最高裁判所裁判官の暴走を許さない

最高裁判所裁判官の国民審査は、衆議院選挙の時の「ついでに」ならないようにしましょう。辞めさせるのは国民の権利です。

書評 死刑肯定論

2015-06-05 19:59:10 | 日記
今回は書評です。

「死刑肯定論」
シリーズ:ちくま新書
定価:本体800円+税
Cコード:0232
整理番号:1107
判型:新書判
ページ数:240
ISBN:978-4-480-06813-2
JANコード:9784480068132


著者は裁判官として勤務後、現在は弁護士をしている人です。死刑判決に直接関わったようで、それが本書の執筆のきっかけになっているそうです。
現在の日本では死刑賛成論が80%を超え、ヨーロッパとは一線を画しています。
ヨーロッパは基本的に、キリスト教「汝殺すなかれ」の伝統から死刑廃止というだけではなく、イギリスでは死刑執行後に真犯人が出てきたという事件が大きかったようです。このことから、死刑を廃止しようという動きが出てきたそうです。フランスでは強引に世論の動きを待たずに、死刑を廃止しました。
しかし、その理由というのは「汝殺すなかれ」どころか「汝裁くことなかれ」もあるようです。
では、これまで死刑があった理由は何かというと、アウグスティヌスの言葉を引用し、戦争時における兵士と裁判官が下す判決は例外とする何とも手前勝手な解釈論で死刑が肯定されていたようです。ルターに至っては、(死刑で)剣を振るうのは神の手であると。
道徳論、倫理学や神学の死刑反対論、肯定論いずれもお笑いにもならないレベルのようです。

では、科学的にどうなのか。
死刑は、犯罪を予防するか?の論点は、実のところあまり効果はないようです。死刑になるようなことをする人は、後先考えずに犯罪を犯しますから予防効果はないのでしょう。

では何のために死刑は存在するのか。
1つは被害者の感情を発散させる場であること。あとがきに光市の母子殺人事件の家族の言葉が書かれています。確かにその妥当性があるでしょう。
2つに、目には目をの発想で加害者に応酬することでダメージを与える。ただこれは仕返しに仕返しを繰り返すことになるので、これを前面に出すには社会の治安維持には問題がある。
そこで、複数人殺さないと死刑にならない、永山基準のような判断基準が生まれてくるのでしょう。

死刑賛成にしても反対にしても、イデオロギーといっても自分の意見の正しさ、価値観の押し付け合いにしか過ぎないところがあるようです。


ここからは私の見解です。

少なくともキリスト教的な思考での死刑反対論例えばアムネスティインターナショナルのような行動キリスト教系思考の完全な押し付けになるのでしょう。私自身が積極的な肯定論だからかもしれませんが。
何故そう思うのかというと、犯罪者は家庭の事情、社会的環境によって犯罪に走ると一般に言われています。果たしてそうでしょうか?
裕福な家庭に育ちながらも、「死体が見たい」という動機から殺人を行う反社会性人格障害が存在します。この障害は治療困難というより、治療不可能な領域です。症状を薬によって麻痺させるぐらいで、根本治療はありません。
彼らは、純粋に人を殺してみたい、死体が見たいという動機だけで、人を人としてみることはありません。当然、その犯行は淡々と目的を達するために行われます。罪悪感もありません。矯正は不可能なのです。(一応可能ということになっているようですが)
社会から爪はじきされた故の犯罪、相対的に犯罪に陥るのではなく、根源的に絶対的な悪は存在するのです。
仮に、このような犯人を終身刑とします。何年生きるか分かりませんが、その間の管理コストはいくらかかるでしょうか?受刑者一人当たり300万円/年ぐらいのコストがかかると言われています。30代で事件をおこし、70歳まで生きるとすればどれだけコストがかかりますか?この本ではこの論点が抜けていると思います。
また、誤審による無実の人が死刑になる可能性の有無ですが、これは警察の捜査と裁判の問題であり、死刑の問題とは切り離して考えるべきじゃないでしょうか。

いずれにせよ、死刑肯定者も反対者も一読する必要はありそうです。

サラ金A社がB社に吸収合併。A社から借りていた条件は?

2015-06-05 07:37:06 | 日記
平成26(受)1817  不当利得返還請求事件
平成27年6月1日  最高裁判所第二小法廷  判決  破棄差戻  名古屋高等裁判所

ある人がサラ金A社から借りていました。A社はサラ金と言ってもノンバンクで、温厚な会社でした。ところがA社はB社に買収され、合併しました。
A社と契約したとき、この債権は譲渡するとき借主に確認することと一文を入れた契約だったのですが、どうもそれが実行されずにB社に譲渡されたようです。
このとき、この借りた人が利子が上がり取り立てなどで条件が悪化したとして、A社の条件にせよと訴えたものです。

しかし、A社がB社に買収されることで自動的にB社の条件に切り替えられるということはあるのでしょうか?あったから裁判になったのは分かりますが、通常は前の条件の継続が通常です。民法第弐章で「契約は同意がなければ成立しない」のが大原則であり、そもそも簡単に変更できるのか疑問です。
判決文がかなりこの点が曖昧なので分かりませんが、恐らく合併のときに自動的にB社の条件に切り替わる旨の連絡があり、その諾否を等通知が来たのでしょう。返事がない事をもって認めたというのはおかしいという主張のようです。

裁判官全員一致で判決は貸金業法を持ち出して違法性を論じていますが、上位の法律は民法のはずです。民法の規定に従うべきではないのかなという気がします。利息制限法の範囲であれば、民法規定でもいいのではないかと思います。

問題は、返事をしなかったことは自動的に承諾したと見なせるか?ですが、これは日常的によくやっている話じゃないでしょうか。ましてや、裁判所では欠席裁判が通用するように、何も反論しなかったということは認めたと同じです。裁判所自体がやっていることを、一般人がやることはおかしいというにはかなり無理があるのではないでしょうか。
ずぼらな人であれば、通知は見たが面倒くさくて」と返信をしないことはよくあるでしょうし、そういう人をどこまで救済すべきなのでしょうか。返信すること自体は、決して面倒な作業ではないはずです。
この点をもう少しこの判決では論じるべきです。少なくとも内容証明とは行かなくても、配達証明がついたもので配送したものであれば認められるなど一定条件が必要など付帯意見があってしかるべきでしょう。


第二小法廷
裁判長裁判官 千葉勝美 ややずれている
裁判官 小貫芳信 ややずれている
裁判官 鬼丸かおる ややずれている
裁判官 山本庸幸 ややずれている