癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

遅ればせながらの初ジョグ

2013年06月12日 | 日常生活・つぶやき
 9/29(日)開催の「函館ハーフマラソン」の実施要項が届いた。今年の招待選手は、公務員ランナーとして有名な川内優輝選手だ。2年後からフルマラソンも実施される計画で、そのコース案も出ている。そうなると、ハーフもコースが変わるようだ。今のコースで開催されるのは、今年と来年だけということになる。

 申し込み受付は6/17からだが、今年も出場するつもりだ。例年なら、もう少し早い時期から気の向いたときだけでも、少しは走っていたはずだ。しかし、3月末から原因不明の下痢が続いて、とてもその気にはならなかった。しかも、昨年は刺激されていた妻も冬には走っていたのに、最近は体調がイマイチでその気にならないらしい。女性特有の年齢から来る○○期の症状なのかも知れない?

 どうやら、腹の調子も回復傾向になってきたので、実施要領に刺激されて、遅ればせながら亀ジョグで5kmほど走ってみた。過去にも、申し込んでから走り始めて間に合っているので、なんとかなるだろう。とりあえず、山に登らないときは週に2~3回は走って、無理せずに少しずつ距離を延ばすようにしたい。

 夕食前に走って、シャワーを浴びて、夕食時に飲む安いビールもどきも、生ビールに変わる! これを励みに頑張ろうと思う

見頃を迎えた五稜郭の藤棚

2013年06月11日 | 花・紅葉だより

 ここ数日、急に暑い日が続いているが、例年より少し遅れて五稜郭公園の藤棚の花が見頃を迎えている。この藤棚、いつ頃からあるのかは不明らしいが、80年以上は経っているらしい。

 実は、この藤棚、数年前に箱館奉行所の復元に伴って、撤去の話が持ち上がったことがある。それは、「箱館奉行所を復元するのであれば、藤棚付近にあったといわれる「砦」も忠実に復元すべきである。」という学識経験者の意見が鵜呑みにされ、市議会で取り上がられたという。しかし、それを耳にした市民の保存運動が実を結び、無事残ったのである。












1周年を迎えた「ほっかいどう山楽紀行」

2013年06月10日 | 登山・旅行

 今日は、素晴らしい天候にもかかわらず、一日中家にこもって、PCの前に座り続け、先週末の2日間の沢登りの記録のHPへのアップ作業。退職校長会の広報誌の原稿書き、ユウパリコザクラの会から依頼された25周年記念誌の原稿書き、道新連載の原稿書きなどに没頭した。一日中PCをいじっていても、目も疲れないし、肩も凝ったりしない我が身体が愛おしい。

 さて、昨年の6/2に始まった拙筆による北海道新聞札幌圏版隔週金曜日の「ほっかいどう山楽紀行」は、早いものでちょうど1周年を迎えた。先週の6/7掲載は我が地元の「大千軒岳」だった。せっかく稜線一面を真っ黄色に染めるミヤマキンバイを入れた写真だったのに、カラー印刷でなかったのが残念。これまで27回の内、7回が白黒紙面だった。たまたま、昨年7月の小泉岳のお花畑と今回のお花畑が白黒紙面にぶつかってしまったのが悔しい。

 掲載日の10日前に原稿を送ると、その日の内に担当編集委員のKさんから校正原稿がFAXで届く。それをもとに打合せをしたものが、2日後の木曜日に紙面原稿となってFAXで送られてくる。表題(山名と位置)を兼ねる地図は、専門の担当が作成してくれる。見出し文のフレーズは、やはり専門の担当がいて、なかなかこちらの原案通りにはならない。プライドが高くて、担当者も口を挟めないらしい。確かに見出し文は読者を惹き付ける新聞の命でもある。それだけに、感心することは圧倒的に多いが、たまに、自分の原案の方が良かったな~と思うこともある。

 連載が終わったら、北海道新聞社から単行本として発行してもらいたいと思っている。そのためには、1回分を見開き2ページで掲載するとして、100山は載せたいと考えている。そうなると、年間で25~6回だから、4年は続けなくてはならない・・・果たして、それまでやらせてもらえるかどうかは不明である。

