朝は放射冷却で5℃まで下がったが、快晴の天候に恵まれ、後半はさすがに疲れたが、今回初めて9時間超えの40km超えを記録した。
バスで昨日のゴール地点の富里小学校前まで戻る。6:50スタート。
この辺りから宇都宮市街地までは、ほとんどこのような道路である。
真ん中の低い所を車が走り、その両側の高い所に並木を植え、その外側に広い歩道があり、自転車も走れるようになっている。
安心して歩けるが、横から道路が合流するときには下ってまた登るので疲れる。
「高谷林の一里塚」~江戸から29里目。道路幅が広いので、拡張したときに移設したものであろう。
歩いていて?どこかで見たことのある建物だと思ったら、一昨日Ka女史親子にご馳走になった料亭「月山」だった。
宇都宮市街地が近くなってきたら、城下町特有の桝形の痕跡が残っていた。ここが宿場の入口だったようだ。
奥州街道との合流地点手前に建っている蔵造りの商家。逆光が残念。
宇都宮宿~雀宮宿
(※宇都宮宿については、昨日記載してあるので省略)
奥州街道と合流し、江戸へ向かう日光街道(奥州道中と重複)に入る。
便宜上、このあとも日光街道としているが、自分としては、ここから江戸までは奥州街道の続きである。ちょっと日光に寄ったという意識である。
やがて、国道194号から国道4号に入る。今回の旅で国道4号は初めてである。
雀宮宿に近くなったところで、国道から離れて旧道に入る。
わずか700mほどだったが、このような当時のままの道幅で旧道として残っているのはうれしいものだ。
再び国道に出たら、「東京から100km」の標識があった。
「あと100kmもあるのか?」と思うか、「あと100kmで奥州街道のゴールか?」と思うかは微妙だが、いずれにしても感慨深いものがある。
雀宮宿~石橋宿
〈雀宮宿〉
・人口268人、家数72軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠38軒
・日光街道が開けてから街道に移り住み鎮守の雀宮神社があることから雀宮宿となる
・日光側より上、中、下の三町で構成され中町に本陣が置かれていた
この宿場は、本陣跡と脇本陣跡の表示があり、その建物の
「雀宮宿脇本陣跡」~門構えや式台は当時の物が残っている。表札の所に「雀宮宿仮本陣」の札が掛けられていた。
「雀宮宿本陣跡」の碑。
雀宮宿を抜けて、ひたすら真っ直ぐな国道歩きが続く。
昼食を摂ろう思っていたそば屋が定休日だった。仕方なく。2日続けてラーメンとなった。
横浜家系ラーメンを初めて食べた。なかなか美味しかった。函館にも最近オープンしたようなので、帰ったら食べに行かなくちゃ。
石橋宿~小金井宿
〈石橋宿〉
・人口414人、家数79軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠30軒
・上町、下町、下石橋と町が続き当時は繁盛していたが今は車の往来が激しいのみ
・宿役を努めていた伊沢諸氏はその昔多功城没落時に土着し百姓となった旧家である
「伊沢家本陣跡」~現「伊沢家茶舗」。代々「新右衛門」を襲名し、名主を兼ねた。
「伊沢家脇本陣跡」~現「伊沢写真館」。代々「八右衛門」を名乗った。
雀宮宿の中心地
雀宮宿を抜けて、国道4号を進むと、再び旧道に入る。
ここは「笹原旧道」という名前が付いていた。2km以上の直線道だった。
出口に建つ「大越家の蔵」。この辺りで立派な屋敷の表札を見ると大越姓が多かった。
国道へ抜けると、小金井宿に宿へと入っていく。
小金井宿~新田宿
〈小金井宿〉
・人口767人、家数165軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠43軒
・宿の西にあった池から黄金がとれたの伝えから小金井村と言われ宿名となった
・宿駅となったのは遅く(1681年)、宿内は日光側を上として上中下の3構成
宿場の中心地手前にに建つ、崩れかかった幕末の建築の2軒の商家。
「大越本陣跡」~本陣門を残している。
「領主陣屋跡」~現「橘屋菅井製菓」
「小金井の一里塚」~国道からすぐの所に当時のままの姿で残っている。当時の道幅を知ることができる。
新田宿~小山宿
〈新田宿〉
・人口244人、家数59軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠11軒
・その昔は芋柄新田と言われていたが宿駅となり新田宿となった
・宿の入口は日光山、赤城山などが見え眺望よしと言われていたが今は眺望悪し
新田宿は宿場の面影を大切にしているようで、国道の両側に宿場の名を刻んだ石造りの灯篭を立てている。それには「日光街道」と刻んである(左)。
また、「奥州街道」と書かれた標識もあった(右)。
「幕府代官陣屋跡」の標識だけが設置されていた。
「青木本陣跡」~本陣門(四脚門)を残している。
宿場の中心地を抜けると、交差点の国道の横から斜めに旧道が続いていた。
道幅の狭い旧道。その先は東北新幹線と東北本線の横を進む。
やがて出たところは、国道4号ではなく、県道265号を小山宿へ向かう。
「喜沢の一里塚」~西塚は原型を留めているが、東塚は痕跡のみ。
やがて、小山駅前の小山宿の中心地へ入って行く。
ホテルのそばに食堂もコンビニも無さそうなので、コンビニで弁当とサラダとビールを買う。
16:05、ホテルの入口の交差点を今日のゴールとして、近くのビジネス・グランドシティに入った。
