癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

甲州街道歩き旅〈7日目〉〈富士見町〉~44金沢宿~下諏訪宿(23.6km)5時間15分

2019年11月15日 | 登山・旅行
 いよいよ今日はラストウォークである。甲州街道はもちろんだが、五街道全踏破の記念すべき日でもある。
 なんと、朝出るときには0℃だった。さすが1000m近くにある高原の町だ。
 しかし、記念すべき日を祝福するかのような快晴の天候に恵まれ、雪化粧した北アルプスの山もくっきりと見えた。
 
 がっちり着こんで6:54の電車に乗り、1駅先のすずらんの里駅まで移動。

(富士見町)~金沢宿

 昨日気にしながら歩いた富士見町の名前の由来と標高が気になって調べてみた。なお、蔦木宿もこの富士見町だった。
 名前は、場所的に意外な気がしたが、予想した通り、遠くに富士山を望めることによる。
 また、町役場の標高が977mにある高原の町だった。県立富士見高校の標高は967mで、日本一の最高標高にある高校とのこと。

7:10、昨日のゴール地点の駅入口をスタート。最後なのでゆっくり歩こうと思ったが、寒くてそれどころではない。


まもなく、国道20号から左側の旧道へ進む。


 珍しく両塚が残っている「御射山神戸の一里塚」~西塚のケヤキは往時のもので樹齢400年とのこと。
 随分と多くの一里塚を見てきたが、これほど見事な塚木は記憶にない。日本橋から48里目。

 20分もしないうちに、茅野市へ入っていく。


 「金沢宿の案内図」が掲示されていた。

金沢宿~上諏訪宿
44 金沢宿
・元は青柳宿と称して、北西の権現原平に設置された。しかし度重なる宮川の氾濫や大火で焼失するなどの災難に見舞われ、現在の地に移り、金沢宿と改称した。
・宿場は伊那道を通じて高遠、飯田方面と通じ、塩や雑穀の通る中馬道であり、飯田、高遠藩の参勤道でもあり、物資流通上重要なところであった。
・上町、中町、下町に分けられ、それぞれ枡形が設けられた。本陣1 旅籠17


 国道20号の金沢交差点に宿場の面影を残す建物が集中していた。


 交差点の角地に「本陣跡」の説明があった。


 「近江屋跡」


 「馬宿跡」~明治中期の横棟造り。馬方と馬が主に宿泊できた。前に穴の空いた「馬繋ぎ石」がある。


 再び国道から別れて旧道を進む。国道は狭い上に朝の通勤の車の往来が激しいので、ホッとする。

 
 青空をバックに映えるカラマツ林の黄葉が美しい。


 「寒天の里」の大きな看板~海藻のテングサを煮た汁を固めたものかぎ心太。それをさらに凍結乾燥させたものが寒天。
 この地は冬になると夜間は零度以下に下がり、日中は晴朗なため、寒天作りに適していた。


 宮川地区で国道20号に出る。この辺りも宿場ではないが、街道の中心地だったようだ。
 交差点の角に名主を勤めた「五味氏宅」が建つ。明治13年の明治天皇の京都・伊勢巡行の際、当家で休息している。その記念碑が立っている。


