6:55スタート~16:15ゴール(9時間20分)〈51814歩〉
◎夕方からの雨も止み、好天の中で、徳島市内を挟んだ3ヶ寺を打つ。お接待も2件
昨日、宿に入る10分ほど前から降り出した雨も、朝には上がっていた。今回のお遍路は不思議なほど雨に当たらない。8~12日目に4日連続の雨だけだ。
今日は、徳島市街地を抜ける行程の中で、3ヶ所を打つことができた。
前回は、徳島はお接待が少ないというイメージだった。初接待が一昨日寄った阿波路最後の7日目の喫茶店だった。
しかし、今日は、2名の方からお接待をいただいた。昨日、伊予の国からやって来たお接待大師様のお陰で、阿波の国も負けてはいられないと火が点いたか?
◎まずは、徳島市内手前の19立江寺と18恩山寺
気遣いの他の客と違うメニューの朝食を摂り、6:55に宿を出る。
石垣のきれいな芝桜の前を、元気な挨拶して通る小学生の集団登校。
このあと、学校の前を過ぎると、前からやって来る登校の子供たちとの挨拶に忙しい。
古い遍路道の標識は多いが、いつ頃のものか読めるものが少ない。これは、明治24年に、4度目の四国遍路の供養のために、備前の国の人が建てたものらしい。
舞台は勝浦町から小松島市に変わる。
櫛渕のフウ~中国や台湾に自生するマンサク科の植物で、日本に入ってきたのは江戸時代中期。このフウがここに植えられたのは大正時代。葉の先が3つに割れている珍奇な植物である。
9:20、19番霊場立江寺に到着。
境内には牡丹が見頃を迎えていた。ちょうど良いときの参拝となった。
次の18恩山寺の前後の旧街道は義経ロードとなっている。屋島の合戦の前にこの辺りでも活躍したらしい。
弦張坂~義経の軍団が、坂の向こうにいるかもしれない敵に備えて、弓の弦を張りながら登った坂とのこと。
10:45、18番霊場恩山寺に到着。
恩山寺から下りて車道に出ると、自転車に乗った農家のおばちゃんが、こちらの歩いている方向を間違っているのではないかと声を掛けてきた。逆打ちだと言うと納得してくれた。
自転車の荷台の袋の中から300円取り出して、「裸のままですまないが、ジュースでも買って飲んでください」とお接待をしてくれた。
◎徳島市内を抜け、17井戸寺を打ち、16番手前の宿へ
国道へ出て、小松島市市内から徳島市内へと入っていく。
昼食に、前回同様、徳島市内で徳島ラーメンのチャーシュー入りを食べた。
特徴は、濃口醤油やたまり醤油で味付けされ、色が濃いの特徴。
トッピングは豚バラ・もやし・生卵・ネギなどが王道のトッピングらしいが、生卵はパスした。
徳島市内の国道55号を進み、市街地へ入る手前から、住宅街を抜ける。
今度は、旧街道の徳島市街地のメインストリートを進むと、前を初めて会う逆打ちのお遍路さんの姿が見える。
追い付いて挨拶をする。これで、4回目の逆打ちだそうだ。慣れたもので、自分のように分かれ道の分岐を見逃すことはなくなったという。
1週間前から区切り打ちをしているらしい。このあと、徳島市内の宿に荷物を置いて19井戸寺まで行って打ち戻るという。今日の宿はこちらの方が遠いので、別れて先を急ぐ。
徳島市内から郊外へ出ると、このような風格のある古い現役の旅館があった。
温室の中を覗いたらニンジンだった。温室栽培のニンジンは初めて目にした。
15:20、17番霊場井戸寺へ到着。
16観音寺の手前の宿へ向かう途中、母屋と蔵と納屋がセットになった古民家があった。
向かい側から自転車でやって来たおばちゃんが、「お接待させてください」と言って止まった。手作りの小さな袋にティッシュとお菓子を詰めたお接待セットを選ぶように言われた。
布の模様は違うが、形の同じな袋を20個ほど持っていた。毎日、14常楽寺まで自転車で往復して、道すがらお接待をしているとのこと。
16:20、次の観音寺の500mほど手前の今日の宿の鱗楼へ到着。予約の電話をするときに、旅館らしからぬ名前だと思ったが、しっかりした造りの料理旅館だった。
料理旅館の看板に偽りなしのこれまででナンバー1の料理だった。
ワカメのしゃぶしゃぶ、メバルの唐揚げ、タケノコの上の柔らかい皮の部分の汁物など珍しい料理もあった。
朝早く発ちたいので、夕食のみでお願いしたが、7020円だった。