 ただ、心配なのは、1年の内半年近くを占める冬期間の山である。できるだけ旬の山を紹介するようにしているのだが、登山道があって、夏も冬も登れる山を紹介している。しかし、そのような山は、自分の山行記録でも限られている。夏山だけならいくらでもネタはあるのだが・・・。

 今度の12月~4月までのネタは用意してあるが、それ以降は、来冬の取材山行で補えるとしてもかなり厳しい。そうなったら、登山道はなくても、雪山として人気のある山も取り上げてもらえるようにしなくてならないと考えている。

 これまでに配布地域に住んでいる山仲間からは直接の感想を聞くことができている。スクラップしている方もいるようだ。「ひとつの山で夏と冬の紀行が同時に読めるのは珍しい」「実際の紀行が中心なので、臨場感があって読んでいても楽しい」「その山の歴史や由来などが分かっておもしろい」などと言う声をうれしく受け止めている。

 ただ、気を付けなければならないのは、歴的な史実や由来や学術的なことに関しては、それぞれに詳しい方や専門家がいて、2回だけだが、読者から指摘を受けている。今後とも、慎重に最新の確かな情報を調べて記述しなくてはならないと考えている。

松倉川上流「羽衣の滝」の沢

2013年06月09日 | 登山・旅行

羽衣の滝の前で・・・この後、この滝を右から高巻いて、さらに上流へ

 松倉川は函館市の袴腰岳付近に端を発し、湯の川温泉街から津軽海峡に注ぐ24kmほどの川である。この川の上流部の魅力は、大小の数々の滝や釜や淵と豊かな河畔林を持つ清流である。最近、その美しさゆえに人気の銘渓のひとつにもなっていて、全道各地から訪れる沢愛好者が多い。

 その美しい景観を味わえる遡行の核心部は、ミズノ沢出会い(300m)からご神木(430m)の間である。その上の460二股から左へ詰めると、「黒滝」を越えて水源の「アヤメ谷地」へ突き上げている。右を詰めると550二股で30m級の「羽衣の滝」と「天女の滝」の沢に分かれ、詰めると、それぞれ上の林道へ出ることができる。

 これまでに、「アヤメ谷地」への沢と「天女の滝」の沢は林道まで遡っているが、残っていたのが、「羽衣の滝」の沢であった。今回同行をいただいたSHOさんもTaoさんもその沢が残っていた。3人とも初めての沢の上、まったく情報がないので、何が出てくるか楽しみだった。

 今回は、2度遡っている美しい景観の核心部ミズノ沢出会いからご神木までの部分は省略し、車で入ることのできるご神木から入渓した。平凡な沢を1時間ほど遡ると、右から「羽衣の滝」が落ち、その先の右から「天女の滝」が落ちている。前回は「天女の滝」を右から高巻いて、その上の沢を林道まで詰めている。

 今回は、右から合流する「羽衣の滝」の上の沢を詰めるのが目的だ。「天女の滝」を見て戻り、「羽衣の滝」を見上げる。この滝は右の藪から意外と簡単に巻くことができた。しかし、その先に現れた15mほどの滝には手こずった。直登は不可能なので、まずは右から高巻いたが、泥壁に阻まれて断念。左の小沢を利用して大高巻きをした。

 その上も斜度が急で、次々と小滝が連続する。深いまん丸な釜を持った小滝や、高度差80mほども続いた急でぺろんとした連瀑など・・・2度ほどロープを出してもらったところもあった。「アヤメ谷地」への沢や「天女の滝」の沢に比べて、この沢は、想定外の滝が連続し、なかなか手強くも楽しい沢で、3人とも大満足だった。


 羽衣の滝までの途中の崖の下 


 天女の滝を下から見上げるTaoさん


 「羽衣の滝」の上の15m級の滝
右からの高巻きは泥壁に阻まれて断念し、左の小沢を利用しての大高巻きで突破 


 深いまん丸な釜を持った小滝


 690m~770m付近までの連瀑


 Taoさんがバイルで足場を削って突破し、ロープを出してくれた


 出渓地点の林道へ車デポ 9:45、入渓(ご神木)10:25、遡行時間3時間35分、林道14:00

詳しい遡行記録は、下記親サイトでどうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com (アップ完了)

沢始め・・・赤井川左股沢(亀田川上流)