 その向かいの「信州味噌醸造元伊藤商店」。味噌蔵に貧乏神神社が祀られているという。


 その斜め向かいには「宮川寒天蔵跡」~豪壮な木造土蔵造り3階建て。寒天の保管庫だった。


 そこを抜けると、茅野市から諏訪市に入り、再び狭い住宅街の中に続く旧道となる。
 車がすれ違うのに、非常に苦労している。歩道もないので怖い。


 「神戸の一里塚跡」~碑と甲州街道の説明がある。江戸から51里目。


 干し柿作り~皮はきれいに剥かれていた。雨どいの留め具にも1個ずつ干しているのが面白い。


 市街地の向こうに北アルプスの山々が見える。真ん中は穂高連峰。その右端に微かに槍ヶ岳も見える。

上諏訪宿~下諏訪宿
45 上諏訪宿
・甲州街道として最後の宿場。諏訪大社の門前町であり、別名高島ともいい、江戸時代は高島藩城下町としても発展した。
・宿は上町・中町・本町により形成され、街道沿いには酒蔵が建ち並び、それらの多くが今も現役で活動している。
・甲州街道は次の下諏訪宿が終点となる。諏訪大社は、全国に1万有余の末社を数え、諏訪湖南側の上社本宮、上社前宮、諏訪湖北側の下社秋宮、下社春宮の4つからなる変わった形をとっている。
・本陣1 旅籠14


 やがて、国道20号に出ると繁華街となり、上諏訪宿の中心部へと入っていく。
 一番手前に建つ「かねさ呉服店」~蔵造りの商家。暖簾には「曲尺にサ」と染め抜かれている。


 この宿場には5軒もの酒の醸造元がひしめき合っている。
 上は「銘酒真澄」~寛文2年(1662年)の創業。高島藩の御用酒屋だった。
 下は、「銘酒麗人」~寛政元年(1789年)明治27年の創業。


 上掲の2軒の間に、「銘酒横笛」(左)と「名酒本金」(左)が向かい合っている。
 「横滝」は伊東酒造。霧ヶ峰の伏流水を利用。「本金」の創業は宝暦6年(1756年)。蔵元酒ぬのや本金酒造。
 

さらに「銘酒舞姫」~明治27年(1894年)創業の舞姫酒造。

 まさに、宿場というよりは醸造元場とでもいうような佇まいに、うっかりして、舞姫酒造の隣にあった「小平本陣跡」の写真を撮るのを忘れてしまった。

 やがて、再び旧道歩きとなる。途中に「下桑原の一里塚跡碑」(日本橋から52里目)もあった。


 やがて、諏訪湖が見えてくる。手前は棚田。ゴールの下諏訪宿はもうすぐだ。

下諏訪宿
・甲州街道の終点で中山道の合流点の宿場である。
・中山道唯一の温泉場として知られ、和田峠を越えてきた旅人にはくつろぎとなる宿場であった。
・諏訪大社秋宮の門前町としても栄えた。また甲州街道の終点でもあったので、甲州街道からも人々が大勢集って賑わい、宿場の規模も大きかった。
・本陣1 脇本陣2 旅籠40
・この宿場は、中山道歩きのときにゲストハウスに泊まって、銭湯温泉に入っている。


 「茶屋橋本跡」~鯉料理が名物で、桁には鯉の彫刻が施されている。
 高島藩主もここまで出向き賞味したという。
 建物に接した門は高島城の三の丸門を移設したもの。


 やがて、「諏訪大社下社秋宮」に到着。ここは中山道歩きのときにじっくりと見ているので、写真を撮っただけで通過。


 ゴール手前の「新鶴本店」~明治6年創業。下諏訪名物「塩羊羮」の老舗。
 ここで、塩羊羮と饅頭を買って、合流点の標識の場所を教えてもらった。


 12:20、「甲州道中中山道合流の地碑」の横で、通りがかりのご夫妻にシャッターを押してもらった。
 まさに、五街道全踏破の記念すべき瞬間である。


 そこから下諏訪駅まで歩く。八王子までの電車まで1時間あるので、駅前の養老の滝で、3日ぶりの生ビールで独り乾杯をし、ランチのミックスフライ定食(700円)を食べた。

 茅野駅で特急あずさ20号に乗り換えて八王子まで移動。数日前に泊まった駅前の八王子温泉やすらぎの湯に到着。
 のんびり温泉に浸かったのはいうまでない。

 陣馬山~高尾山の縦走は、明日の方が比較的天気が良いので、明日決行することにした。これまでの30km以上歩いて来たよりはずっと楽なはず。