(6:30~観光ドライブ) 11:45スタート~16:20ゴール(4時間35分)〈26500歩〉
◎愛媛県最後の日の午前中は、遊子水荷浦(ゆすみずがうら)の段畑と紫電改展示館への観光ドライブ
お接待大師こと法起坊見習いさんが、ぜひとも案内したいと言っていた所が、この2ヶ所だった。
朝、6:30に宿に迎えに来て、まずは、宇和島市遊子水荷浦の段畑へ。
まさに、「耕して天に至る」そのもの。これまでいろいろな段々畑や棚田を見て来たが、幅・高さとも1㍍ほどの石垣がはるか山頂まで続いているのは、一昨年インカトレイルで見て以来だ。
この地域に住む半農半漁の人が増え始めた江戸時代末期から開墾されたが、当時は土岸で、石垣は明治末期から大正にかけてらしい。
水荷浦の地名は水が乏しく生活水を担いで運んだことに由来するらしい。
栽培されているものは、最初はサツマイモ、次に養蚕の桑、そして、現在はジャガイモで、4月下旬には収穫するが、北海道と違って花は咲かないとのこと。
次に、逆方向の愛南町御荘にある紫電改展示館へ。
太平洋戦争末期に、ゼロ戦を上回る性能を誇った戦闘機「紫電改」…名前は知ってしたが、450機ほど製作されたが、これが、国内に残る唯一のものとのこと。
帰還できずに海に墜落したものを、1978年に近くの久良湾で海底から引き揚げたものである。プロペラが曲がっているのは、海に落ちたときの水圧にのよるとのこと。
アメリカには3機が現存するが、ほかの残ったものは、米軍により燃やされてしまった。
当時、この紫電改と全国から集められた精鋭パイロット3000人で構成された松山基地のジオラマ
松山の淡路ヶ峠でアップし、触れてある平和の桜「陽光桜」。中学校教師だった高岡正明氏が、犠牲になった教え子たちの供養と世界平和を願って開発された桜。こちらではすでに葉桜になっていた。
そのすぐ近くの260mの高さの宇和海展望タワー。
タワーから愛南町市街地を見下ろす
タワーから見下ろす宇和海
下の白い建物が、紫電改展示館
またまた出てきた、法起坊主見習いさんお接待4種類目の御荘柑。素朴な味だった。
帰りに、今日のゴールの宿の前を通ったので、リュックを預けてもらった。
昨夜の宿の近くまで戻り、御馳走になったランチバイキング
◎お接待大師に見送られて、標高470mの柏坂越えへ
結局、4日間に渡ってお接待を受けた彼に、昨日の宿の前で見送られて、今日の分の歩き遍路スタート。
今回はこれでお別れだが、来年の春から夏に掛けて、北海道長期滞在旅行に来ると言う。今度はこちらがお接待をする番だが、とても真似はできない。
前回も印象にある国道沿いの芳原川の堤防を進む。
前回、初めて目にした珍しい「ほわら仮橋」は、2ヶ所あったが、下流の方は跡形もなくなっていたが、上流の方は橋桁だけ残っていた。
〈前回写した「ほわら仮橋」〉
橋桁の上に長さ5Mの歩み板が右側に5枚、左側に4枚有りそれぞれをワイヤーでつないでいる。
1時間半ほど、国道と並行する芳原川沿いの道を進み、国道を渡って、柏坂へと向かう。
桜の混じった春紅葉
道外では良く目にするヒメシャガ
今まで多くの峠越えをしてきたが、昔からの整備の良さ印象的な山道だ。
途中に2ヶ所、このような遍路休憩所があり、トイレもあちこちに設置されている。
途中10ヶ所以上、この峠越えに伝わる伝説や逸話の説明板が設置されていて、読みながら登っていく。
標高460m地点の「つわな奥」から唯一広がる海の展望。この先から旧御荘町(現愛南町)へと入る。
この柏坂越えは、逆打ちは緩やかで疲れを感じないで登っていけたが、下り(順打ちにとっては登り)は、道は広くて快適だが、非常に急だった。
午前中に車で移動していたときに、この峠越えを避けて、国道を歩いているお遍路さんが多かったのは、このせいかも?
山道に入って、2時間15分で、反対側の登り口に到着。
国道に出て、さらに宿までは登りが続く。右手にいろいらな養殖施設が目につくリアス式海岸を目にしながらピッチを上げる。
◎楽しみだった民宿ビーチの料理
16:20、民宿ビーチに到着。この宿は、法起坊見習いさんの「宿は古くて安いけど、料理が素晴らしい」とのお勧めだった。
すべて地元の海で獲れたものばかりの料理。
刺身は、いとより、めっきあじ、ヤズ(はまち)、まいか、ヒオウギガイ。
煮付けは、いとより。酢の物は4種類の海藻。かき揚げは海藻とえび。ヒオウギガイの煮付けなど。この他に数種類の海藻のすまし汁。
これだけのご馳走が出て、2食付きで6480円は、大満足!
明日は、愛媛県最後の40番観自在寺を打って、高知県 へ舞台は移る。