2013年06月08日 | 登山・旅行

700m付近で最初に現れた滝

 SHOさんの提案に乗って、今シーズンの沢始めとして、亀田川上流の赤井川左股沢の沢登りにトライ。袴腰岳と烏帽子岳のコルに突き上げる右股沢は2年前の秋に単独で遡っている。SHOさんもその後遡っていて、思いがけず多くの滝を楽しむことができた。SHOさんによると、そのときに目にした赤井川林道にある案内板の左股沢にも滝のマークがいくつか付いていたので、多分滝が期待できるだろうとのこと。この左股沢は烏帽子岳の北側の第二湿原へ突き上げている沢だった。これらの沢は、我々函館市民の水源となっている沢でもある。

 赤井川林道のこの沢に架かる橋から入渓。40分ほどで、岩盤の上を流れるナメが現れ、700m付近で最初の滝が出現・・・ここは右端を直登できた。ここから750付近まで、いくつかの滑滝が続いた。それを越えると単純な沢になり、もう核心部は終わったのかとちょっと物足りなさを感じて遡っていった。ところが、地図を見てもしかしたらと期待していた800m~850mの右側が崖となっているところでは、再び大きな滝が次々と現れて大満足。直登したり、高巻いたりしながら突破していった。特に最後の滝は直登は無理で左から高巻いたら、その上にも滝が続いていて、さらに高巻いた。

 850mを越えたら滝はなくなり、徐々に水量も少なくなる。分岐では水流の多い左へ左へと進んだが、950m付近で源頭地形にぶつかる。GPSで確かめたら、予定の沢の右を進んでいる。しかし、水流は左には見当たらなかった。多分伏流していたのだろう。沢型は諦めてそのまま笹藪へ突入して進む。ネマガリダケでないのが幸い。しかし、1000mを越えた辺りで、右へカーブして湿原へ繋がる沢へ合流できた。そのまま進み、第二湿原の左側の登山道へ出ることができ、結果オーライだった。結果的に、予想より多くの滝を楽しむことができて、沢始めに相応しい楽しい沢だった。
 
 帰りは、距離は長いが登山道を下ることにした。烏帽子岳のピークには寄らず袴腰岳を経由して下った。袴腰岳頂上には函館のHYMLメンバーのSさんと会った。結局であった人は、そのほかに湿原のところで横津岳からやっていた女性の2人連れと袴腰岳へ登ってきたご夫婦のみであった。

 7:00スタート、登り3時間10分、下り2時間35分(登山道と林道歩き)、12:50ゴール。


赤井川林道に立っている案内板


 750m付近の滑滝


 800付近の2段の滝・・・右の藪を高巻いた



 830付近の滝・・・左を登った
 

 850付近のたき。左の急斜面の藪を高巻いたらさらに上にも滝が続いていた。一番苦労した高巻き。


 湿原の近くで満開のタカネザクラ


 第二湿原の左側に到着


詳しい遡行記録は、下記親サイトでどうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com/ (アップ完了)

第100回記念「箱館歴史散歩の会」

2013年06月07日 | 街並み・歴史探訪・ドライブ

 本日、最近ご無沙汰していたが、記念となる第100回「箱館歴史散歩の会」(主宰・中尾仁彦氏)に参加した。

 日程は、いつもの町巡りの他に、100回記念に相応しい充実した濃い内容だった。 
10:00~11:45 「西部地区坂巡り」(その2)<二十間坂・大三坂>※参加者140名
12:00~12:45 記念昼食会(五島軒)
12:45~13:00 記念式典(発起人挨拶、来賓祝辞、花束贈呈)
13:00~13:30 記念講演「函館の初代区長常野正義氏と四天王」講師・元函館市史編さん室長紺野哲也氏
13:30~14:45 講話「100回を振り返って」(中尾仁彦氏)

○まずは、「西部地区坂巡り」<二十間坂・大三坂>


二十間坂

 函館は明治から昭和9年まで26回もの大火に見舞われている。明治11年、12年の連続大火後に造られた「防火」を象徴する二十間坂、それ以前の面影を残す大三坂の好対照な坂を巡った。教会・寺院・洋館、そして上下和洋折衷住宅が存在するなど、函館の景観を代表するゾーンである。


