっているのに・・・
松竹の株は、暴落したそうだ。
団十郎氏の存在は、大きいというのが、世間の評価だったのだろう。
私も、明らかにそう思う・・・。


あんなに魅力的な人は、なかなかいないし、
何よりも、人として 凄いと思うから、憧れる気持ちが止められない。

すばらしい歌舞伎俳優を失った・・・と、心から思う。

あの 「眼 (マナコ)」 は、もう二度と開くことがない。

現在の日本伝統文化(歌舞伎)を考えると、この事実は衝撃的である。