今回は書評です。
「死刑肯定論」
シリーズ:ちくま新書
定価:本体800円+税
Cコード:0232
整理番号:1107
判型:新書判
ページ数:240
ISBN:978-4-480-06813-2
JANコード:9784480068132
著者は裁判官として勤務後、現在は弁護士をしている人です。死刑判決に直接関わったようで、それが本書の執筆のきっかけになっているそうです。
現在の日本では死刑賛成論が80%を超え、ヨーロッパとは一線を画しています。
ヨーロッパは基本的に、キリスト教「汝殺すなかれ」の伝統から死刑廃止というだけではなく、イギリスでは死刑執行後に真犯人が出てきたという事件が大きかったようです。このことから、死刑を廃止しようという動きが出てきたそうです。フランスでは強引に世論の動きを待たずに、死刑を廃止しました。
しかし、その理由というのは「汝殺すなかれ」どころか「汝裁くことなかれ」もあるようです。
では、これまで死刑があった理由は何かというと、アウグスティヌスの言葉を引用し、戦争時における兵士と裁判官が下す判決は例外とする何とも手前勝手な解釈論で死刑が肯定されていたようです。ルターに至っては、(死刑で)剣を振るうのは神の手であると。
道徳論、倫理学や神学の死刑反対論、肯定論いずれもお笑いにもならないレベルのようです。
では、科学的にどうなのか。
死刑は、犯罪を予防するか?の論点は、実のところあまり効果はないようです。死刑になるようなことをする人は、後先考えずに犯罪を犯しますから予防効果はないのでしょう。
では何のために死刑は存在するのか。
1つは被害者の感情を発散させる場であること。あとがきに光市の母子殺人事件の家族の言葉が書かれています。確かにその妥当性があるでしょう。
2つに、目には目をの発想で加害者に応酬することでダメージを与える。ただこれは仕返しに仕返しを繰り返すことになるので、これを前面に出すには社会の治安維持には問題がある。
そこで、複数人殺さないと死刑にならない、永山基準のような判断基準が生まれてくるのでしょう。
死刑賛成にしても反対にしても、イデオロギーといっても自分の意見の正しさ、価値観の押し付け合いにしか過ぎないところがあるようです。
ここからは私の見解です。
少なくともキリスト教的な思考での死刑反対論例えばアムネスティインターナショナルのような行動キリスト教系思考の完全な押し付けになるのでしょう。私自身が積極的な肯定論だからかもしれませんが。
何故そう思うのかというと、犯罪者は家庭の事情、社会的環境によって犯罪に走ると一般に言われています。果たしてそうでしょうか?
裕福な家庭に育ちながらも、「死体が見たい」という動機から殺人を行う反社会性人格障害が存在します。この障害は治療困難というより、治療不可能な領域です。症状を薬によって麻痺させるぐらいで、根本治療はありません。
彼らは、純粋に人を殺してみたい、死体が見たいという動機だけで、人を人としてみることはありません。当然、その犯行は淡々と目的を達するために行われます。罪悪感もありません。矯正は不可能なのです。(一応可能ということになっているようですが)
社会から爪はじきされた故の犯罪、相対的に犯罪に陥るのではなく、根源的に絶対的な悪は存在するのです。
仮に、このような犯人を終身刑とします。何年生きるか分かりませんが、その間の管理コストはいくらかかるでしょうか?受刑者一人当たり300万円/年ぐらいのコストがかかると言われています。30代で事件をおこし、70歳まで生きるとすればどれだけコストがかかりますか?この本ではこの論点が抜けていると思います。
また、誤審による無実の人が死刑になる可能性の有無ですが、これは警察の捜査と裁判の問題であり、死刑の問題とは切り離して考えるべきじゃないでしょうか。
いずれにせよ、死刑肯定者も反対者も一読する必要はありそうです。
「死刑肯定論」
シリーズ:ちくま新書
定価:本体800円+税
Cコード:0232
整理番号:1107
判型:新書判
ページ数:240
ISBN:978-4-480-06813-2
JANコード:9784480068132
著者は裁判官として勤務後、現在は弁護士をしている人です。死刑判決に直接関わったようで、それが本書の執筆のきっかけになっているそうです。
現在の日本では死刑賛成論が80%を超え、ヨーロッパとは一線を画しています。
ヨーロッパは基本的に、キリスト教「汝殺すなかれ」の伝統から死刑廃止というだけではなく、イギリスでは死刑執行後に真犯人が出てきたという事件が大きかったようです。このことから、死刑を廃止しようという動きが出てきたそうです。フランスでは強引に世論の動きを待たずに、死刑を廃止しました。
しかし、その理由というのは「汝殺すなかれ」どころか「汝裁くことなかれ」もあるようです。
では、これまで死刑があった理由は何かというと、アウグスティヌスの言葉を引用し、戦争時における兵士と裁判官が下す判決は例外とする何とも手前勝手な解釈論で死刑が肯定されていたようです。ルターに至っては、(死刑で)剣を振るうのは神の手であると。
道徳論、倫理学や神学の死刑反対論、肯定論いずれもお笑いにもならないレベルのようです。
では、科学的にどうなのか。
死刑は、犯罪を予防するか?の論点は、実のところあまり効果はないようです。死刑になるようなことをする人は、後先考えずに犯罪を犯しますから予防効果はないのでしょう。
では何のために死刑は存在するのか。
1つは被害者の感情を発散させる場であること。あとがきに光市の母子殺人事件の家族の言葉が書かれています。確かにその妥当性があるでしょう。
2つに、目には目をの発想で加害者に応酬することでダメージを与える。ただこれは仕返しに仕返しを繰り返すことになるので、これを前面に出すには社会の治安維持には問題がある。
そこで、複数人殺さないと死刑にならない、永山基準のような判断基準が生まれてくるのでしょう。
死刑賛成にしても反対にしても、イデオロギーといっても自分の意見の正しさ、価値観の押し付け合いにしか過ぎないところがあるようです。
ここからは私の見解です。
少なくともキリスト教的な思考での死刑反対論例えばアムネスティインターナショナルのような行動キリスト教系思考の完全な押し付けになるのでしょう。私自身が積極的な肯定論だからかもしれませんが。
何故そう思うのかというと、犯罪者は家庭の事情、社会的環境によって犯罪に走ると一般に言われています。果たしてそうでしょうか?
裕福な家庭に育ちながらも、「死体が見たい」という動機から殺人を行う反社会性人格障害が存在します。この障害は治療困難というより、治療不可能な領域です。症状を薬によって麻痺させるぐらいで、根本治療はありません。
彼らは、純粋に人を殺してみたい、死体が見たいという動機だけで、人を人としてみることはありません。当然、その犯行は淡々と目的を達するために行われます。罪悪感もありません。矯正は不可能なのです。(一応可能ということになっているようですが)
社会から爪はじきされた故の犯罪、相対的に犯罪に陥るのではなく、根源的に絶対的な悪は存在するのです。
仮に、このような犯人を終身刑とします。何年生きるか分かりませんが、その間の管理コストはいくらかかるでしょうか?受刑者一人当たり300万円/年ぐらいのコストがかかると言われています。30代で事件をおこし、70歳まで生きるとすればどれだけコストがかかりますか?この本ではこの論点が抜けていると思います。
また、誤審による無実の人が死刑になる可能性の有無ですが、これは警察の捜査と裁判の問題であり、死刑の問題とは切り離して考えるべきじゃないでしょうか。
いずれにせよ、死刑肯定者も反対者も一読する必要はありそうです。