 二十間坂の右角にある「旧目貫商店」

 この「旧目貫商店」は、大正10年の大会の後に、鉄筋コンクリートより安価で工期の短い鉄筋ブロック造りで建てられた26棟のうち唯一現存している建物。


大三坂の登り口の両側に建つ「エビス商会」(左)と「川越電化センター」(旧リューリ館)
  
旧リューリ館は大正10年の大火以降の建物で、バルコニーや軒下、窓などの造りが素晴らしい


大三坂と途中の右側に建つ「旧仁壽生命函館支店」・・・この辺りは金融街だった



旧亀井勝一郎宅

当時、東京などで活躍していた建築家・関根要太郎設計の建築物。この他に函館にも数軒現存している。
この家の下隣には、有名な長谷川四兄弟(「丹下左膳」の作者林不忘は、長男海太郎、次男潾二郎は画家・小説家、三男濬シュンはロシア文学者・小説家・詩人、四男四郎も小説家・詩人・翻訳・劇作家)が住み、上の方には久往十蘭が住んでいたと言う。


カールレーモンさんの工場(今は店)と住宅だった建物(右)



教会群と東本願寺(函館山車道から)

※それぞれの教会は、もともとは函館を訪れる外国人のためのものだった。日本で布教が許されたのは明治7年以降。市街地の雑居地に建てられたために直に外国の文化・文明と触れあうことができて函館のそれらの発達に大きな影響を与えた。
・「天主堂教会(カトリック教会)」(左下の工事中のネットで覆われている)
~ローマ系で、最初建てられたのは明治10年。その後明治40年と大正10年の大火で焼けて再建されている。
・「函館ハリストス正教会復活聖堂」(左手前)
~ロシア系で、初代聖堂は万延元年(1860年)に日本で最初に建てられたが、明治40年の大火で焼失。現在の教会は大正5年に建てられたもの。ロシアは領事館を函館に全国でいち早く設定し、函館の文化・文明の発達に一番大きな影響を与えた。西洋医療や写真ほか。
・「函館聖公会(ヨハネ教会)」(右手前)
~イギリス系で、最初の礼拝堂は明治22~23年頃。現在の教会は4代目?。特に医療・福祉・学校などに力を入れた。
・右下「大谷派本願寺函館別院(東本願寺)」(右下)
~松前藩の後ろ盾で勢力を伸ばした。日本最初の鉄筋コンクリート造寺院(大正4年)。大正10年の大火で焼け残った・・・檀家総代の渡辺熊四郎の先見の明と言われている。 

○記念昼食会

 中尾氏のご人徳ゆえの136名もの参加者だった。前日に中尾氏から直接電話があり、畏れ多くも「基本的には自由席なのですが、坂口さんのお席は真ん中のテーブルの前の方に名札を置いて用意してあります。」とのことだった。周りはご招待を受けた顔ぶれのようだった・・・恐縮至極!

○記念講演

 ユーモアに富んだ記念講演の紺野哲也氏

 内容は、中尾氏の曾祖父に当たる函館初代区長常野正義の功績からしても、元町公園に建っている四天王像は、その中心人物だった常野氏が抜けているのはおかしいというの主旨だった。

○中尾氏による講話「100回を振り返って」
・始めたきっかけは移住者の会から函館の歴史を教えてほしいということだった。
・第2の人生をどう生きるか・・・子どもの頃から好きだった歴史(郷土史)と趣味のウォーキングの融合。郷土史はほとんど独学。情報の8割は新聞記事・・・丹念且つ徹底したスクラップ。
・気軽に参加して欲しいので、事前申し込みの受付はしない。苦労は、人数把握が難しいので資料部数の用意や見学先への人数報告。テーマの設定と2時間で廻れる見学先の選定など。
・気力と体力が続く限り、今後も続けたいとのこと。

※いつも参加するたびに新しい情報と、函館に寄せる中尾氏の情熱に感動する。 参加するたびに共感するのは、「函館は川もなく、港と山の間の狭い土地に、湯ノ川や亀田と合併するずっと以前の大正9年には14万5千人の人口が集中し、東京以北随一、全国でも9番目の大都市だった。明治以降26回もの大火に見舞われてもそのたびに復活を遂げて、どんどん人口が増えていった。そこに、当時の函館の経済力の凄さを感じる」ということだ。

