今日も後天に恵まれたが、朝はそれほど冷えなかった。
宿は街道の近くなので、リュックを預かってもらった。5:41の電車に乗って、幸手駅まで移動。
今日は少し早かったが、明日に約20kmを残して、草加宿の入口をゴールとした。
幸手宿~杉戸宿
6:00、昨日のゴールの幸手駅前交差点をスタート。
日の出はすでに6時を超えていた。
国道4号をしばらく歩き、県道373号へ入ると、すぐに杉戸宿へと入っていく。
杉戸宿~粕壁宿
〈杉戸宿〉
・人口1663人、家数365軒、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠46軒
・日光街道が定められてから付近の民家を集めて宿を開いたところ
・一面に水田があり良質のもち米がとれ、将軍家の膳には必ずこの地のものを用いたと言われる
宿場へ入っていくと、宿場時代の案内板があった。
「長瀬本陣跡」~本陣門を残している。
ここには、多くの旧家や商家が残っていた。
左上・「渡辺勘左衛門邸」~豪壮な家屋と蔵を残している。質屋業だった。
右上・不明
左下・不明
右下・「関口酒造」~創業文政5年(1822年)
本陣跡前から市街地を写す。
宿場の出口付近に復元されていた「高札場所」
このあとのコンビニのイートインでで簡単な朝食を摂る。
杉戸宿を出て、県道373号を進む。一部旧道に入るが、その入口の九品寺があり、その前の道標を兼ねた庚申塔に「右江戸」「右日光」と刻まれている。天明4年(1784年)堤根の村民が建立したもの。
国道4号に出てしばらく進み、今度は県道313号に入る。
「小渕の一里塚跡碑」~日本橋より9里目。
そばに天保3年(1832年)建立の庚申塔がある。
大落石古利根川に架かる新町橋を渡ると粕壁宿に入っていく。
当時は長さ6間、幅3間の板橋だった。
粕壁宿の入口近くの旅館に預けたリュックを取りに寄った。
粕壁宿~越谷宿
〈粕壁宿〉
・人口3701人、家数773軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠45軒
・粕壁はその昔、春日部氏という武将がいたことから発したものと分かり、昭和19年に春日部に改められた
・宿場の東側に古利根川が流れており鎌倉・室町時代には船の発着場があった
この宿場は、宿場時代の標識が充実している。
「日光道中粕壁宿 高札場跡・浜島家土蔵」の標柱
「永島庄兵衛商店」~慶長年間(1596~1615年)創業の米問屋。屋根に鍾馗像をのせている。
「田村荒物店」
「日光道中粕壁宿 本陣跡」の標柱と中心街を写す。
粕壁宿を出ると、再び国道4号の長い歩きが続く。
やがて、県道325号を進む。国道歩きより静かで、街並みも古さを感じる。
越谷宿~草加宿
〈越谷宿〉
・人口4603人、家数1005軒、本陣1軒、脇本陣4軒、旅籠52軒
・現在は越谷と表記するが、以前は越ヶ谷と「ヶ」を入れて表記していた
・街道筋であったことを解説するものが一切ないのはもったいないと思う
越谷宿へ入っていくが、明治7年の火事で宿並みは焼けてしまったらしく、歴史を感じる建物がない。
この辺りが本陣や脇本陣があったところである。
しかし、元荒川に架かる大橋を渡ると、景観は一変して、蔵を持った旧家や商家が多くなる。火事は川から延焼しなかったらしい。
越谷宿を抜けて県道49号を進む。途中のすき家で、大盛りの牛丼ランチを食べた。
「清蔵院」の山門の龍は左甚五郎の作と伝えられるが、夜な夜な抜け出して悪さをするので、金網で覆われたという。
「蒲生の一里塚」~東塚を残しているが、塚の上に植えられたこれだけ大きな榎を見るのは、これまでの街道歩きで初めてである。
愛宕社が祀られ、塚下には地蔵尊が並ぶ。塚の前に旧道痕跡がある。日本橋から5里目。
「蒲生大橋」の横に掲げられた高浜虚子の句。このあと、右の川岸の道を進む。
「奥の細道の壁画」~草加宿に着いた芭蕉と曽良の姿が描かれている。
「芭蕉の句碑」~この辺りは草加松原と言われ、昔から松並木があったという。今も復元されて公園のようになっている。
13:45今日のゴール、草加松原駅入口の百代橋。
あと日本橋まで20kmほどで、宿場は草加宿と千住宿を残すだけである。
草加宿の中心部は明日の楽しみに取っておくためにも、時間的にもやや早いが、ここをゴールとした。
東武鉄道の草加松原駅から上野で銀座線に乗り換えて日本橋まで移動。
予約しておいたカプセルホテル・東京駅前ベイホテル(4000円)にチェックイン。
予約はしてなかったが連泊をお願いしたら、5800円だという。じゃらんで申し込もうとしたら、5700円だった。
今日の分の予約は事前たったから安かったのだろう。100円しか違わないので直接申込みにした。
東京はカプセルホテルまで高い。おまけに大浴場もない。シャワーだけ。
実は、中山道と東海道の時に利用したホテルと勘違いして申し込んでしまったらしい。
早く着いたので、19時前にブログアップ完了。これから外に出て夕食タイム。昼に大盛りの牛丼を食べたのに、腹がグーグー鳴っている。
食費は1日2000円と決めているが、昨夜の分と合わせて、ちょっと豪華に。久しぶりに落ち着いて夕食を食べた。
