癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

37日目〈薬王寺宿坊〉~22平等寺~21太龍寺~20鶴林寺~〈金子や〉〈43.2km〉〈合計1257.2km〉

2018年04月16日 | 登山・旅行

4:45スタート~16:05ゴール(11時間20分)〈65092歩〉

◎これまでで最もきつい行程で、3ヶ寺を打つ

 明日の別格3慈眼寺に行くためには、その根城になる勝浦町の金子やに泊まる必要がある。この宿の手前20kmの間には宿はない。
 昨夜の内に、予約を入れたら「相部屋で良ければ泊まれます」とのことだった。次の宿が離れているので、いつも混むらしい。
 「薬王寺から行きます」と言ったら、「1日で来れますか?その区間を一気に歩く人はあまり聞いたことがないですよ。もし、6時までに着けないようであれば、電話ください。」と何度も言われた。

 単純に40kmくらいという距離だけを考えて電話したが、そう言われて不安になり、地図を見た。なるほど、後半は、標高250の大根峠越え、標高520の21太龍寺、標高480の20鶴林寺と、平地まで下って登り返すので、獲得標高差が1000mほどもある。宿の主人が心配するわけが分かった。

 これまででもっともきつい行程になると考えて、暗い内にスタートし、予定の3ヶ寺を打ち、思ったより早くゴールできた。

◎暗い内にスタートし、まずは、20数km先の22平等寺へ

 今日のコースはコンビニも食べる所もないので、近くのコンビニで朝の昼のパンとおにぎりを買って、4:45、ヘッドランプを点けてスタート。
 30分ほどでヘットランプは必要なくなる。

 23薬王寺から22平等寺へのルートは、海岸を行く風光明媚な昔からのルートと、山中の国道55号を行くルートがある。前回はなぜか国道のルートを歩いているので、今回は海岸ルートを歩きたかった。しかし、距離が長いので、やむを得ず、また同じ単調で何も見所もない国道コースを歩いた。

     
 グリーンラインが反対側に移る手前に、このようなお遍路さんを大切にする標識がある。

     
 7:05、星越トンネルを抜けると、阿南市に入る。黙々と単調な国道歩きで、何気なく電子道標を見たら、平等寺への分岐を過ぎていた。戻る近道があったので、5分ほどのロスで済んだ。電子道標には助けられている。

     
 橋を渡り、平等寺への道に入る。

     
 平等寺近くの町の中で、タケノコを車に積んでいる所に遭遇。これらは、加工場の原料として出荷するらしい。キロ250円程度だそうだ。

     
 9:30、23kmを5時間弱で、22番霊場平等寺に到着。

     
 本堂の前から、眼下の市街地を眺める。

◎獲得標高差1000mほどの3回の登り下りの中で、21太龍寺と20鶴林寺を打つ

 薬王寺を打ったあと、標高250の大根峠へ向かう。

     
 石垣で土砂崩れを防いでいる。

     
 きれいな竹林の中を通る。所々に猪がタケノコを食い荒らした跡があった。

     
 大根峠には、ネパールで良く目にするタルチョが張られていた。

     
 大根峠から下りて、阿瀬比の集落の遍路休憩所で、外国人の女性が休んでいた。「カメラOK ?」と聞いたら、ポーズを取って応えてくれた。

     
 阿瀬比の交差点には、色々な札所へのコースの案内板が設置されていた。 
 このそばに14年前は坂口屋という民宿があったが、今は営業していなかった。

     
 太龍寺にはロープウェーがあり、山の上にその山頂の搭が見える。あそこまで登らなければならない。
 ずっと舗装された車道の登りだったので楽だった。

     
 仁王門を潜って参道を進む途中にシャクナゲが咲いていた。

     
 12:45、21番霊場太龍寺に到着。

     
 太龍寺からの下りは自然道で非常に急だった。

 太龍寺から下って、那賀川の永井橋を渡り、少しの間集落の中を通り、すぐに鶴林寺への道へ入る。

     
 下の方は、農道として利用され、舗装されていた。それが終わってからは、1.3kmの道のりで標高差400m近い急登が続く。登山でもあまりない斜度である。ずっと土留めの階段や石段の道である。

 鶴林寺への1km付近で宿から電話が入る。お客さんが来ているとのこと。お接待大師がまた登場したらしい。 
 直接電話をしたら、お弁当の差し入れを持って来たという。わざわざ松山からである。明日別格3慈眼寺へご一緒したいとのこと。

     
 15:00、予定より早く、20番霊場鶴林寺に到着。
 これで、12時間は掛からないで宿に到着てきるめどが立った。

     
 下りは、まさに、表参道といった感じの石畳の道が続く。

     
 下り始めてまもなく、右手眼下に太龍寺からの下りで、永井橋を渡ってきた那賀川のゆったりとした流れと通過してきた集落が見える。

     
 下っていくと、今日のゴール、生名の町並みが見える。

     
 下っていく途中に茅葺きの遍路小屋があった。

     
 16:05、思ったより早く今日の宿、金子やに到着。相部屋と言っても、20畳間に2人だった。普段は4人部屋だそうだ。
 
 お接待大師法起坊見習いさんに電話したら、やって来た。

     
 差し入れのお弁当とは、函館五稜郭の寿司屋谷ふじの「津軽海峡春景色」という寿司弁当だった。
 松山の高島屋の北海道うまいもの展で、出店していたので、作らせてきたという。実は、14年前の初対面のときのお接待も、この谷ふじの寿司弁当でビックリしたものだ。

 明日、車で案内したいところがあるとのこと。彼は、私と同じでどこでもホテル派である。そばの道の駅で車中泊するという。

     
 夕食~箸を付けてから撮影。8人の久しぶりに賑やかな夕食タイムだった。
 明日は、慈眼寺を打ち戻ってゆっくりしたいので、連泊をお願いした。

 


36日目〈民宿谷口〉~別格4鯖大師~23薬王寺~〈薬王寺宿坊〉〈43.0km〉〈合計1214.0km〉

2018年04月15日 | 登山・旅行

6:30スタート~16:45ゴール(10時間15分)〈55920歩〉

◎海と別れて、阿波路へ。いよいよラストステージ

 前回は、内陸部の阿波路の歩きから、初めて太平洋を見たときの感動は今も忘れない。
 今度は、連日の黒潮の海を見ての歩きから、内陸部の札所がすべての阿波路へ入った。「発心の道場」とのことだが、逆打ちなので、初心に返ってラストステージを楽しみたい。

 今日は、宿の選択に悩んだ。24km先の牟岐町のあとは、40km先の23薬王寺周辺しかない。前回は牟岐町に泊まっているが、雨も上がったので、24kmはちょっと物足りない。何か良い方法はないかと地図を眺めたら、JRが走っている。
 温泉の薬王寺の宿坊に予約を入れて、もし無理ならJRで移動して、明日そこまで戻ってスタートという手もあると考えた。

 もうひとつ大きな楽しみがあった。場所は覚えていないが、もし見つけられたら、前回初めてのお接待を受けた喫茶店に寄ることだった。結果的にこれ以上はないと思われる絶妙なタイミングでママさんとの14年ぶりの再会が叶った。
 
◎まずは、土佐路から阿波路へと入り、14年ぶりの感激の再会も叶い、別格4鯖大師を打つ

 昨日宿に着いたときから強く降り続いた雨も朝には上がっていた。
 6:30、朝食を摂り、お接待のおにぎり2個をいただいてスタート。朝から気温が高く、湿気もあったので、最初から半袖・ハーフパンツ姿で出る。

     
 同じ東洋町の大きな海水浴場と津波避難タワーを眺めて進む。

     
 1時間ほどで、水床トンネル手前から徳島県海陽町に入る。ここから、いよいよ阿波路である。

     
 この辺りはリアス式海岸なので、深い入江の内海が美しい。

 前回の記録を見ると、今日のコースに初お接待を受けた喫茶店があるはずだ。しかし、場所までは覚えていない。もし、見つけたら是非寄って、その時のお礼を言いたかった。しかし、早ければ時間的に営業前の可能性もある。  

     
 たまたま通りかかった所で、出勤してきた女性が車から降りて、挨拶してきた。顔を見たら、間違いなく14年前のママさんだった。建物を振り返ったら、その喫茶店だった。

 なんという絶妙なタイミングだろう。こちらは、その挨拶がなければ見逃して通り過ぎるところだった。しかも、あと数分早ければ、出勤前でママさんはいなかった。数分遅ければ、ママさんがいるカウンターからは、通り過ぎていくこちらの後ろ姿しか見えないから、挨拶のしょうがない。

 これこそ、まさに、会わせていただくための、弘法大師様の思し召しとしか言い様のない感激の再会だった。

     
    〈HPに載せてある14年前のママさんの写真〉

      
 前回は、お接待を受けただけで失礼したが、今回はアイスコーヒーを注文した。すると、お接待として、トーストを付けてくれ、お友だちから「お接待に使って」と預かっているというオロナミンとお菓子の詰め合わせを頂いた。

 30分ほどお喋りをして、失礼しようとしたところへ、そのお菓子の詰め合わせの提供者のおばあちゃんがやってきた。こちらにも直接お礼を言うことができた。
 場所と店の名前は、浅川駅の近くのふくなかという店だった。

     
 11:35、感激に酔いながら歩いている内に、別格4番霊場鯖大師に到着。
 鯖大師の由来は、弘法大師が馬子に積み荷の塩鯖を施して欲しいと頼んだところ、馬子はそれを断った。すると馬が急に苦しみだした。驚いた馬子が非礼をわびて鯖を差し出すと、大師は馬に水を与え、馬は回復。それどころか、海に放った塩鯖も蘇生して元気に泳ぎだしたという。馬子は大師の弟子となり、やがて、大師と出会ったこの地に庵を結んだ。それがこの鯖大師本坊である、という。
  
