5:30スタート~ゴール(15:30)〈54083歩〉
◎足摺岬観光やあちこちウロウロしたり、戻ったりで、意外と歩いた
今日は足摺岬観光に時間を取るべく、歩く距離を抑えて、27kmほど先にある足摺岬の根元の北側にある民宿を予約した。ちょうど足摺岬をほぼ1周する感じだった。
昨日は、つまらない県道・林道・国道歩きだったが、今日の前半は、自然のままの遍路道が多かった。しかし、その遍路道の入口が分からないで、ウロウロしたり、間違って余計に歩いたり、極めつけは遍路道を通ったために、県道沿いの宿が分からず、1km以上も過ぎてしまってから戻るという失態もあった。距離にも歩数にもそれらがカウントされている。
あいにく天気は、午後には雨となり、紺碧の黒潮と、その上に広がる青い空がなかったのが残念だった。
しかし、最後の1時間ほどは、金剛福寺から打ち戻る男性と一緒になり、今回のお遍路で、初めて話しながら歩くといったうれしいこともあった。
◎まずは、38番金剛福寺を目指す
5:30にスタートしようと玄関に降りたらり、思いもしないお接待のお弁当が、うれしい添え書きと一緒に置かれていた。心遣いがうれしい。
土佐清水市市街地の旧街道を抜けて、清水港をぐるっと回り込むように進む。
ふと気がついたら、遍路道の入口から1kmほども先へ進んでいた。慌てて戻ったが、今度はその入口が分からない。2度ほど行ったり戻ったりを繰り返す。こんなときのために持ってきたGPSや電子道標をすぐ見れば良かったのに…結局それで分かったのだが、30分以上も余計な時間を食ってしまった。
入口を見つけるが、このような遍路道になればもう心配はない。
やがて中浜の集落に出ると、そこはジョン万次郎の生誕地だった。遍路道を外れて、復元された生家を見てきた。
護岸の壁に、中浜万次郎の一生の物語が紙芝居形式で描かれていた。
そこのバス停で、お接待の朝食をいただく。
途中で遍路道を外れて、県道27号に出た。その先で合流するので、そのまま下って、鴉の岬展望台へ。
足摺岬方向は、怪しげな雲が懸かり、はっきり見えなかった。
松尾の集落の中は旧街道を抜けた。
あしずり温泉郷の中を進む。こんなところに温泉街があったことは記憶にはなかった。意外と大きなホテルが多かった。
金剛福寺の手前に、前回泊まった宿坊があった。
10:30、38番霊場金剛福寺に到着。
◎足摺岬遊歩道をすべて歩き、今日の宿を目指す
足摺岬では、10:45から遊歩道歩きと昼食時間も入れて、1時間ほどのんびり過ごした。
断崖絶壁の足摺岬とその上の足摺岬灯台。
唯一海岸に下りることができた白山洞門。
その西側の岬
明治時代に37岩本寺から金剛福寺までの80.7kmにわたって、1丁毎に設置されたという石仏。
次の37番岩本寺までは、88ヶ所の中でもっとも離れている札所で、移動だけで、3日は掛かる行程だ。
「あしずり遍路道」は、非常に荒れた状態であまり歩かれていないようだ。昼食を食べたレストランの女将が話していた通りだった。この先にも4ヶ所ほどあったが、2つ目はあまり酷くてパス。
3ヶ所目は途中までは舗装されて生活道路として使われていた。
窪津の集落の裏を通る道は歩きやすかった。しかし、集落へ降りてきて、地元の人に「この先は荒れて整備もしていないので県道を行った方が良いです」と言われた。
最後の1時間ほどは、打戻りをして40延光寺へ向かう岐阜の男性と一緒になり、ずっとお話ししながら歩くことができた。
前回の順打ちのときは、たくさんの人と一緒に歩いたり、同じ宿に泊まったりということが多かったが、逆打ちの今回は初めてのケースでうれしかった。
話しながら歩いたことや遍路道にこだわって歩いたこともあり、県道沿いにある民宿に気付かず通り過ぎてしまったらしい。その方が気付いてくれてスマホで調べたら1km以上も戻るはめに。
15:30、民宿旅路に到着。
今日の料理もすべて地元の旬の食材ばかりで、調味料は無添加にこだわり、白砂糖は使わないなどしているせいか、何を食べても味付けが素晴らしかった。ブリの煮付けと刺身も美味しかった。イタドリの油炒めは初めて食べたが、なかなか美味しいものだ。
これだけ美味しい料理で2食付きで6000円もうれしかった。絶対お薦めの宿である。
妻からのラインやharpbabaさんのコメントによると、今日の函館は雪が降ったそうだ。こちらは、Tシャツとハーフパンツで歩いているのに。