最初の職場のOB会

2013年06月07日 | 日常生活・つぶやき

しおりに使用されている当時の正面校舎の写真

 昭和41年4月、大学を出て最初に勤めた職場は、当時まだ函館市と合併する前の亀田町立亀田小学校だった。

 当時、児童数が1400名もいて、36学級ほどのマンモス校だった。渡島管内の教育研究の中心校で、毎年全学級公開の研究会が開かれ、全学級に教育大学の教育実習生が配属される学校だった。それだけにほとんどが20~30代のバリバリの職員ばかりだった。

 夜8時頃までの学習会や打合せは日常茶飯事・・・仕事もバリバリこなしたが、当時、まだ車の時代でなかったので、仕事が終わると、隣の酒屋から酒を買い込んでは、夜遅くまで侃々諤々教育談義をしたものだった。みんな若かったので、バドミントン、スキー、野球などにも興じた。それだけに濃密な人間関係が培われ、職場が変わっても先輩後輩の関係でずっとお世話になった。


 校歌を熱唱

 そんな職場に7年間お世話になった。自分の仕事や人生の基礎・基本のほとんどはここで培われたと言っても過言ではない。そんな懐かしい仲間の函館市と合併するまでのOB会が、今年で44回目を迎えた。

 当然、全員60代以上となってしまったが、87歳を筆頭に19名が集った。みんな当時の20~30代に戻って、やんちゃなジジババの実に楽しいひとときだった。

鳴神の滝&長万部岳6合目付近まで

2013年06月06日 | 登山・旅行
 岩内の道の駅で朝を迎え、まずは、岩内の「鳴神の滝」を見に寄った。その後、長万部岳へ。

 岩内町の観光名所の一つ、落差6.6の「鳴神の滝」(左)と右から落ちる無名の滝。


手前にオーバーハングした大きな岩があり、根元に水神様が奉られていた



 帰路ついでに、山菜採り期待で長万部岳へ。しかし、旧鉱山跡の5合目を越えると、一面雪で覆われて登山道はまったく分からない状況。山スキー用の標識もあるし、GPSもあるので登ることは可能だったが、雪山歩きは昨日で切り上げたつもりだし、上の方は山菜は期待できないし、3度も登っているし、頂上にガスも懸かってきたし・・・ということで、無理して登る意味もないと思い、そこから戻ることにした。

 それにしても、山菜の少ない山だった・・・雪が残っているのでギョウジャニンニクを探したが見当たらなかった。わずかばかりのウドとタラの芽とフキを採りながら下山。


今年初めて目にしたフギレオオバキスミレ


5合目の上で見つけた鉱山関係の遺構(石が積み上げられていた)


ブナの新緑と山スキー用の標識


スキー納めの目国内岳&つぼ足でのシャクナゲ沼

2013年06月05日 | 登山・旅行

前目国内岳の南西斜面をトラバースして目国内岳を目指す

 今年は異常に雪解けが遅い。つい先日の情報で、「新見峠まで開通し、新見峠から目国内岳までバッチリ雪が着いていて、まだ十分スキーが楽しめる」とのこと。6月にスキーを滑るなんて、60年近いスキー歴で初めてだ。スキー納めに持って来いの状況だ。

 朝4時に出て新見峠を目指す。無風快晴の下、前目国内岳の南西斜面をトラバースして目国内岳を目指す。斜めに起き上がっているダケカンバの幼木がちょっと煩わしいが、頂上直下の岩場の根元まで快調に登ることができた。暑くて、まさに夏山スキーの感じ。

 すぐ下るのがもったいないくて、ポカポカ陽気の下40分ほどのんびり過ごす。まっすぐ下山するのではなく、厳冬期に滑る南斜面の1000m台地まで滑り下りて登り返す。この斜面はボコボコして氷の固まりもあったりで快適なターンは楽しめなかった。

 尾根まで登り返して、南西斜面を下って下山の滑りに就く。こちらの斜面の方が均一なザラメで滑りやすかった。

 7:10スタート、登り2時間10分、下り1時間10分(南斜面の滑りと登り返しも含む)、11:10ゴール

 午後の予定はすでに溶けて姿を現しているというシャクナゲ沼。ニセコパノラマラインは、ニセコ方面の方は雪崩で通行止めだった。新見温泉方向へ戻りチセヌプリスキー場へ移動した。   