     
 お寺を出た所に鯖瀬大福餅店があった。2個(154円?)買って、店の中でいただいた。

◎前回泊まった牟岐町を抜けて、美波町の23薬王寺を打ち、温泉宿坊へ
   
     
 ずっと国道歩きのまま、牟岐町に入る。

     
 ここにもサーフィン場があった。これが、最後に眺める太平洋だった。

     
 13時過ぎに、牟岐町のコンビニで回鍋肉のおかずだけを買い、イートインコーナーで、宿でお接待にいただいたおにぎりと一緒に食べた。

     
 牟岐町では、旧街道を進んだ。

     
 立派な古民家がたくさん並んでいた。

     
 再び国道歩きとなる。お遍路を始めてから、ずっと目にしてきた路肩のグリーンラインは、歩道のないところの単なる歩道代わりだと思ってきた。
 ところが、これは、お遍路さんの安全な通行のためのラインということがようやく分かった。お遍路文化が1200年以上も続いている四国ならではの心遣いであろう。

     
 今日のゴールとなる美波町に入る。ここは、前回は日和佐町だったような気がする。多分町村合併したのだろう。

 当所無理だったら、JRに乗ろうと考えていた山河内駅前に15:15に到着。次の電車は16:11である。あと6kmくらいなので、そのまま前進。

     
 薬王寺の近くに、「旧へんろみち道しるべ」を1ヶ所に集めたと思われる所があった。

     
 16:25、瑜祇塔が目立つ23番霊場薬王寺に到着。

     
 15:45、すぐ下にある今夜の宿・薬王寺温泉宿坊薬師院に到着。
 5400円の素泊まりだけの対応だが、温泉にレストランがあるし、夕食はそこで摂るか、近くにコンビニや食堂もあった。少し高いが、ホテル並みの造りと温泉ということで大満足である。
 隣接する民間の温泉施設を買い取ったらしい。そのせいか、入浴は1回は無料だが、2回目以降は有料だった。

     
 夕食は、温泉のレストランで、阿波鶏の唐揚げ定食(1150円)を食べた。

 


35目〈へんろセンター〉~移動のみ~〈民宿谷口〉(東洋町)〈38.2km〉〈合計1171.0km〉

2018年04月14日 | 登山・旅行

6:45スタート~15:15ゴール(8時間30分)〈51796歩〉

◎前回最も強烈な印象として残っている空海の世界の国道歩き

 前回も同じ区間を反対から歩いている。「修行の道場」とされる土佐路へ入っての初日。とにかく印象に残っているのが、特に見所もなく、人家もない海岸線の国道をただひたすら黙々と歩く。目に入るのは、水平線を境に接する空と海のみ。
 空海でなくても悟りの境地になり、修行とは精神的な鍛練なり…と思ったものだ。

 今日は夕方から雨予報だった。遅くとも16:00までには宿に着きたかった。
 ハイペースで歩くには、最高の区間である。峠越えはなし、分かれ道もなし、迷う心配もなし、寄り道するところもなし、よって、地図を開いてにらめっこする必要もない。

 いつも歩くときは時速5kmで歩いている。それを維持して歩き続ける最高のコースである。
 結果、休んだり、トイレに寄ったりしたが、38kmを8時間半でゴールした。平均時速4.5kmで、記録更新となった。

◎まずは、室戸岬遊歩道を抜けて、中間地点の佐喜浜まで。

     
 朝食を食べ、お接待でお守りをいただき、6:45スタート。

     
 国道までの遍路道は、非常に急で、最初から最後まで、石畳と石段の道だった。

 国道に出た所から、海岸に続く乱礁遊歩道を進む。前回は、もっと岬近くにある観光化した遊歩道を楽しんでから、最御崎寺へ上がっている。

     
 この岩は「エボシ岩」。納得の形である。

     
 道端に咲く、見たことのない木の花

     
 昨日までも海岸で良く目にした花

     
 「ヒシャゴ岩」~マグマが地層に水平に貫入して固まっものがその後の地殻変動により、ほぼ垂直に回転したもの。
 この岩には「おさご」という絶世の美女にまつわる悲しい伝説もある。しかし、名前の由来は、ネットで調べてみたが分からなかった。

 2011年に室戸岬世界ジオパークに指定されているので、いろいろな説明板があちこちにある。

     
 遊歩道を出た所に立つ大きな青年大師像

     
 朝の内は、太陽が顔を出し、曇り空ながらも海がキラキラ光っていた。

     
 国道から海が見えない所は、堤防の上を歩いた。

     
     鹿岡鼻に立つ夫婦岩

     
 途中の砂浜にサーフィン場があり、土曜日なので賑わっていた。

     
 10:30、ほぼ中間地点の佐喜浜の集落に入る。今日唯一、国道と別れて旧街道へ。

     
 漁港の先には、旧街道の雰囲気を残す家並みが続いていた。
 しかし、その先の佐喜浜川に架かる橋が老朽化のために通行止めになっていた。国道へ出て、ガソリンスタンドでトイレを借りた。

 ◎そのあとは、野根の集落まで人家もない中、ちょっと遊びも入れて、黙々歩く

 佐喜浜を抜けて、少しして地図を見たら、その先には、集落もなく店すらない。佐喜浜の国道には、コンビニと食堂もあったようだが、戻るのも億劫なので前進。

     
 ひたすら空海の世界を黙々と歩く。向かい側から来る歩き遍路さんとの出会いが楽しみ。暇なので数えてみたら、24名に会った。その内外国人は5名だった。外国人は女性の独り歩きが多い。

     
 12:05、高知県最東端の東洋町に入る。
 数年前に核廃棄物処理場に手を挙げて、町長がリコールされたことで有名になった町である。

     
 前回も海に降りて休み、貝殻拾いをした砂浜への降り口を見つけた。

     
 砂浜には、前回同様、いろいろな貝殻がたくさん落ちている。今回も一種類ずつ拾ってカメラに収めて遊んだ。

     
 しばらく進むと、法起坊見習いさんがコメントに書かれていたゴロゴロ石休憩所に到着。 
 この地名は、海岸にゴロゴロした石が多く、昔のお遍路さんが歩きづらくて、とても苦労したところに由来するらしい。
  
     
 法起坊見習いさんお勧めの海岸に降りてみた。確かに、波に洗われて、非常に円磨度の高い丸い石が多かった。

     
 14:10、野根大橋の向こうに佐喜浜以来の野根の集落が見える。

     
 へんろセンターの売店で売っていた「土佐名物、天皇陛下献上品・野根まんぢゅう」総本家があった。まさか、こんな小さな集落で作られているとは思いもしなかった。

     
 一番小さな8個入り(435円)を買った。へんろセンターで買わないで良かった。
 すぐそばの海への斜路で、遅い昼食代わりに一気に食べた。

     
 今日泊まる東洋町は、大きなサーフィン場で有名なところである。だから宿が多い。
 土曜日なので、今日の宿にサーファーのグループが泊まっていないことを祈った。

     
 宿の手前の駐車場はサーファーで賑わっていた。

     
 雨が振り出したばかりの15:15、民宿谷口に到着。サーフィン場から一番離れている宿のせいか、泊まり客は、他にお遍路さん1名だけだった。今回初めてのパジャマというのもうれしかった。

     
 夕食は、ブログもほぼ打ち終わっていたので、もう一人のお遍路さんと女将と3人でお喋りしながらゆっくり食べた。初めて耳にしたグレの湯通しした刺身が出た。2食付きで6000円。

 今強く降っている雨は、朝には止むらしい。

 


34日目〈山郷旅館〉~26金剛頂寺~25津照寺~24最御崎寺~〈へんろセンター〉(室戸市)〈33.6km〉〈合計1132.4km〉

2018年04月13日 | 登山・旅行

5:30スタート~14:45ゴール(9時間15分)〈48044歩〉

◎高知県最後の3ヶ寺を打つ

 今日は、その先の宿の関係で、前回も泊まって非常に良かった24最御崎寺の宿坊(へんろセンター)をゴールとした。距離的には、少し物足りないが、峠越えや標高165mにある金剛頂寺と最御崎寺もあるので、5:30にスタートした。

 朝は少し寒かったが、8時過ぎには、半袖・ハーフパンツになった。

 昨日辺りから出会う歩きお遍路さんが多くなってきたと感じた。今日の宿に聞いたら、4月になると歩き始める人が多くなり、この宿も少し増え始めたとのこと。

 そんな中で、金剛頂寺で思いがけない感激の再会が待っていた。

 宿には早めに着いたが、結局9時間以上の歩きで、33kmは越えていた。しかし、歩数は久しぶりに5万歩を切った。

◎まずは、室戸市吉良川伝統的建造物群保存地区を抜け、思いがけない再会が待っていた27金剛頂寺へ

 距離的には短いが、5:30にスタート。

     
 田野町は東西2.2kmしかない町なので、すぐに隣の奈半利町に入る。奈半利川の橋から川面も染める日の出前の朝焼けを眺める。

 奈半利町と室戸市の境界の旧街道から、羽根岬の上を越える中山峠への遍路道の入口が分からないで通り過ぎてしまった。
 
     
 電子道標の指す入口がこれである。まさか、人家の玄関への入口だと思う。しかし、振り返ってみたら、防波堤の壁に順打ち用の遍路標識が貼られていた。

     
 レンガ積みの壁のような地層が現れた昔ながらの道を行く。

     
 下りに掛かると、国道沿いの集落や金剛頂寺のある行当岬とその奥の室戸岬が見える。

     
 やがて、室戸市吉良川伝統的建造物群保存地区に入っていく。なお、これまで歩いてきたこの旧街道は昔の土佐街道で、愛媛県や徳島県から続いているようだ。

     
     
 白壁造りの建物が多く残っている。白壁に数段になってついている庇のようなものは、風雨から漆喰壁を守るためのものである。

     
 国道に出たら、ケシの花の花壇があった。北海道で、このようになるのはいつだろうか?