ビジネスホテルで3000円も珍しい。確かに古いが、寝るのには申し分ない。助かる。
バスで昨日のゴール地点の富里小学校前まで戻る。6:50スタート。
この辺りから宇都宮市街地までは、ほとんどこのような道路である。
真ん中の低い所を車が走り、その両側の高い所に並木を植え、その外側に広い歩道があり、自転車も走れるようになっている。
安心して歩けるが、横から道路が合流するときには下ってまた登るので疲れる。
「高谷林の一里塚」~江戸から29里目。道路幅が広いので、拡張したときに移設したものであろう。
歩いていて?どこかで見たことのある建物だと思ったら、一昨日Ka女史親子にご馳走になった料亭「月山」だった。
宇都宮市街地が近くなってきたら、城下町特有の桝形の痕跡が残っていた。ここが宿場の入口だったようだ。
奥州街道との合流地点手前に建っている蔵造りの商家。逆光が残念。
宇都宮宿~雀宮宿
(※宇都宮宿については、昨日記載してあるので省略)
奥州街道と合流し、江戸へ向かう日光街道(奥州道中と重複)に入る。
便宜上、このあとも日光街道としているが、自分としては、ここから江戸までは奥州街道の続きである。ちょっと日光に寄ったという意識である。
やがて、国道194号から国道4号に入る。今回の旅で国道4号は初めてである。
雀宮宿に近くなったところで、国道から離れて旧道に入る。
わずか700mほどだったが、このような当時のままの道幅で旧道として残っているのはうれしいものだ。
再び国道に出たら、「東京から100km」の標識があった。
「あと100kmもあるのか?」と思うか、「あと100kmで奥州街道のゴールか?」と思うかは微妙だが、いずれにしても感慨深いものがある。
雀宮宿~石橋宿
〈雀宮宿〉
・人口268人、家数72軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠38軒
・日光街道が開けてから街道に移り住み鎮守の雀宮神社があることから雀宮宿となる
・日光側より上、中、下の三町で構成され中町に本陣が置かれていた
この宿場は、本陣跡と脇本陣跡の表示があり、その建物の
「雀宮宿脇本陣跡」~門構えや式台は当時の物が残っている。表札の所に「雀宮宿仮本陣」の札が掛けられていた。
「雀宮宿本陣跡」の碑。
雀宮宿を抜けて、ひたすら真っ直ぐな国道歩きが続く。
昼食を摂ろう思っていたそば屋が定休日だった。仕方なく。2日続けてラーメンとなった。
横浜家系ラーメンを初めて食べた。なかなか美味しかった。函館にも最近オープンしたようなので、帰ったら食べに行かなくちゃ。
石橋宿~小金井宿
〈石橋宿〉
・人口414人、家数79軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠30軒
・上町、下町、下石橋と町が続き当時は繁盛していたが今は車の往来が激しいのみ
・宿役を努めていた伊沢諸氏はその昔多功城没落時に土着し百姓となった旧家である
「伊沢家本陣跡」~現「伊沢家茶舗」。代々「新右衛門」を襲名し、名主を兼ねた。
「伊沢家脇本陣跡」~現「伊沢写真館」。代々「八右衛門」を名乗った。
雀宮宿の中心地
雀宮宿を抜けて、国道4号を進むと、再び旧道に入る。
ここは「笹原旧道」という名前が付いていた。2km以上の直線道だった。
出口に建つ「大越家の蔵」。この辺りで立派な屋敷の表札を見ると大越姓が多かった。
国道へ抜けると、小金井宿に宿へと入っていく。
小金井宿~新田宿
〈小金井宿〉
・人口767人、家数165軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠43軒
・宿の西にあった池から黄金がとれたの伝えから小金井村と言われ宿名となった
・宿駅となったのは遅く(1681年)、宿内は日光側を上として上中下の3構成
宿場の中心地手前にに建つ、崩れかかった幕末の建築の2軒の商家。
「大越本陣跡」~本陣門を残している。
「領主陣屋跡」~現「橘屋菅井製菓」
「小金井の一里塚」~国道からすぐの所に当時のままの姿で残っている。当時の道幅を知ることができる。
新田宿~小山宿
〈新田宿〉
・人口244人、家数59軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠11軒
・その昔は芋柄新田と言われていたが宿駅となり新田宿となった
・宿の入口は日光山、赤城山などが見え眺望よしと言われていたが今は眺望悪し
新田宿は宿場の面影を大切にしているようで、国道の両側に宿場の名を刻んだ石造りの灯篭を立てている。それには「日光街道」と刻んである(左)。
また、「奥州街道」と書かれた標識もあった(右)。
「幕府代官陣屋跡」の標識だけが設置されていた。
「青木本陣跡」~本陣門(四脚門)を残している。
宿場の中心地を抜けると、交差点の国道の横から斜めに旧道が続いていた。
道幅の狭い旧道。その先は東北新幹線と東北本線の横を進む。
やがて出たところは、国道4号ではなく、県道265号を小山宿へ向かう。
「喜沢の一里塚」~西塚は原型を留めているが、東塚は痕跡のみ。
やがて、小山駅前の小山宿の中心地へ入って行く。
ホテルのそばに食堂もコンビニも無さそうなので、コンビニで弁当とサラダとビールを買う。
16:05、ホテルの入口の交差点を今日のゴールとして、近くのビジネス・グランドシティに入った。
ビジネスホテルで3000円も珍しい。確かに古いが、寝るのには申し分ない。助かる。