癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

24日目〈民宿ビーチ〉~40観自在寺~39延光寺~〈民宿嶋屋〉(宿毛市)〈38.2km〉〈合計752.0km〉

2018年04月03日 | 登山・旅行

6:20スタート~ゴール15:40(9時間20分)〈53075歩〉

◎舞台は、土佐路(高知県)へ

 楽しいことはあっという間に過ぎる。インナーダウンを着て歩いたのが、つい先日だったような気がする。ここ数日は、汗を掻きながら歩いている。
 旅も半分以上を過ぎ、松尾峠を越えて、いよいよ今日から南国土佐へと舞台は移る。伊予路から土佐路へ。
 
 土佐路は、距離が一番長いのに、札所が別格を入れて、15ヶ所しかなく、峠越えもほとんどなく、前回も空と海を眺めながら(空海の名前の由来)、ひたすら歩く移動だけの日が多かった印象がある。

◎まずは、伊予路最後の観自在寺を打ち、松尾峠を目指す

     
 朝食も、魚と肉、サラダ、煮物などバランスの取れた食事である。
 「この値段で、これだけのご馳走を出す宿はないですよ」と言ったら、「建物が建物だけに、せめて料理だけも」とのこと。確かに、建物はこれまでで一番酷い状態だったが、料理は最高だった。
 遍路宿は、どこも朝食を早く用意してくれるのが助かる。

 6:20スタート。40番観自在寺のある旧御荘町市街地までの8kmほどは、ひたすら味気ない国道56号歩きが続く。
 しかし、リアス式海岸の近くなので、国道にしてはアップダウンが大きい。

     
 すでに田植えが終わっている田んぼがあった。

     
 昨日お接待大師からご馳走になった御荘柑(みしょうかん)畑。
 このミカンをたくさん置いて行ったので、食べ切れずに、残りの3個を宿にお裾分けしてきた。

     
 8:20、ちょうど2時間で、40番霊場観自在寺に到着。この観自在という言葉は、般若心経の出だしの3文字である。
 意味は、すべての事物を自由自在に見ることができること。

 旧御荘町市街地の旧街道を抜けると、また旧一本木町市街地まで国道歩きが続く。

     
 旧一本木町市街地から、松尾峠に向かう。途中の集落に、小山番所跡の石碑と当時のまま残る井戸があった。
 
 説明板によると、この松尾峠は、昔から伊予と土佐を結ぶ重要な街道で、両方の入口には戦国末期から番所が設けられ、四国遍路もここと甲浦以外の土佐への出入りが認められなかったために、旅人で賑わい、多い日で300人、少ない日でも200人の旅人が通ったそうだ。

      
 松尾峠は、標高300mしかなく、山道も非常に良く整備されていて、斜度も緩やかで歩きやすかった。

      
 こちらの山は、すでにツツジが咲いていた。赤いのは、ヤマツヅジだろうが、ピンクの方は名前は不明。

◎松尾峠を越え、土佐路を39番延光寺へ

     
 11:45、旧太師堂やトイレや遍路休憩所の他にいろいろな標識の建つ松尾峠に到着する。
 遍路休憩所で、最後の1個の清見を食べて、昼食とした。ここで、延光寺そばの民宿に今夜の予約を入れる。

 Cメールが入っていたので開けたら、学生時代からの同期で同じ職場にも勤めたことのある校長仲間だったTa君の訃報だった。
 体調を崩していたことは知っていたが、そんな深刻な状態だったとは思わなかった。帰ってから自宅にお参りに行くことにする。

     
 石碑で、特に目を引いたのは、江戸時代のものであろうが、「従是西伊豫國宇和島藩支配地」と「従是東土佐國」と掘られた石柱が建っていることである。

     
 時間的余裕があったので、往復700mほどの頂上にある純友城址の展望台へ。
 眼下に宿毛湾が広がっていた。

 松尾峠も、昨日の柏坂と同様、こちらからの下りの、方が急だった。

     
 道端で、葉の形や花茎の色から、一昨年海向山で初めて目にしたマキノスミレと思われるスミレを目にした。

     
 反対側の集落には、松尾坂口番所跡の標識。

     
 標高10mの集落に出たので
、そのまま車道を進むのかと思ったら、再び山道となり、標高100mまで登っていく。

     
 道の真ん中にタケノコが頭を出していた。このくらいの大きさになると、もう食べられないらしい。

     
 山道を越えたら、宿毛市市街地が見えた。

     
 宿毛市街地の本町商店街にあった醤油醸造所の古い建物が目を引いた。

 市街地を抜け、再び県道や国道歩きとなる。

     
      
 あちこちに、北海道では馴染みがないが、道外ではどこでも見られるらしいレンゲソウが咲き、大群落を作っているところもあった。

     
 15:30、39番霊場延光寺に到着。仁王門を潜ると、亀の上に梵鐘が乗っかっている石像があった。
 この梵鐘には、延喜11年(911年)正月の銘があり、平安時代前期の紀年銘鐘として貴重らしい。赤い亀が竜宮城より持ち帰ったとの伝説がある。このことから、このお寺の名前は赤亀山延光寺となっている。
 勤行のときと梵鐘を鳴らし、Ta君のご冥福を祈った。

     
 15:45、すぐ下の民宿嶋屋に到着。今日は一番暑く、汗をたっぷり掻いた。無料の洗濯機と乾燥機がうれしい。洗濯機に洗濯ものを入れて風呂に入った。

     
 汗を掻いたので、5日ぶりにビールを飲んだ。料理に、早速カツオの刺身が出た。ほかも味はイマイチだったが、ボリュームが多いこともあり、完食できなかった。
 ほかの泊まり客は外国人のご夫妻。おもしろかったのが、ご主人は正座をして、箸で上手に食べていたが、奥さんは椅子に座り、すべてフォークと手づかみで「ごめんなさい」と言いながら食べていた。

 宿泊代は、ビールと明日の朝のおにぎり弁当を入れて、7000円だった。