     
 金剛頂寺への登り口にある道の駅でジェラードを食べる。

     
 金剛頂寺への登り口。今や、歩き遍路しか歩かないためには芝生状の草が生えている。
 
     
 しかし、上へ上がっていくと、旧街道らしい自然のままの山道となる。

     
 これは、旧道でよく目にする、道の屈曲点にある昔の電電公社の電信線が埋設されている場所を示す標柱である。この道が結構新しい時代まで、主要道路として活用されていた証拠である。

     
 境内の近くで、本堂への道が分からないという男性と出会う。話している内に「坂口さんでないですか?一昨年ペルーで一緒でした」と言う。こちらもどこかで見たことがある顔だと思った。
 ペルーの「インカトレイル・マチュピチュのトレッキング」でご一緒した最高齢の岡山のYoさんだった。拙著も直接注文で買っていただいている。昨年羅臼岳に登ったという。もう80歳近いはずである。お遍路は、今回が初めてで、10日目だそうだ。
 ただ道ですれ違っているだけなら挨拶だけで終わっていて気づかなかったはずだし、彼が迷っていなかったら会うことはなかったわけである。ちょっと話をしたことで、こちらの声や着ているTシャツにHOKKAIDOと書かれていたことがヒントになったらしい。これは、弘法大師さまの思し召しと思いたい。

     
  11:15、26番霊場金剛頂寺へ到着。参拝を終えて、Yoさんと別れる。

◎感激の出会いに興奮しながら、25津照寺と24最御崎寺を打つ

 思いがけない再会の感激の余韻に浸りながら、金剛頂寺を後にして、3.8kmしか離れていない25津照寺を目指す。
     
     
 12:30、25番霊場津照寺に到着。ここの本堂も新しくてありがたみが薄い。

 お寺を出たところにレストランがあったが、高くて食べたいものがなかったので、その先のコンビニで弁当を買って食べた。

     
 室戸漁港の手前に昭和9年の津波到達の碑があった。

     
 少し進むと、岬の上にある最御崎寺へ上がる車道が見えた。

     
 車道へ入る前に堤防から室戸岬の先端部を眺める。

 くねくねと曲がって上がる車道を登り、4つ目のカーブの歩道から仁王門を目指す。

     
 14:25、標高165にある24番霊場最御崎寺(ほつみさきじ)へ到着。これで土佐の霊場は最後である。

     
 14:45、室戸岬最御崎寺へんろセンターに到着。ここは、前回も利用しているが、4階建ての大きなホテルと同じである。浴場も温泉のような大きな湯船で、ホテル並みに部屋にトイレも洗面所も付いている。2食付きで6500円。

     
 部屋に荷物を置いて、近くの室戸岬灯台を見に行く。展望台もあるらしいが、車道を往復4kmも歩かなければならないのでパス。
 
     
 夕食前に、18:35の日没ショーを宿の下の車道から鑑賞。海面近くに雲があり、その間に足摺岬が見え、海でなく、そちらへ沈んだので、海面に夕陽ラインが走らなかった。

     
 夕食は、土佐名物の皿鉢料理がメインで、どれも美味しかった。

 


33日目〈サイクリングターミナル〉~27神峰寺~〈山郷旅館〉(田野町)〈38.7km〉〈合計1098.8km〉

2018年04月12日 | 登山・旅行

6:50スタート~15:50ゴール(9時間)〈54576歩〉

◎14km ほどのサイクリングロードから安芸市の旧街道を抜け、国道から山の27神峰寺を打つ
 
 一昨日の足首の痛みは、今日は、テーピングなしで歩いてもまったく出なかった。

 朝食は6:30からなので、スタートは6:50となってしまった。暑くなりそうなので、最初から半袖・ハーフパンツスタイルで歩く。

     
 国道や鉄道と並行して、一番海側に、安芸漁港までの14kmほども続くサイクリングロードとして整備されている遍路道をひたすら歩く。
 スタートが遅いとどうしてもペースが速くなる。

 1時間ほどで琴ヶ浜に到着。この辺りは、前回の記憶が鮮明に残っている。

     
 桂浜の坂本龍馬像に向かって手を振る龍馬の妻お龍とお龍の妹君枝の姉妹像が建っている。

     
 琴ヶ浜松原の中に続くサイクリングロード。

     
 琴ヶ浜の砂浜海岸を振り返る。名前の由来は、引き波が奏でる音が琴の音に似ているからとのこと。
 今までで海の色が一番きれいだっだ。

     
 道端に自然に生えているサボテン。さすが南国土佐だ。
 途中で、コンビニでアイスコーヒーを飲んで一休み。

     
 サイクリングロードは安芸漁港で終わる。14kmほどのの道のりを3時間で歩いた。

     
 漁港ではアジのみりん干しを作っていた。

     
 船からは、しらすが水揚げされていた。

     
 単調な歩きが続いたあとの安芸市の旧街道歩きは、古い町並みが続いて楽しかった。

 安芸市やこのあと通過した安田町、田野町でも、津波避難タワーを多く目にした。14年前にはなかったので、三陸沖地震の津波被害のあとに、増えたようだ。 

     
 国道歩きとなるが、100mほど入った所にある「伊尾木洞」。水成岩が川の侵食でくり貫かれた洞窟ののトンネルで200mも続いている。

     
 昼食は、道の駅大山で、安芸釜あげちりめん丼(700円)。
 安芸名物のちりめんじゃことじゃこ天が乗っている。これにタレを掛けて食べる。おかずには安芸名物のなすのたたき。
 しらすとちりめんじゃこの違いは、いずれもイワシ類の稚魚だが、呼び名の違いは乾燥度の違いから、「しらす(しらす干し)」や「ちりめんじゃこ」と呼び分けられている。

     
 道の駅の裏の「伊尾木漁港の石積堤」。漁業漁村の. 歴史文化財産百選に選ばれている。ここがなぜかラブリースポットになっている。夕陽がきれいなのかな?

      
 安芸市から安田町に入ってすぐに、神峰寺の入口がある。
 その先にあるはずの手前の上がり口の道は見落としたようなので、次の分岐から同じ道を打ち戻ることにした。その近くにリュックを隠して、山谷袋だけで往復した。

     
 標高430mにある神峰寺への車道を登っていくと、途中から歩き遍路用の自然道へと進む。上の方で、再び車道と合流する。

     
 13:40、27番霊場神峰寺に到着。

     
 大師堂には、前回も読んだが、空海の一生が書かれている。

 神峰寺を打ち終えて下り、隠しておいたリュックを回収して、旧街道を通り、田野町の宿を目指す。

     
 田野町の旧街道にも古い時代の家並みが続いた。
 田野町は東西2.2㎞、南北4㎞、総面積は6.56K㎡で
四国で一番小さな町とのこと。

     
 15:50、ちょうど9時間で、山郷旅館に到着。
 最初から飛ばして歩いたせいか、山にある神峰寺を往復したにも関わらず、38.7kmを9時間で歩いたことになる。平均時速4.3kmは、今回の最速ペースかも知れない。

 旅館は、普段は食堂も経営しているらしいが、主人が体調を崩して調理ができないので、素泊まりでお願いされた。5500円はちょっと高い感じ。
 早く着いたので、ブログも早く見通しが付いたので、コンビニで適当に見繕って買ってきた。

     
 コンビニ弁当ほかで夕食を食べていたら、奥さんが「勝手言って申し訳ごさいません」と言って、そうめんの入った汁物を持って来てくれた。

 


32日目〈ホテル土佐路〉~30善楽寺~29国分寺~28大日寺~〈サイクリングターミナル〉(香南市)〈37.1km〉〈合計1060.1km〉

2018年04月11日 | 登山・旅行

6:00スタート~15:20ゴール(9時間20分)〈50230歩〉

◎午前中に3ヶ寺を打ち、香南市の歴史豊かな旧街道歩きも楽しめた

 これまで、出だしの頃の筋肉痛以外、痛みを感じたことはないが、昨日の午後、なぜか平地を歩くときだけ、左足の足首の関節に痛みを感じた。
 ホテルに着いてからバンテリンを塗り込んでおいたら、朝には痛みはなくなっていた。それでも、大事をとって、関節を固定するテーピングをしたが、今日は全く痛みはなく、快調に歩けた。
 
 今日は、宿の関係もあり、距離を少し抑えて計画したつもりだった。しかし、距離を見たら、結構歩いていた。午後からは雨がパラついてはきたので、ペースを上げて歩いたら、15:20には宿に入ることができた。

 午前中の内に、30~28の3ヶ寺を打ったが、いずれも田園風景の中にあり、やたらと農道として利用されている田んぼの中の遍路道を歩いた気がする。

 午後からは、宿までの歩きの中で、香南市赤岡町の歴史的建築物などが多い旧街道を楽しむことができた。
 
◎午前中に田園風景の中の3ヶ寺を打つ

 ホテルの無料の朝食は6:30からなので、食べないで、6:00にスタート。

     
 レストランみたいな広さのイートインスペースを持つコンビニで朝食を食べる。

 まずは、30善楽寺を目指す。ホテルのある市街地を抜けると、遍路道は郊外へと続く。

     
 このような田んぼの中に続く農道歩きが非常に多かった。

     
 土佐一宮の土佐神社の山門を潜って、参道を進むと、その横に善楽寺はある。

     
 7:20、30番霊場善楽寺へ到着。気になって、土佐神社との関係を調べてみた。
 この「善楽寺」は、土佐の國の総鎮守である土佐一宮「土佐神社」の別当寺の役割を果たしてきた重要なお寺だった。しかし、明治時代の神仏分離により廃寺となってからは苦難や混迷の時代を乗り越えて現代に至っているとのこと。