 頂上直下の岩場をバックに・・・暑くて半袖のTシャツ1枚


 頂上直下から雲海に覆われた噴火湾越しに見える駒ヶ岳をズーム、左は横津岳


 帰りに滑り降りた南西斜面と前目国内岳以南のニセコ連峰~羊蹄山の重なり


 GPSトラックログ(赤は登り、緑は下り)


○シャクナゲ沼

 シャクナゲ岳をバックに・・・沼のあるコルを直接狙って登る

 午前で目国内岳を下山してしまったので、沼が姿を現しているという最新情報をもとに、チセヌプリスキー場からスタート。スキー場の下の部分が雪が切れているので、少しの間シートラすればスキーでもOKだったが、サクサク歩きたいので、スパイク長靴でトライ。

 スキー場の下の部分は少しの間登山道を登ったが、雪で覆われた途中からは、夏道や冬ルートを無視して、地図を読みながら最短距離のルートを狙った。詰めは広い沢地形の急斜面で、上の部分で数mの藪漕ぎもあったが、沼と頂上への分岐へ直接登ることができた。


 湖面の向こうに午前中に登った目国内岳がスッポリと収まる大好きな眺め


 雪面を覆うダケカンバの白い幹と若葉の新緑が美しい。


 GPSトラックログ(登り~赤、下り~緑)


 13:00スタート、登り1時間45分、下り1時間 15:05ゴール。

遅咲きの桜の名所・・・石崎地主海神社

2013年06月04日 | 花・紅葉だより

 他人のブログを何気なく見ていたら、函館市内に遅咲きの桜の名所があるという・・・それは石崎地主海神社の八重桜とのこと。恵山のツツジの開花とほぼ同時期のことから、春の行楽を楽しむドライブにはもってこいのコースだという。先日恵山のツツジを見に行ったばかりだが、全然知らなかった。

 花の遅かった今年はまだ見られるとのことなので、かなり遠いがMTBに跨り、サイクリングがてら出掛けてみた。国道278号を湯の川温泉から恵山方面に向かい、銭亀沢を過ぎて石崎町に入ったら、山側に「石崎地主海神社入口」の看板があった。急な登りはさすがMTBは押して歩いたが、坂道を登っていくと、300mほどの参道から鳥居まで一直線に八重桜のトンネルが続いていた。

 花は盛りを過ぎて、葉も広がっていたが、平日にもかかわらず、多くの人で賑わっていた。観光バスの一団もやってきたのには驚いた。 


 この「石崎地主海神社」は、仙台からの入植者が、1910(明治43)年に建立。現在の社殿は1968(昭和43)年に改築。
 ここの桜は、「現在の社殿を建て替えした際に、松前町から桜の苗木300本を譲り受けて境内や参道に植えられたことに始まる。」(神社の説明板から)
 その後、地域の方ともども手入れを行い育て、平成15年(2003)には、北海道故郷桜元気の会から「第7回ふるさと景観賞」の選定を受け桜の名所として親しまれている・・・とのこと。


神社の下は広い芝生になっていて、花見などの憩いの場所になっている。バックに函館山も見える

 
ほとんどの桜は「関山」(左)だが、「普賢象」(右)も数本あった


桜の花の下でくつろぐ人たち


ツツジと立派な社殿


境内のツツジも見頃・・エゾヤマツツジ(赤)、キレンゲツツジ(黄)、サラサドウダン(後)


○函館酪農公社の菜の花畑
 往路は海岸沿いの国道278号線を走ったが、復路は、高台の農道を走ってきた。途中に函館牛乳の函館酪農公社に寄って、菜の花畑を見てソフトクリームを食べた。



 帰りの農道はアップダウンが多く、MTBのギヤをフル活用して汗を流しながらペダルを漕いだ。帰宅後、地図で距離を測ったら、往復でざっと35kmだった・・・結構良いトレーニングにもなったようだ。

米寿会員への記念品届け

2013年06月03日 | 日常生活・つぶやき

我が家のサラサドウダンと名称不明のツツジ

 昨年から理事長を仰せつかっている北海道退職校長会函館支部(390名)の今年米寿を迎えられた会員6名に、全国と北海道本部からの祝い状と記念品を支部長と2人でそれぞれのお宅へ届けて廻った。

