癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

29日目〈末広旅館〉~別格5大善寺~〈一福旅館〉(須崎市)〈39.2km〉〈合計946.1km〉

2018年04月08日 | 登山・旅行

 5:20スタート~15:40ゴール(10時間20分)〈54964歩〉

 ◎寒かったが、2つの峠越えと旧街道歩きが多かった充実の1日

 今日のハイライトは、前回2日に分けて越えたそえみみず遍路道と焼坂峠越えだった。前回はその2つの峠越えの間の土佐久礼町に泊まり、台風直撃で1日足留めを食らっている。
 その2つの峠を結ぶ道も、国道歩きでなく、旧街道歩きが多く、楽しい1日だった。

 今日も最高気温9℃までしか上がらなかったが、昨日よりは風が弱かったのと、日差しが強かったのが幸いした。

◎まずは、前回も印象深いそえみみず遍路道越え

 峠越えに備えて、早く出て早く着きたいので、5:20宿を出る。気温は3℃まで下がっていた。昨日と同じスタイルでスタート。
 岩本寺の参道に繋がるまだ暗い旧街道を進み、国道56号に出る。

     
 山の中なので、日ノ出が遅い。6時になって、東の空が赤くなった。

 1時間ほどでコンビニがあったので、サンドイッチとカフェラテの朝食。
 手袋をはめていても手が冷たいので、自動販売機で暖かい缶コーヒーを買って、握りながら歩いた。

     
 遍路道は国道から離れ、農道や生活道路として活用されている道が続く。この辺りで霧雨が降っていた。

     
 こんなところもある。ここが昔の街道だったことになる。

     
 8:20、やがて、そえみみず遍路道へと入っていく。

     
 ところが、すぐその先へ進んだら道がなくなる。またウロウロするが、200mほど戻ったら、遍路道への分岐があった。標識もないので、これは、普通なら左へ進むであろう。逆打ちの苦労でもある。

     
 この旧窪川町床鍋から中土佐町長沢を結ぶ遍路道は谷沿いを歩く「大坂遍路道」と標高409mの峠を越える尾根道の「そえみみず遍路道」の2コースがある。 
 前者は明治25年に開通し、現在の国道が開通するまでの新しい街道で、後者は、それまでずっと使われていた昔からの街道である。
 今回も、前回同様、そのそえみみず遍路道の方を通ることにした。当時はこの道は土佐往還(今の国道)と呼ばれていた。
 そえみみず(添蚯蚓)とこのあと越えた焼坂峠は、昔から旅人泣かせと言われた難所であったらしい。約300年前に書かれた「土佐州郡志」には、「ミミズが這った後のようにうねうねと曲がりくねっている道」だからこの名が付いたと書かれているが、「末見えず」がそえみみずになったという説もあるらしい。
 この道は、道が昔のまま残っているということ、道中には弘法大師ゆかりの遺跡や遍路墓があることなどから、遍路道保存会と地元が協力して、平成になってからこの道の整備に当たって脚光を浴びた遍路道だそうである。前回同様、実際歩いてみて、まさその感を強くした。

     
 途中に、展望の開けたところがあり、古くなったベンチが設えてあった。昨日の朝以来の海が見えた。

     
 旧窪川町はヒノキの町と言われている。きちんと間伐等の手入れがされている。
 登り始めが280mなので、緩やかな登りだった。気づかないうちに峠を越えて、下りになっていた。しかし、この下りは斜度がきつく、過去の大雨の影響で、道が結構荒れていた。一気に海の近くの40mまで下るので、距離は短いが、順打ちの方が辛い。前回は台風の次の日にここを登っている。

     
 下っていくと、前回泊まって、台風で足留めを食らった土佐久礼の集落が見える。

     
 眼下に高速道路が見え、急な下り階段が、高速道路の下を潜るように続いている。
 これは、高速道路建設のために、遍路道が寸断され、迂回路として造られたものである。
 高速道路の下を潜ったら同じような登り階段が続いていた。それを昇りきったら、また自然道の遍路道が続いていた。登り口のすぐ上で、ようやくお遍路さんに会ったが、外国人だった。身振り手振りで、登りがきつくて、そこ先は緩やかなことを伝えた。

      
 10:05、1時間45分で、農道に出る。

 その農道は、国道と並行する旧街道のまま、国道を横切り、焼坂峠への道へ続く。
 国道を横切るとき、犬の散歩をさせていた若い男性が、「皆反対の方へ行くけど、どこへ行くんですか?」と訊かれた。逆打ちしていることを話すと納得し、「お気を付けて」と言ってくれた。

 ◎次に、焼坂峠を越えて、別格5番大善寺を打つ  
     
 11:10、土讃線に沿って林道態の道へと入っていく。これが焼坂峠への道である。
 反対側からやって来たのはまた外国人だった。今日だけで4人に出会った。外国人に会わない日はほとんどない。
 この焼坂峠は、それまでの遍路道を吸収し、明治時代に初代の車道として開削され、くねくねと曲がりながら続いている。
 しばらくは幅広の快適なその道を進む。

     
 ところが、だんだん人に踏み込まれた痕跡がなくなり、ついに倒木のジャングルにぶつかる。
 「電子道標」で確かめたら、1kmほど手前のその道から外れる遍路道の分岐を見逃したらしい。慌てて戻った。

     
 その分岐を下から眺めてみたら、左へ上がる小道があり、四国電力の看板が立っていた。通ったときには、それを目にして、送電線の管理道だと思って通過していた。
 ここも、逆打ちの場合、絶対直進してしまう所だ。しかし、落ち着いてみたら、看板の上に「へんろ道」の小さな標識も付いていた。それを見逃していた。

     
 再び、旧道に合流し、斜面の岩盤が削られた広い道を進んでいくと、焼坂峠(228m)に到着。ここは、両側の岩盤が削られた峠だった。これも車道が造られたときのものに違いない。

 そのすぐ下で旧道と右に別れ、急な下りの遍路道が続いていた。

     
 この下りも、そえみみず同様、距離は短いが、急な下り道である。反対側から登るのは辛い道だ。
 急なところは、石畳が敷かれ、寅ロープが設置されていた。

     
 下っていくと、須崎市安和の集落と海が見えてきた。
 13:10、往復2kmほど余計な歩きもあったが、ちょうど2時間で国道56号に出た。

 遍路地図には、その近くに食事のできる喫茶店が記載されていたが、営業していなかった。20分ほど進むと遍路地図には記載されていないレストハウスがあった。

 13:30、ようやく昼食にありつけた。カツ丼を食べた。

     
 国道を下っていくと、昨日よりきれいな海が広がっていた。

     
 やがて、今日のゴールとなる須崎市の市街地が見えてきた。
 市街地の中は国道から外れ、旧街道を進む。

     
 14:40、道路に面した大師堂があり、その上を見上げると鐘楼がある。本堂はその奥である。まずは、急な石段を昇って本堂へ。さらに下って大師堂へ。両方でお参りをする。納経所は少し離れた有善会館にあった。

 さらに、須崎市の中心街を抜ける。

     
 15:40、今日の宿、一福旅館に到着。ここもしっかりした造りで、中はとてもきれいだった。素泊まり4300円。人気の宿らしく、一般客も多く、混んでいた。

 ブログのめどが立ったので、5分ほど歩いたところにあるガストへ夕食に出た。

     
 ちょっと贅沢にビーフカットステーキてんこ盛り定食。久しぶりにビールも付けて、2319円。