 善楽寺を出て、少しの間県道を進む。逢坂峠で高知市とは別れ、再び南国市へ入る。このあとの国分寺は高知市だと思っていたが、南国市の寺だった。
  
     
 その逢坂峠の近くの会社の花壇に緑色の花びらのチューリップが咲いていた。珍しいのでカメラに収めた。
 
     
 再び、このような農道として活用されている遍路道を行く。ここも昔は旧街道だったのだろう。

     
 9:25、29番霊場国分寺に到着。仁王門の間から珍しい茅葺き屋根の本堂が見える。
 国分寺は各県に1つずつあるので、ここは土佐国分寺である。

     
 県道沿いに明治25年創業の「へんろいし饅頭」屋があった。店内でも食べれるので、2個(152円)買って食べた。素朴な味でとても美味しかった。
 生地はかんしょから作られる白下糖を使い、餡は十勝産の小豆を使っているそうだ。
 
     
 物部川に架かる戸板島橋を渡るが、この手前で今度は香南市に入る。前回にはなかった市名である。この辺りはかなり町村合併が進んでいるようだ。

     
 大日寺は標高70mの所にあるので、今日、最初で最後の歩き遍路用の昔のままの石段を登る。

     
 12:00ちょうど、28番霊場大日寺に到着。同じ名前の札所はこのあとの徳島県の4と13にもある。大日如来が本尊なのだろう、

◎午後からは、香南市の歴史豊かな旧街道歩きが楽しかった

 昼食は、香南市役所近くの大型スーパーマルナカの中のお好み焼き屋さんでお好み焼きを食べた。

     
 しばらく国道55号を歩き、途中から香南市赤岡町の旧街道へ入る。
 この道は「土佐塩の道」としても栄えたようだ。

     
     
 その名残を感じさせる重厚な歴史的な建物が目についた。

     
 絵金蔵~幕末土佐で活躍した絵師・金蔵、通称「絵金」の資料館。香南市赤岡町に伝わる絵金の芝居絵屏風23点を中心に収蔵・展示している。

     
 弁天座~香南市赤岡町の新しい交流拠点で、小さいが、回り舞台やすっぽん。空井戸など本格的な設備を備えた芝居小屋だそうだ。

     
 昨日も南国市で見た津波避難タワーが、途中だけで3ヶ所も目についた。この辺りは高台がないので避難対策が大変なようだ。
 道沿いに津波が来たときの標語があちこちに設置されている。

 14時半過ぎには、弱い雨が降ってきたので、ペースを上げて歩いた。

     
 今日の宿のある野須地区に入ると、遍路道はサイクリングロードとして整備されていた。
 この標識にある「サイクリングロードターミナル海のやどしおや宿」は今日の宿である。

     
 ちょっと遠回りになるが、前回も見た手結港に架かる可動橋を見に寄った。手前の小さな港の船が出入りしやすいように、1時間ずつ昇降するそうだ。

     
 そのまま海岸線を歩き、手結岬の眺望も楽しんだ。

     
 15:20、今日の宿「香南市サイクリングターミナルうみのやどしおや宿」に到着。
 名前からして、公営の施設だとは思ったが、大きなホテルのような建物だった。風呂もトイレも広々として快適だった。

     
 夕食は、部屋まで運んで来てくれた。部屋食は今回の旅では初めてである。
 バランスの取れた手頃な量の美味しい料理で、鰹のたたきも出た。久しぶりに食べると美味しい。これで2食付き6000円。
 早く到着したので、夕食までにブログの見通しが立ったのでビールも飲めた。
 理想の到着時刻は15:30前だ。

 


31日目〈白石屋旅館〉~35清瀧寺~34種間寺~33雪蹊寺~32禅師峰寺~31竹林寺~〈ホテル土佐路〉〈41.2km〉〈合計1023.0km〉

2018年04月10日 | 登山・旅行

5:30スタート~16:35ゴール(11時間05分)〈57877歩〉

◎距離が近いので、5ヶ寺を打ち、浦戸湾では念願の渡船に乗れた

 今日は、朝から快晴で気温も上がり、8時過ぎには半袖とハーフパンツスタイルで歩けた。

 それぞれの距離が短いので、35~31までの5ヶ寺を打つことができた。また、前回は時間が合わなくて乗れなかった浦戸湾の県営渡船にも乗ることができた。

 また、国道歩きはほとんどなく、旧街道の雰囲気を残す道ばかりだった。

 遍路地図の距離は、寺の入口から入口までの距離表示なので、寺の階段や境内の歩きなどで、GPSの実測距離は、遠回りや進み過ぎて戻ったこともあったが、遍路地図で計算した距離よりかなり長かった。
 また、1ヶ寺の勤行に最低15分は掛かるので、寺の数が多いと、その時間も長くなる。

◎宿にリュックを預けて、35清瀧寺を打ち、午前中に34種間寺と33雪蹊寺へ

 清瀧寺は同じ道を戻るので、宿にリュックを預けて、5:30にスタート。

     
 田んぼの中の農道となっている遍路道を進んでいると、ちょうど赤い日の出を捉えることができた。

     
 目指す清瀧寺は、朝日に輝く標高130mの山の中腹にある。当然、昔のままの道の山登りモードである。

     
 6:20、朝日に染まっている35番霊場清瀧寺に到着。
 昨日の青龍寺の青龍にそれぞれさんずいが付いただけで、見た目紛らわしい。

 戻りは、来た道を戻れば良いので、地図も見ないで歩いていたら、途中から違う道を歩いていた。結局1km近く遠回りをして宿に戻った。
 朝食は、宿の近くのコンビニでサンドイッチとカフェラテ。

     
 仁淀川の堤防を進み、その先で渡る仁淀川大橋を眺める。617mあり、見えなくなっている左側にも同じくらいの長さが続いていた。

     
 仁淀川が土佐市と高知市の境界になっている。高知市へと入る。
 渡り終わってから、地図ではどこまでが橋か分かず、曲がり角を過ぎて進んでしまい、往復1kmほどのロスをしてしまう。

     
 遍路道と並行する堤防の道を歩いていたら、スクーターの女性が停まる。ペットボトルの水とお茶を出して、「どちらが良いですか?」と聞かれたのでお茶を頂いた。
 下の道路から見えたので、お接待をするために、わざわざ追いかけて来たそうだ。恐縮至極である。
 高知市と北見市は姉妹都市で、昨年文化交流で初めて北海道へ行ったそうだ。また、是非行きたいと話されていた。

     
 9:35、34番霊場種間寺に到着。

     
 農村地帯を通るので、ここも農道を歩くことが多かった。ご夫婦連れのお遍路さんに出会う。今日は、多い感じで20人以上に会った。相変わらず外国人も多く、5人以上はいた。

     
 11:00、33番霊場雪蹊寺に到着。

◎浦戸湾の渡船に乗り、午後からは共に山の上にある32禅師峰寺と31竹林寺を打つ

 このあと、浦戸湾に架かる浦戸大橋を渡るコースと県営渡船で渡るコースがある。当然昔は渡し船で渡ったはずだから、是非渡船に乗りたかった。前回は時間が合わなくて浦戸大橋を渡っている。
 2つのコースの分かれ道に11:20に着いた。遍路地図には順打ちの対岸の種崎からの時刻表しか載っていない。電話を掛けたら、「長浜からは12:00がある」とのこと。
 どこかで食事でもして時間調整をしようと考えたが、食べ物屋は無さそう。パンとケーキの店を見つけて、パンを買って渡船場へ向かった。
 11:35に着いたので、そこでパンを食べた。

     
 浦戸大橋ができる前は、もっと大きな渡船で車も運んだそうだ。今は自転車やバイクの人が多く、朝夕は通学の高校生で混むそうだ。県営なので無料というのもうれしかった。

     
 渡船の上から浦戸大橋を眺める。

     
 対岸には、わずか5分で到着。長浜からは2人だけだったが、こちらの種崎には、自転車やバイクの人が15人ほどが待っていた。

     
 禅師峰寺へ向かったら南国市に入る。てっきり高知市の寺だと思っていた。

     
 途中に展望台にしては大きな建物がある。津波の避難タワーだった。

     
 禅師峰寺は、標高82mの山頂にある。昔のままの自然道の急な遍路道を登る。

     
13:50、32番霊場禅師峰寺に到着。

     
 境内の展望台から、下界を眺める。
 ここは、下まで同じ坂道を戻り、次の竹林寺へ向かう。

     
 途中の石土トンネルを潜ると、再び高知市となる。

     
 下田川遍路橋を渡る。橋の名前に遍路が入っているところに歴史を感じる。

     
 竹林寺は標高120mの五台山の山頂にある。左側のピークに五重の塔が見える。

     
 昔は表参道だったのではないかと思われるような広い石段の道が続く。

     
 15:35、高知県では唯一の五重の塔がある31番霊場竹林寺に到着。

     
 この下りの遍路道は、広大な牧野富太郎植物園のエリアの中を通る。お遍路さんは無料で通過できる。
 いろいろな種類のサクラソウの鉢植えが展示されていた。

     
 途中から大きな温室の建物を見上げる。

     
 植物園のエリアの中から高知市市街地を眺める。

     
 14:35、久しぶりの11時間越えで、ビジネスホテル土佐路たかすに到着。素泊まり4000円。夕食は、向かいの吉野屋で大盛りの牛丼セット(680円)を食べたら腹一杯になった。これまでで最も安上がりの宿泊になった。

 