宿は街道の近くなので、リュックを預かってもらった。5:41の電車に乗って、幸手駅まで移動。
今日は少し早かったが、明日に約20kmを残して、草加宿の入口をゴールとした。
幸手宿~杉戸宿
6:00、昨日のゴールの幸手駅前交差点をスタート。
日の出はすでに6時を超えていた。
国道4号をしばらく歩き、県道373号へ入ると、すぐに杉戸宿へと入っていく。
杉戸宿~粕壁宿
〈杉戸宿〉
・人口1663人、家数365軒、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠46軒
・日光街道が定められてから付近の民家を集めて宿を開いたところ
・一面に水田があり良質のもち米がとれ、将軍家の膳には必ずこの地のものを用いたと言われる
宿場へ入っていくと、宿場時代の案内板があった。
「長瀬本陣跡」~本陣門を残している。
ここには、多くの旧家や商家が残っていた。
左上・「渡辺勘左衛門邸」~豪壮な家屋と蔵を残している。質屋業だった。
右上・不明
左下・不明
右下・「関口酒造」~創業文政5年(1822年)
本陣跡前から市街地を写す。
宿場の出口付近に復元されていた「高札場所」
このあとのコンビニのイートインでで簡単な朝食を摂る。
杉戸宿を出て、県道373号を進む。一部旧道に入るが、その入口の九品寺があり、その前の道標を兼ねた庚申塔に「右江戸」「右日光」と刻まれている。天明4年(1784年)堤根の村民が建立したもの。
国道4号に出てしばらく進み、今度は県道313号に入る。
「小渕の一里塚跡碑」~日本橋より9里目。
そばに天保3年(1832年)建立の庚申塔がある。
大落石古利根川に架かる新町橋を渡ると粕壁宿に入っていく。
当時は長さ6間、幅3間の板橋だった。
粕壁宿の入口近くの旅館に預けたリュックを取りに寄った。
粕壁宿~越谷宿
〈粕壁宿〉
・人口3701人、家数773軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠45軒
・粕壁はその昔、春日部氏という武将がいたことから発したものと分かり、昭和19年に春日部に改められた
・宿場の東側に古利根川が流れており鎌倉・室町時代には船の発着場があった
この宿場は、宿場時代の標識が充実している。
「日光道中粕壁宿 高札場跡・浜島家土蔵」の標柱
「永島庄兵衛商店」~慶長年間(1596~1615年)創業の米問屋。屋根に鍾馗像をのせている。
「田村荒物店」
「日光道中粕壁宿 本陣跡」の標柱と中心街を写す。
粕壁宿を出ると、再び国道4号の長い歩きが続く。
やがて、県道325号を進む。国道歩きより静かで、街並みも古さを感じる。
越谷宿~草加宿
〈越谷宿〉
・人口4603人、家数1005軒、本陣1軒、脇本陣4軒、旅籠52軒
・現在は越谷と表記するが、以前は越ヶ谷と「ヶ」を入れて表記していた
・街道筋であったことを解説するものが一切ないのはもったいないと思う
越谷宿へ入っていくが、明治7年の火事で宿並みは焼けてしまったらしく、歴史を感じる建物がない。
この辺りが本陣や脇本陣があったところである。
しかし、元荒川に架かる大橋を渡ると、景観は一変して、蔵を持った旧家や商家が多くなる。火事は川から延焼しなかったらしい。
越谷宿を抜けて県道49号を進む。途中のすき家で、大盛りの牛丼ランチを食べた。
「清蔵院」の山門の龍は左甚五郎の作と伝えられるが、夜な夜な抜け出して悪さをするので、金網で覆われたという。
「蒲生の一里塚」~東塚を残しているが、塚の上に植えられたこれだけ大きな榎を見るのは、これまでの街道歩きで初めてである。
愛宕社が祀られ、塚下には地蔵尊が並ぶ。塚の前に旧道痕跡がある。日本橋から5里目。
「蒲生大橋」の横に掲げられた高浜虚子の句。このあと、右の川岸の道を進む。
「奥の細道の壁画」~草加宿に着いた芭蕉と曽良の姿が描かれている。
「芭蕉の句碑」~この辺りは草加松原と言われ、昔から松並木があったという。今も復元されて公園のようになっている。
13:45今日のゴール、草加松原駅入口の百代橋。
あと日本橋まで20kmほどで、宿場は草加宿と千住宿を残すだけである。
草加宿の中心部は明日の楽しみに取っておくためにも、時間的にもやや早いが、ここをゴールとした。
東武鉄道の草加松原駅から上野で銀座線に乗り換えて日本橋まで移動。
予約しておいたカプセルホテル・東京駅前ベイホテル(4000円)にチェックイン。
予約はしてなかったが連泊をお願いしたら、5800円だという。じゃらんで申し込もうとしたら、5700円だった。
今日の分の予約は事前たったから安かったのだろう。100円しか違わないので直接申込みにした。
東京はカプセルホテルまで高い。おまけに大浴場もない。シャワーだけ。
実は、中山道と東海道の時に利用したホテルと勘違いして申し込んでしまったらしい。
早く着いたので、19時前にブログアップ完了。これから外に出て夕食タイム。昼に大盛りの牛丼を食べたのに、腹がグーグー鳴っている。
食費は1日2000円と決めているが、昨夜の分と合わせて、ちょっと豪華に。久しぶりに落ち着いて夕食を食べた。