本日、最近ご無沙汰していたが、記念となる第100回「箱館歴史散歩の会」(主宰・中尾仁彦氏)に参加した。
日程は、いつもの町巡りの他に、100回記念に相応しい充実した濃い内容だった。
10:00~11:45 「西部地区坂巡り」(その2)<二十間坂・大三坂>※参加者140名
12:00~12:45 記念昼食会(五島軒)
12:45~13:00 記念式典(発起人挨拶、来賓祝辞、花束贈呈)
13:00~13:30 記念講演「函館の初代区長常野正義氏と四天王」講師・元函館市史編さん室長紺野哲也氏
13:30~14:45 講話「100回を振り返って」(中尾仁彦氏)
○まずは、「西部地区坂巡り」<二十間坂・大三坂>
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二十間坂
函館は明治から昭和9年まで26回もの大火に見舞われている。明治11年、12年の連続大火後に造られた「防火」を象徴する二十間坂、それ以前の面影を残す大三坂の好対照な坂を巡った。教会・寺院・洋館、そして上下和洋折衷住宅が存在するなど、函館の景観を代表するゾーンである。
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二十間坂の右角にある「旧目貫商店」
この「旧目貫商店」は、大正10年の大会の後に、鉄筋コンクリートより安価で工期の短い鉄筋ブロック造りで建てられた26棟のうち唯一現存している建物。
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大三坂の登り口の両側に建つ「エビス商会」(左)と「川越電化センター」(旧リューリ館)
旧リューリ館は大正10年の大火以降の建物で、バルコニーや軒下、窓などの造りが素晴らしい
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大三坂と途中の右側に建つ「旧仁壽生命函館支店」・・・この辺りは金融街だった
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旧亀井勝一郎宅
当時、東京などで活躍していた建築家・関根要太郎設計の建築物。この他に函館にも数軒現存している。
この家の下隣には、有名な長谷川四兄弟(「丹下左膳」の作者林不忘は、長男海太郎、次男潾二郎は画家・小説家、三男濬シュンはロシア文学者・小説家・詩人、四男四郎も小説家・詩人・翻訳・劇作家)が住み、上の方には久往十蘭が住んでいたと言う。
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カールレーモンさんの工場(今は店)と住宅だった建物(右)
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教会群と東本願寺(函館山車道から)
※それぞれの教会は、もともとは函館を訪れる外国人のためのものだった。日本で布教が許されたのは明治7年以降。市街地の雑居地に建てられたために直に外国の文化・文明と触れあうことができて函館のそれらの発達に大きな影響を与えた。
・「天主堂教会(カトリック教会)」(左下の工事中のネットで覆われている)
~ローマ系で、最初建てられたのは明治10年。その後明治40年と大正10年の大火で焼けて再建されている。
・「函館ハリストス正教会復活聖堂」(左手前)
~ロシア系で、初代聖堂は万延元年(1860年)に日本で最初に建てられたが、明治40年の大火で焼失。現在の教会は大正5年に建てられたもの。ロシアは領事館を函館に全国でいち早く設定し、函館の文化・文明の発達に一番大きな影響を与えた。西洋医療や写真ほか。
・「函館聖公会(ヨハネ教会)」(右手前)
~イギリス系で、最初の礼拝堂は明治22~23年頃。現在の教会は4代目?。特に医療・福祉・学校などに力を入れた。
・右下「大谷派本願寺函館別院(東本願寺)」(右下)
~松前藩の後ろ盾で勢力を伸ばした。日本最初の鉄筋コンクリート造寺院(大正4年)。大正10年の大火で焼け残った・・・檀家総代の渡辺熊四郎の先見の明と言われている。
○記念昼食会
中尾氏のご人徳ゆえの136名もの参加者だった。前日に中尾氏から直接電話があり、畏れ多くも「基本的には自由席なのですが、坂口さんのお席は真ん中のテーブルの前の方に名札を置いて用意してあります。」とのことだった。周りはご招待を受けた顔ぶれのようだった・・・恐縮至極!
○記念講演
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ユーモアに富んだ記念講演の紺野哲也氏
内容は、中尾氏の曾祖父に当たる函館初代区長常野正義の功績からしても、元町公園に建っている四天王像は、その中心人物だった常野氏が抜けているのはおかしいというの主旨だった。
○中尾氏による講話「100回を振り返って」
・始めたきっかけは移住者の会から函館の歴史を教えてほしいということだった。
・第2の人生をどう生きるか・・・子どもの頃から好きだった歴史(郷土史)と趣味のウォーキングの融合。郷土史はほとんど独学。情報の8割は新聞記事・・・丹念且つ徹底したスクラップ。
・気軽に参加して欲しいので、事前申し込みの受付はしない。苦労は、人数把握が難しいので資料部数の用意や見学先への人数報告。テーマの設定と2時間で廻れる見学先の選定など。
・気力と体力が続く限り、今後も続けたいとのこと。
※いつも参加するたびに新しい情報と、函館に寄せる中尾氏の情熱に感動する。 参加するたびに共感するのは、「函館は川もなく、港と山の間の狭い土地に、湯ノ川や亀田と合併するずっと以前の大正9年には14万5千人の人口が集中し、東京以北随一、全国でも9番目の大都市だった。明治以降26回もの大火に見舞われてもそのたびに復活を遂げて、どんどん人口が増えていった。そこに、当時の函館の経済力の凄さを感じる」ということだ。