30日目〈一福旅館〉~36青龍寺~〈白石屋旅館〉(土佐市)〈36.7km〉〈合計982.8km〉

2018年04月09日 | 登山・旅行

 5:30スタート~15:30ゴール(10時間)〈53015歩〉

◎土佐湾の外海と浦ノ内湾の内海を眺めながら歩く横浪スカイラインと快適な遍路道の塚地峠越え
 
 今朝も朝は4℃と寒かったが、徐々に暖かくなり、午後には下はタイツを脱いでハーフパンツだけになった。

 久しぶりに暖かくなり、天候にも恵まれ、風光明媚な景色を楽しみながら、いつもよりのんびり歩いた。

 今日のハイライトは、標高110~120mほどのアップダウンの続く県道47号の横浪スカイラインから、左右の眼下に広がる土佐湾の外海と複雑に入り組む浦ノ内湾を眺めながらの歩きと、36青龍寺を打ってからの非常に快適な塚地峠越えだった。

 当初の予定では、宿から35清瀧寺を打ち戻ることができると思ったが、無理だった。

◎まずは、浦ノ内湾の根元から、横浪スカイラインを進み、36青龍寺へ

 5:30、今朝も寒かったのでここ3日間は同じ服装でスタート。

      
 宿から須崎港の大峰橋を渡る遍路道へ出る。橋を渡りきった地点から須崎港と市街地を眺めて、農村地帯の中の県道23号を進む。

 6時に、ちょうど開いたばかりのコンビニで、パンを買って食べながら歩いた。

     
 農村のあちこちに大きなビニールハウスがたくさん並んでいる。冬になると、北海道のスーパーに並ぶ「高知の野菜」が栽培されるのだろう。
 ここはすぐそばの無人販売所でトマトを売っていたので、今はトマトの出荷時期のようだ。

 農村地帯を抜け、浦ノ内湾の一番奥から、県道47号へ別れる。

     
 浦ノ内湾岸の入江に浮かぶ浮船という料亭の前から、高度を上げていく。
 これが風光明媚な横浪スカイラインへと続く。

     
 標高100mを越えた辺りから、右手に最初の土佐湾の外海が見える。

     
 左手には、複雑に入り組んだ浦ノ内湾も見える。

      
 9:00、武市半兵太の銅像が太平洋を向いて立つくろしお公園で一休み。
 高知県は幕末から明治に掛けて活躍した土佐藩士の偉人が多いので、あちこちに銅像がある。

     
 細長く突き出た甲崎の海岸線。順光だと海の色がきれい。一番奥に足摺岬も見えている。

     
 やがて、いろいろなスポーツや部活動で有名な明徳義塾中高等学校の入口がある。この先は、山の中である。歩きや自転車での通学は絶対無理である。
 多分、山中にコロニーのような学園とその関係施設だけが存在しているのであろう。ほぼ全員が寄宿舎生活で、全員部活動に入ることになっているそうだ。
 町で遊ぶこともできず、学業と部活動に専念できるが、「明徳義塾刑務所」という言葉もあるとか?
 
     
 このスカイラインの最高地点を越えると、須崎市から土佐市に入る。遍路地図では標高130になっているが、GPSの地図では150だった。

     
 やがて、県道から青龍寺へ続く昔のままの遍路道へ入る。どんとん下っていく。

     
 11:10、せっかく下ったのに、仁王門からは、長い階段を登り返して、36番霊場青龍寺に到着。
 近くの明徳義塾高校に留学していた元横綱朝青龍のしこ名由来の寺である。そのお陰で、このお寺をみんなが「しょうりゅうじ」と読めるようになったとか?

 ここから、今日の宿に予約の電話を入れた。今日は、夕食付きでも良いと思ったが、食事は前日までの予約のみとのこと。土佐市の中心街の近くなのでコンビニもスーパーも食堂もあるという。

     
 県道に出たところにあったレストランで昼食。海老天卵とじ丼(850円)。宿に14時半までに着いたら、35清瀧寺を打ち戻るつもりだったが、無理そうなので、ゆっくり過ごす。

◎宇佐大橋を渡り、塚地峠を越えて、宿まで

     
 浦ノ内湾と外海の宇佐湾との接続部分に架かる宇佐大橋を渡る(渡ってから撮影)。

 少しの間、宇佐湾沿いの県道39号を歩き、途中から塚地峠へ向かう。

     
 道沿いの小川で魚とりをしている子供たちがいた。見ていると手掴みでみでいとも簡単に捕まえている。10cmくらいの細長い鮎の子供だそうだ。

 そのすぐ先から塚地峠の遍路道へ入る。塚地峠まで1200mで100m毎に標識がある。急な所は石畳の道となっている。

     
 ここは、峠まで300mくらいの分岐である。昨日の間違い同様、ここも直進してしまう。気づいて戻ったら、「へんろ道→」も書かれていた。注意散漫は子供の頃からの欠点である。往復10分くらいのロスで済んだ。

     
 正規の遍路道を登っていくと右手に宇佐湾が見えた。

     
 突然つつじロードとなり、峠まで続いていた。

     
 14:00、標高190の塚地峠に到着。この峠は、内陸と海を結ぶ峠でそれぞれの産物を売るために、昔から多くの人々の重要な生活道路だったようである。

     
 そのせいか、特に下りは道幅が非常に広く、整備が行きと届き、急な所は石畳が敷かれて、これまで歩いた峠道でもっとも快適な道だった。
 県道に出て、土佐市の市街地にある宿を目指す。

     
 宿の近くのスーパーを覗いたりして、15:30、ちょうど10時間で、白石屋旅館に到着。一番乗りとのことで、一番大きな部屋に案内された。素泊まり4000円。

 夕食は、昨夜少し贅沢したので、今夜はすぐ近くのスーパーで適当に見繕ってきた。

     
     懐かしの土佐鶴。
 前回、土佐久礼の宿で、台風直撃で1日足留めを食らった。そのときに、一緒に泊まった方と昼から酒盛りをした。そのときに飲んで美味しかった土佐鶴がスーパーで売られていたので買ってきた。

 


29日目〈末広旅館〉~別格5大善寺~〈一福旅館〉(須崎市)〈39.2km〉〈合計946.1km〉

2018年04月08日 | 登山・旅行

 5:20スタート~15:40ゴール(10時間20分)〈54964歩〉

 ◎寒かったが、2つの峠越えと旧街道歩きが多かった充実の1日

 今日のハイライトは、前回2日に分けて越えたそえみみず遍路道と焼坂峠越えだった。前回はその2つの峠越えの間の土佐久礼町に泊まり、台風直撃で1日足留めを食らっている。
 その2つの峠を結ぶ道も、国道歩きでなく、旧街道歩きが多く、楽しい1日だった。

 今日も最高気温9℃までしか上がらなかったが、昨日よりは風が弱かったのと、日差しが強かったのが幸いした。

◎まずは、前回も印象深いそえみみず遍路道越え

 峠越えに備えて、早く出て早く着きたいので、5:20宿を出る。気温は3℃まで下がっていた。昨日と同じスタイルでスタート。
 岩本寺の参道に繋がるまだ暗い旧街道を進み、国道56号に出る。

     
 山の中なので、日ノ出が遅い。6時になって、東の空が赤くなった。

 1時間ほどでコンビニがあったので、サンドイッチとカフェラテの朝食。
 手袋をはめていても手が冷たいので、自動販売機で暖かい缶コーヒーを買って、握りながら歩いた。

     
 遍路道は国道から離れ、農道や生活道路として活用されている道が続く。この辺りで霧雨が降っていた。

     
 こんなところもある。ここが昔の街道だったことになる。

     
 8:20、やがて、そえみみず遍路道へと入っていく。

     
 ところが、すぐその先へ進んだら道がなくなる。またウロウロするが、200mほど戻ったら、遍路道への分岐があった。標識もないので、これは、普通なら左へ進むであろう。逆打ちの苦労でもある。

     
 この旧窪川町床鍋から中土佐町長沢を結ぶ遍路道は谷沿いを歩く「大坂遍路道」と標高409mの峠を越える尾根道の「そえみみず遍路道」の2コースがある。 
 前者は明治25年に開通し、現在の国道が開通するまでの新しい街道で、後者は、それまでずっと使われていた昔からの街道である。
 今回も、前回同様、そのそえみみず遍路道の方を通ることにした。当時はこの道は土佐往還(今の国道)と呼ばれていた。
 そえみみず(添蚯蚓)とこのあと越えた焼坂峠は、昔から旅人泣かせと言われた難所であったらしい。約300年前に書かれた「土佐州郡志」には、「ミミズが這った後のようにうねうねと曲がりくねっている道」だからこの名が付いたと書かれているが、「末見えず」がそえみみずになったという説もあるらしい。
 この道は、道が昔のまま残っているということ、道中には弘法大師ゆかりの遺跡や遍路墓があることなどから、遍路道保存会と地元が協力して、平成になってからこの道の整備に当たって脚光を浴びた遍路道だそうである。前回同様、実際歩いてみて、まさその感を強くした。

     
 途中に、展望の開けたところがあり、古くなったベンチが設えてあった。昨日の朝以来の海が見えた。

     
 旧窪川町はヒノキの町と言われている。きちんと間伐等の手入れがされている。
 登り始めが280mなので、緩やかな登りだった。気づかないうちに峠を越えて、下りになっていた。しかし、この下りは斜度がきつく、過去の大雨の影響で、道が結構荒れていた。一気に海の近くの40mまで下るので、距離は短いが、順打ちの方が辛い。前回は台風の次の日にここを登っている。