 もうすぐ90歳なのにみなさん非常に元気でいらっしゃる。全員、本人が対応して下さった。足が弱って来て、外を好きなように出歩けないという方が多かったが、たばこをプカプカ吸いながら、まだ病院に一切罹っていないという方もいらした。

 足は弱っていても、みなさん頭はとてもしっかりしている。認知症を感じさせる方や介護の必要そうな方は一人もいなかった。また、みなさん、現役の頃のことは良く覚えていらっしゃる、お話の中で、自分の勤めた学校の同僚やお世話になった方々のことは、まあ良く出てくる。自分もそうだが、昨日の食事の内容は忘れても、昔のことは良く覚えている・・その類だろう?

 今年の総会・懇親会に92歳の方と89歳の方が出席されていた。このような方は、拝みたくなるほど元気だ。しかし、その反面、昨年1年で亡くなられた会員は15名もいたことも事実だ。 

 さて、自分が米寿を迎えるとなるとまだ20年近くもある。退職してから10年を迎えたが、さらに20年となると気が遠くなる年数だ。それまで生きている自信はない。ただ、認知症になったり、介護を受けたりしながら長生きはしたいとは思わない。今日お会いしたみなさんのように元気で長生きしたいものだ。

 今の調子なら足腰は自信はあるが、頭の方が心配だ・・・最近、忘れ物は多くなったし、固有名詞が出てこない、作業の手順が無意識に抜けたり狂ったり・・・一番手の悪い足腰だけが丈夫な、家でジッとしていられない徘徊老人になりそうな感じだ。せめて、こうしてブログやHPを書いたりするのも、ある意味ボケ対策になるのではないかと信じたい?

外装リニュアル工事中

2013年06月02日 | 日常生活・つぶやき

 築25年を迎える我が家は、2回目の外装を中心としたリニュアル工事中である。5/21までに打合せを終え、旅に出た翌日から足場が組まれて工事が始まった。

 今回は、外壁と屋根の補修と塗装、ベランダと階段のコンクリート部分の補修がメインだ。ついでに、車庫のシャッターも新調して電動にした。

 現在は、シャッターも新調され、塗装工事がほぼ終わった段階である。明日か明後日には足場と覆いが解体され、次のコンクリート部分(ベランダと階段)の補修工事が始まる。天気次第だが、すべて終わるのは、あと1週間~10日ほどの予定だ。


 今回苦労したのは、外壁の色の選択だった。無難な色にしようか、気分一新するために自分の好きな色を基本にしてちょっと冒険をしてみようか・・・とずいぶんと悩んだ。工事はこの家を建ててくれた教え子の会社に頼んだが、当の本人、妻、塗装会社の人などと相談して、決めた色が上の写真の色である。ちょっと周りから浮かないか心配だが、慣れてくれば気にならなくなるだろう。すべての覆いが外される瞬間がちょっと怖い・・・。

 今日は、一日中家にいて、先日までの山旅の山行記録のHPへのアップ作業に励んだ。5/22穴滝~松倉岩、5/24幌天狗、5/25増毛・天狗岳、5/26中ノ沢岳、5/26白雲岳「幻の湖」の5日分をアップすることができた。明日の朝のうちには、簡単な5/28アポイ岳と5/29馬追丘陵が終わる予定だ。
 http://sakag.web.fc2.com 

恵山つつじ公園

2013年06月01日 | 花・紅葉だより

最高潮時には、この斜面全体が真っ赤に染まるはず・・・

 恵山つつじ公園は、15分程度で登れる山で、つつじの開花時期になると山麓一帯には、60万本ともいわれるエゾヤマツツジやサラサドウダンの花々が咲き誇り、最高潮時には斜面一帯が真っ赤に染まる。

 例年だと、すでにその真っ赤に染まっているときのはず・・・それを期待して行ってみたが、今年は2週間近く遅れているようで、まだ蕾の方が多かった。上の方は3~5分咲きと言ったところか?しかも、明日で「恵山つつじ祭り」期間が終わるそうだ。これからと言うときなのに・・・。来週末辺りが最高潮になるのでは?










サラサドウダン


多く目に付いた可憐なチゴユリ


ガスから姿を現した恵山・・・賽の河原駐車場から


道の駅なとわえさんで食べた「根ぼっけ蒲焼き丼」