     
 下っていくと、前回泊まって、台風で足留めを食らった土佐久礼の集落が見える。

     
 眼下に高速道路が見え、急な下り階段が、高速道路の下を潜るように続いている。
 これは、高速道路建設のために、遍路道が寸断され、迂回路として造られたものである。
 高速道路の下を潜ったら同じような登り階段が続いていた。それを昇りきったら、また自然道の遍路道が続いていた。登り口のすぐ上で、ようやくお遍路さんに会ったが、外国人だった。身振り手振りで、登りがきつくて、そこ先は緩やかなことを伝えた。

      
 10:05、1時間45分で、農道に出る。

 その農道は、国道と並行する旧街道のまま、国道を横切り、焼坂峠への道へ続く。
 国道を横切るとき、犬の散歩をさせていた若い男性が、「皆反対の方へ行くけど、どこへ行くんですか?」と訊かれた。逆打ちしていることを話すと納得し、「お気を付けて」と言ってくれた。

 ◎次に、焼坂峠を越えて、別格5番大善寺を打つ  
     
 11:10、土讃線に沿って林道態の道へと入っていく。これが焼坂峠への道である。
 反対側からやって来たのはまた外国人だった。今日だけで4人に出会った。外国人に会わない日はほとんどない。
 この焼坂峠は、それまでの遍路道を吸収し、明治時代に初代の車道として開削され、くねくねと曲がりながら続いている。
 しばらくは幅広の快適なその道を進む。

     
 ところが、だんだん人に踏み込まれた痕跡がなくなり、ついに倒木のジャングルにぶつかる。
 「電子道標」で確かめたら、1kmほど手前のその道から外れる遍路道の分岐を見逃したらしい。慌てて戻った。

     
 その分岐を下から眺めてみたら、左へ上がる小道があり、四国電力の看板が立っていた。通ったときには、それを目にして、送電線の管理道だと思って通過していた。
 ここも、逆打ちの場合、絶対直進してしまう所だ。しかし、落ち着いてみたら、看板の上に「へんろ道」の小さな標識も付いていた。それを見逃していた。

     
 再び、旧道に合流し、斜面の岩盤が削られた広い道を進んでいくと、焼坂峠(228m)に到着。ここは、両側の岩盤が削られた峠だった。これも車道が造られたときのものに違いない。

 そのすぐ下で旧道と右に別れ、急な下りの遍路道が続いていた。

     
 この下りも、そえみみず同様、距離は短いが、急な下り道である。反対側から登るのは辛い道だ。
 急なところは、石畳が敷かれ、寅ロープが設置されていた。

     
 下っていくと、須崎市安和の集落と海が見えてきた。
 13:10、往復2kmほど余計な歩きもあったが、ちょうど2時間で国道56号に出た。

 遍路地図には、その近くに食事のできる喫茶店が記載されていたが、営業していなかった。20分ほど進むと遍路地図には記載されていないレストハウスがあった。

 13:30、ようやく昼食にありつけた。カツ丼を食べた。

     
 国道を下っていくと、昨日よりきれいな海が広がっていた。

     
 やがて、今日のゴールとなる須崎市の市街地が見えてきた。
 市街地の中は国道から外れ、旧街道を進む。

     
 14:40、道路に面した大師堂があり、その上を見上げると鐘楼がある。本堂はその奥である。まずは、急な石段を昇って本堂へ。さらに下って大師堂へ。両方でお参りをする。納経所は少し離れた有善会館にあった。

 さらに、須崎市の中心街を抜ける。

     
 15:40、今日の宿、一福旅館に到着。ここもしっかりした造りで、中はとてもきれいだった。素泊まり4300円。人気の宿らしく、一般客も多く、混んでいた。

 ブログのめどが立ったので、5分ほど歩いたところにあるガストへ夕食に出た。

     
 ちょっと贅沢にビーフカットステーキてんこ盛り定食。久しぶりにビールも付けて、2319円。 

 


28日目〈民宿日ノ出〉~37岩本寺~〈末広旅館〉(四万十町)〈32.9km〉〈合計906.9km〉

2018年04月07日 | 登山・旅行

5:40スタート~14:55ゴール(9時間15分)〈50473歩〉

◎とにかく寒かった1日

     
 一番気温の上がる14:00の岩本寺手前の国道の気温は8℃。
 ここ数日間より、10℃以上も低い。おまけに強風波浪注意報が出ていて、北風でもあり、体感気温は5℃以下だった。

 昨日までの2日間は雨予報だったのに、朝から半袖シャツにハーフパンツだけでスタートした。それまでの数日間は毎日汗を掻いていた。
 しかし、今朝は、下はスポーツタイツにハーフパンツ、上はコンプレッションシャツにTシャツでスタートしたが、すぐにインナーダウンを着込み、さらに極薄のウィンドーブレーカーを着た。
 最後まで、それでも暑くはなかったし、手袋も離せなかった。

 土曜日なので心配した宿だが、これまで一発で予約できたことはなかった。しかし、今回は岩本寺の近くにある5軒の中から適当に選んで電話したら、一発でOKだった。しかし、なぜか「明日の朝食は出せないですけど、それでも良いですか」と聞かれた。もちろん良いので、理由は聞かなかったが、珍しいケースだ。

◎最初の10kmは海岸の国道歩き、それよりあとは山や内陸の歩き

 5:40、宿を出る。今日は、距離が短いので、のんびりと歩こうと思っていた。しかし、寒くてのんびりなんて歩いていられない。右手にまだ霞んだ太平洋を眺めながらハイペースで進む。

     
 佐賀公園の手前の展望台から来し方の海岸線を眺める。

     
 眼下の岩礁帯。今朝も、青空の下の紺碧の海は期待できなかった。

     
 途中の農村の田んぼは、もう青々していた。そういえば、昔は、高知は米の二期作が行われていたことを思い出した。

     
 鹿島が浦と佐賀市街地を眺める。

     
 佐賀の市街地のいかにも旧街道といった雰囲気の中を抜ける。ここからは、海から離れ、内陸部へと入っていく。
 ここまでもそうだが、概して、集落のない海岸沿いの道は国道に吸収され、旧街道が残っているのは、町中や農村地帯に多い。今は歩き遍路しか通らない遍路道は山中の峠越えに多い。

     
 佐賀の市街地を抜けると、農道や林道を兼ねている熊井遍路道となる。

     
 前回も印象が強く残っている、お遍路にも人気のある熊井トンネル。
 説明板によると、「明治38年(1905年)12月に工事が完成し、長さ90メートルあり「トンネルというものは入口は大きいが出口は小さいものぢゃのう」と言った人があるという。 
 レンガは佐賀港から一個一銭の運び賃で小学生などが1~2個ずつ運び、熊井側入り口の石張は二人の職人が右と左にわかれ腕前を競ったと言われる。 
 昭和14年(1939年)までは県道として利用され、現在はわずか、土地の人の通行に利用されているのみである。」

     
 下りていくと、伊与喜の集落に出る。ここからは、伊与喜川を挟んで国道と旧街道が5kmほど並行している。当然、昔の遍路道は旧街道の方である。そちらを進む。
 寒くて、休むこともできず、考えてみたら朝食も食べていなかった。10時過ぎになり、ようやく太陽も顔を出してきたので、風の当たらないところで、昨日道の駅で半額て買った3個入りの小さな大福を食べた。賞味期限は今日までだったのに、すでに固くなっていた。

     
 国道に合流すると、すぐに前回泊まった佐賀温泉があった。11時を過ぎたばかりだが、レストランで昼食タイムとした。
  
     
 メニューの名前を忘れてしまった、鯖みそや豆板醤を溶かして食べるラーメン。スープが美味しかった。

     
 やがて、前回も印象のある「市野瀬遍路道保全道」のある市野瀬の集落へ下りていく。

 この遍路道への入口に遍路休憩所があるが、その先の入口が分からない。逆打ちのゆえに標識類はない。こんなとき頼りになる「電子道標」の通り進んだら、すぐ先で道がなくなった。間違いは初めてのケースだった。
 地元の人が歩く道があちこちに延び、そこを20分ほどウロウロした。最後にそばの自動車工事に聞いたら、津波の時の避難階段を上がると言う。

     
 確かに、その先に遍路道は続いていた。電子道標もすぐにちゃっかり途中から合流していた。

     
 登っていったら国道のトンネルの入口に出た。どこへ進むのかと道を探したら、珍しく逆打ちの「岩本寺↑」の標識札があった。珍しいこともあるものだ。

     
 峠の頂上は標高280mで、茶屋でもあったのではないかと思われる平坦な所があった。

 やがて、国道に合流し、4.9km先の岩本寺を目指す。

     
 14:25、2日ぶりの38番霊場岩本寺に到着。般若心経の読経にも力が入る。

     
 境内に咲いていた見事なシャクナゲ

     
 階段沿いの寄進者の石柱にペギー葉山の名前を見つける。さすが高知県出身だ。

     
 14:55、末広旅館に到着。
 ここは前のときは窪川町だったが、四万十町になっていた。四万十市もあるだけに、紛らわしくないのか?
 そういえは、北海道にも釧路市と釧路町がある。

     
 近くで食堂も経営していて、そこから運んできた夕食。朝食ができない理由は、食堂は朝はやってないからだそうだ。夕食のみで5500円。
 料理のこだわりは感じられなかったが、食堂で調理しているだけに、味付けはどれも良く、今回初のカツオのたたきも予想してたより美味しかった。でも前回もそうだっただけに連日はお断りしたい。明日は、素泊まりにしよう。

 


27日目〈民宿旅路〉~(移動のみ)~〈民宿日ノ出〉(黒潮町)〈39.7km〉〈合計874.0km〉

2018年04月06日 | 登山・旅行

6:15スタート~道の駅ビオスおおがた(15:30~17:30)~17:55ゴール(道の駅の時間を省いて・9時間45分)〈54031歩〉

◎9時からずっと雨の中、黙々と前進あるのみ
 
 今日の宿からでも次の38岩本寺までは、67.5kmもある。今日は黒潮町の民宿日ノ出までの移動のみの行程とした。

 朝の内は雨が上がっていたが、9時ころから降りだして、ゴールまでずっと降り続いた。変化のある大岐海岸の砂浜歩きやあしずり遍路道は、雨が降る前に済み、あとはひたすら、雨の中の国道歩きがほとんどだった。

 宿は、素泊まりだけとのことだが、こちらもそのつもりだった。1.5kmほど手前の道の駅ビオスおおがたで食事をしてくることを勧められた。
 15:30に道の駅に着いたので、1時間半ほどブログの更新作業と夕食で時間を費やして、宿へ向かった。

◎今日のハイライトは大岐海岸の砂浜歩き

 6時前に用意された朝食をいただき、6:15にスタート。楽しみにしていた大岐(おおまた)海岸の砂浜歩きだが、改めて地図で確認したら、昨日その降り口にも気付かず通り過ぎていた。
     
 国道の降り口から階段を下ると、川が流れていた。前回は靴を脱いで渡っている。幸い、石を伝って渡れるところがあった。

     
 川を越えると、昨日のものた思われるお遍路さんの足跡が続いていた。
 昔からここを通る旅人は、草鞋を脱いで裸足で、この砂浜を歩いたのだろう。新しい足跡を見ると、裸足のものもあった。歩きながらタイムスリップを楽しんだ。

      
 まだ7時前だというのに、サーファーが海に入っていた。出勤前のひと泳ぎといったところか?

     
 2km弱の砂浜歩きを終え、橋を渡って国道へ出る。来し方を振り返る。奥に見えるのは足摺岬か?

      
 そのあとは、2ヶ所ほど、農道や生活道路として活用されているあしずり遍路道もあった。

     
 国道から久万地崎前後の岩礁や足摺岬を振り返る。

     
 同じ地点から、これから進む方向を眺める。

     
 国道沿いの無人販売所では、新玉葱が売られていた。

      
 下ノ加江川の橋の手前には、この先の岩本寺、昨日の金剛福寺、順打ちの人が打ち戻って進む一昨日の延光寺までのそれぞれの距離が刻まれた標柱が立っていた。「あしずり遍路道」の標柱もこの先には見られなかった。

     
 ゲロゲロと蛙の鳴き声のうるさい田んぼを眺めながら、下ノ加江川の堤防の道を進む。
 この辺りで雨が振りだしてきたので、カッパの上下を着た。
 
     
 土佐清水市と四万十市の境界となる1620mの伊豆田トンネル。前回は17分で抜けたが、今回は18分だった。年のせいか?登り勾配のせいか?
 恐らく、四国遍路で最長トンネルかも?

 トンネルを抜けてしばらくして、11:30にうどんやを見つけて入る。前後に食べ物屋がないせいか、お遍路さんが5人もいた。
 坦々うどんを食べた。美味しいけど、讃岐を抜けたら高くなっている。

     
 まもなくして、四万十川沿いの道となる。
 吉野川に次いで四国第2の河川。本流に大規模なダムが建設されていないことから「日本最後の清流」、また柿田川・長良川とともに「日本三大清流の一つ」と呼ばれる。

     
 687mの四万十大橋を渡る。これだけの長さの橋を歩いて渡るのは珍しい。

     
 四万十大橋を渡ってからの黒潮町市街地までの5kmほどが、歩道もなく、端には水が溜まっているので、道路の右車線の真ん中を歩き、車が来ると避ける…というよりは車が避けてくれた。周りは田んぼか山ばかりで、人家もなくもっとも精神的に辛い歩きだった。

     
 雨の中なので座って休むこともできず、地図を広げることもできない。今日ほど遍路休憩所が待ち遠しいことはなかった。
 しかし、地図で確認したにも関わらず、国道をそのまま進んでしまい、1km以上遠回りをした。

     
 気付いて遍路道戻ったところは、入野松原だった。

     
 ハマエンドウが今を盛りと咲いていた。

     
 15:30、道の駅ビオスおおがたに到着。この時間に夕食は早すぎる。とりあえずアイスクリームを食べ、ブログ更新作業をした。

     
 17時過ぎに、しらすかき揚げ丼と豚肉のしょうが焼きの単品を食べた。1200円は安かった。

     
 ついでに、土佐名物の塩けんぴをおやつとして購入。
 17:30に道の駅を出て、民宿へ向かった。

     
 浮鞭海岸を眺めながら進む。

      
 17:55、民宿日ノ出に到着。これまでの宿でもっとも新しくてきれいだった。中もすべて広々していて気持ちが良かった。それで、素泊まり3800円はうれしい。夕食と合わせても5000円。

 


26日目〈民宿はやかわ〉~38金剛福寺~足摺岬探訪~〈民宿旅路〉(土佐清水市)〈37.0km〉〈合計834.3km〉

2018年04月05日 | 登山・旅行

 5:30スタート~ゴール(15:30)〈54083歩〉

◎足摺岬観光やあちこちウロウロしたり、戻ったりで、意外と歩いた

 今日は足摺岬観光に時間を取るべく、歩く距離を抑えて、27kmほど先にある足摺岬の根元の北側にある民宿を予約した。ちょうど足摺岬をほぼ1周する感じだった。
  
 昨日は、つまらない県道・林道・国道歩きだったが、今日の前半は、自然のままの遍路道が多かった。しかし、その遍路道の入口が分からないで、ウロウロしたり、間違って余計に歩いたり、極めつけは遍路道を通ったために、県道沿いの宿が分からず、1km以上も過ぎてしまってから戻るという失態もあった。距離にも歩数にもそれらがカウントされている。

 あいにく天気は、午後には雨となり、紺碧の黒潮と、その上に広がる青い空がなかったのが残念だった。

 しかし、最後の1時間ほどは、金剛福寺から打ち戻る男性と一緒になり、今回のお遍路で、初めて話しながら歩くといったうれしいこともあった。

◎まずは、38番金剛福寺を目指す

      
 5:30にスタートしようと玄関に降りたらり、思いもしないお接待のお弁当が、うれしい添え書きと一緒に置かれていた。心遣いがうれしい。

      
 土佐清水市市街地の旧街道を抜けて、清水港をぐるっと回り込むように進む。

 ふと気がついたら、遍路道の入口から1kmほども先へ進んでいた。慌てて戻ったが、今度はその入口が分からない。2度ほど行ったり戻ったりを繰り返す。こんなときのために持ってきたGPSや電子道標をすぐ見れば良かったのに…結局それで分かったのだが、30分以上も余計な時間を食ってしまった。

     
 入口を見つけるが、このような遍路道になればもう心配はない。

     
 やがて中浜の集落に出ると、そこはジョン万次郎の生誕地だった。遍路道を外れて、復元された生家を見てきた。

     
 護岸の壁に、中浜万次郎の一生の物語が紙芝居形式で描かれていた。

     
 そこのバス停で、お接待の朝食をいただく。

     
 途中で遍路道を外れて、県道27号に出た。その先で合流するので、そのまま下って、鴉の岬展望台へ。

     
 足摺岬方向は、怪しげな雲が懸かり、はっきり見えなかった。

     
 松尾の集落の中は旧街道を抜けた。

     
 あしずり温泉郷の中を進む。こんなところに温泉街があったことは記憶にはなかった。意外と大きなホテルが多かった。

     
    金剛福寺の手前に、前回泊まった宿坊があった。

     
    10:30、38番霊場金剛福寺に到着。

◎足摺岬遊歩道をすべて歩き、今日の宿を目指す

 足摺岬では、10:45から遊歩道歩きと昼食時間も入れて、1時間ほどのんびり過ごした。

     
 断崖絶壁の足摺岬とその上の足摺岬灯台。

     
 唯一海岸に下りることができた白山洞門。

     
     その西側の岬

     
 明治時代に37岩本寺から金剛福寺までの80.7kmにわたって、1丁毎に設置されたという石仏。
 次の37番岩本寺までは、88ヶ所の中でもっとも離れている札所で、移動だけで、3日は掛かる行程だ。

     
 「あしずり遍路道」は、非常に荒れた状態であまり歩かれていないようだ。昼食を食べたレストランの女将が話していた通りだった。この先にも4ヶ所ほどあったが、2つ目はあまり酷くてパス。

     
 3ヶ所目は途中までは舗装されて生活道路として使われていた。
 窪津の集落の裏を通る道は歩きやすかった。しかし、集落へ降りてきて、地元の人に「この先は荒れて整備もしていないので県道を行った方が良いです」と言われた。

     
 最後の1時間ほどは、打戻りをして40延光寺へ向かう岐阜の男性と一緒になり、ずっとお話ししながら歩くことができた。
 前回の順打ちのときは、たくさんの人と一緒に歩いたり、同じ宿に泊まったりということが多かったが、逆打ちの今回は初めてのケースでうれしかった。

 話しながら歩いたことや遍路道にこだわって歩いたこともあり、県道沿いにある民宿に気付かず通り過ぎてしまったらしい。その方が気付いてくれてスマホで調べたら1km以上も戻るはめに。

     
     15:30、民宿旅路に到着。

     
 今日の料理もすべて地元の旬の食材ばかりで、調味料は無添加にこだわり、白砂糖は使わないなどしているせいか、何を食べても味付けが素晴らしかった。ブリの煮付けと刺身も美味しかった。イタドリの油炒めは初めて食べたが、なかなか美味しいものだ。
 これだけ美味しい料理で2食付きで6000円もうれしかった。絶対お薦めの宿である。  

 妻からのラインやharpbabaさんのコメントによると、今日の函館は雪が降ったそうだ。こちらは、Tシャツとハーフパンツで歩いているのに。 

 


25日目〈民宿嶋屋〉~(三原村~648mの峠越え)~〈民宿はやかわ〉(土佐清水市)〈45.3km〉〈合計797.3km〉

2018年04月04日 | 登山・旅行

5:30スタート~16:00ゴール30分)〈61542歩〉

◎地図の読み間違いで、損失感の大きな1日

 39番延光寺から38番金剛福寺へのルートは6コースもある。最短距離でも50km以上あり、1日では無理である。
 しかし、前回と同じ一番距離の長い大月町の大月遍路道を通ると決めていた。
 その1番の理由は、前回と同じ民宿叶崎に泊まりたかったからだ。
 実は、前回日曜日で郵便局で引き出すことが出来ず、5000円しかなかった。食べるものも持っていない。そのことを正直に話すと、4000円で夕食と翌日の朝食弁当をサービスしてくれた。そのお礼がしたかったからだ。
 さらなる理由は、珍しく前回の印象が強かったこと、古来からの本当の遍路道であること、それを探しだして整備保存活動をしている大月へんろ道保存会の活動と海の展望が非常に良かったことなどである。

 前回の記憶では、宿毛市街地まで戻ることは、頭の片隅にあったが、昨日のコース確認では、延光寺の先へ進み、三原村から別れる一番西側のルートと大月町のコースは繋がっていた。そっちからのコースもあるんだと思った。

 ところが、そのコースを3時間ほど進み、その後のコースを地図で確認したら、予定のコースには繋がっていないことが判明。

 いろいろなコースがあるために、地図があちこちに分散掲載されていて、接続部分が良く解らなかったことはあるが、あくまでも自分のミスである。

 結局、戻るわけにもいかず、途中から明日の38番金剛福寺への最短距離となる648mの峠越えのコースを取った。このコースは、歩き遍路のコースではなく、主に車遍路のコースらしい。峠越えでは、何も見所がなく、損失感の大きな歩きだった。
 唯一のメリットは、今日のゴールが、予定より20kmほど先だったことである。

◎結果的に、考えてもいなかった648mの峠越え

 今日は40km超えの予定だったので、ブログのコメントへの返信も入れずに、ヘッドランプの必要のなくなる5:30に宿を出た。
 ところが、10分ほど歩いた所で金剛杖を忘れたことに気付き、慌てて戻る。ここからすでに狂っていた。

 昨夜来の勘違いのまま、三原村の分岐を目指す。

     
 霧の立ち込めた中筋川ダムを眺めながら進む。

     
 2時間ほどで、三原村へ入る。
 7:50、4コースもの分岐となっている三原村市街地に到着。予定通り一番西側のコースを進む。

     
 昨日松尾峠で目にしたピンク色のツツジの群生に感動。

 さらに6kmほど進んだ地点でその先のコース確認で、間違いに気付く。
 直ぐに民宿叶崎に状況を話し、キャンセルの電話を入れる。14年前のことを話し、どうしても泊まりたかった訳を話し、改めてお礼を言って理解していただいた。

 どうせ間違いついでに、そのコースより短距離で土佐清水市街地に近づく隣のコースにワープした。

     
 9:20、そのコースの登り口のある皆尾の集落で、おにぎり弁当の朝食を食べた。

     
 すでにサクラは八重桜がメインになっていた。

     
 10:00、登り口となっているタキ山橋に遍路関係の標識があった。それを見ると、歩き遍路の道でもあるようだ。

     
 その時点で、その先の峠越えのピークが648mもあることに気付く。向かう先に越えなければならない稜線が見える。ちなみに、ワープしなければ250mの峠越えで済んだ。

 いまさらどうしようもない。舗装された車道だが、標高差500m、ピークまでの距離6.4km。
 登坂になると喜ぶ脚に期待して、ピッチを上げる。

     
 11:25、自分でも驚く平地を歩くペース並みに、1時間25分で登りきってしまった。そこから土佐清水市に入る。

◎長い下りの末に国道に出て、土佐清水市市街地の宿にゴール

     
 三原村の最終集落から3時間で、土佐清水市の上野の集落に出る。

     
 すでに田植えを終えた田んぼで、苗の補植をしていた。

     
 本日の地図上で唯一点線の歩き遍路専用道を進む。しかし、歩き遍路の標識はなかった。

     
 14:10、益野で、明日歩いてくるはずだった国道321号に出た。この時点で16時には土佐清水市街地に入れるメドが付いたので、民宿に予約の電話を入れた。

     
 国道から眺める高知の海。明日の金剛福寺のある足摺岬は奥の岬。

     
 ジョン万次郎は、ここ土佐清水市の出身だった。早く宿に着きたいのでパス。

     
 ゴール2kmほど手前から土佐清水市街地を眺める。

     
 予定通り、16:00ぴったりに民宿はやかわに到着。
 素泊まり4000円。食事を頼むと、またカツオの刺身かタタキが出てくるはずだ。はっきり言って大味であまり好きでない。昨日も無理して食べた。

     
 すぐ近くの中華料理店で、炒飯と豚肉の炒め物を食べた(1130円)。近くに食堂やコンビニがあるときは、この方が安上がりである。

 


24日目〈民宿ビーチ〉~40観自在寺~39延光寺~〈民宿嶋屋〉(宿毛市)〈38.2km〉〈合計752.0km〉

2018年04月03日 | 登山・旅行

6:20スタート~ゴール15:40(9時間20分)〈53075歩〉

◎舞台は、土佐路(高知県)へ

 楽しいことはあっという間に過ぎる。インナーダウンを着て歩いたのが、つい先日だったような気がする。ここ数日は、汗を掻きながら歩いている。
 旅も半分以上を過ぎ、松尾峠を越えて、いよいよ今日から南国土佐へと舞台は移る。伊予路から土佐路へ。
 
 土佐路は、距離が一番長いのに、札所が別格を入れて、15ヶ所しかなく、峠越えもほとんどなく、前回も空と海を眺めながら(空海の名前の由来)、ひたすら歩く移動だけの日が多かった印象がある。

◎まずは、伊予路最後の観自在寺を打ち、松尾峠を目指す

     
 朝食も、魚と肉、サラダ、煮物などバランスの取れた食事である。
 「この値段で、これだけのご馳走を出す宿はないですよ」と言ったら、「建物が建物だけに、せめて料理だけも」とのこと。確かに、建物はこれまでで一番酷い状態だったが、料理は最高だった。
 遍路宿は、どこも朝食を早く用意してくれるのが助かる。

 6:20スタート。40番観自在寺のある旧御荘町市街地までの8kmほどは、ひたすら味気ない国道56号歩きが続く。
 しかし、リアス式海岸の近くなので、国道にしてはアップダウンが大きい。

     
 すでに田植えが終わっている田んぼがあった。

     
 昨日お接待大師からご馳走になった御荘柑(みしょうかん)畑。
 このミカンをたくさん置いて行ったので、食べ切れずに、残りの3個を宿にお裾分けしてきた。

     
 8:20、ちょうど2時間で、40番霊場観自在寺に到着。この観自在という言葉は、般若心経の出だしの3文字である。
 意味は、すべての事物を自由自在に見ることができること。

 旧御荘町市街地の旧街道を抜けると、また旧一本木町市街地まで国道歩きが続く。

     
 旧一本木町市街地から、松尾峠に向かう。途中の集落に、小山番所跡の石碑と当時のまま残る井戸があった。
 
 説明板によると、この松尾峠は、昔から伊予と土佐を結ぶ重要な街道で、両方の入口には戦国末期から番所が設けられ、四国遍路もここと甲浦以外の土佐への出入りが認められなかったために、旅人で賑わい、多い日で300人、少ない日でも200人の旅人が通ったそうだ。

      
 松尾峠は、標高300mしかなく、山道も非常に良く整備されていて、斜度も緩やかで歩きやすかった。

      
 こちらの山は、すでにツツジが咲いていた。赤いのは、ヤマツヅジだろうが、ピンクの方は名前は不明。

◎松尾峠を越え、土佐路を39番延光寺へ

     
 11:45、旧太師堂やトイレや遍路休憩所の他にいろいろな標識の建つ松尾峠に到着する。
 遍路休憩所で、最後の1個の清見を食べて、昼食とした。ここで、延光寺そばの民宿に今夜の予約を入れる。

 Cメールが入っていたので開けたら、学生時代からの同期で同じ職場にも勤めたことのある校長仲間だったTa君の訃報だった。
 体調を崩していたことは知っていたが、そんな深刻な状態だったとは思わなかった。帰ってから自宅にお参りに行くことにする。

     
 石碑で、特に目を引いたのは、江戸時代のものであろうが、「従是西伊豫國宇和島藩支配地」と「従是東土佐國」と掘られた石柱が建っていることである。

     
 時間的余裕があったので、往復700mほどの頂上にある純友城址の展望台へ。
 眼下に宿毛湾が広がっていた。

 松尾峠も、昨日の柏坂と同様、こちらからの下りの、方が急だった。

     
 道端で、葉の形や花茎の色から、一昨年海向山で初めて目にしたマキノスミレと思われるスミレを目にした。

     
 反対側の集落には、松尾坂口番所跡の標識。

     
 標高10mの集落に出たので
、そのまま車道を進むのかと思ったら、再び山道となり、標高100mまで登っていく。

     
 道の真ん中にタケノコが頭を出していた。このくらいの大きさになると、もう食べられないらしい。

     
 山道を越えたら、宿毛市市街地が見えた。

     
 宿毛市街地の本町商店街にあった醤油醸造所の古い建物が目を引いた。

 市街地を抜け、再び県道や国道歩きとなる。

     
      
 あちこちに、北海道では馴染みがないが、道外ではどこでも見られるらしいレンゲソウが咲き、大群落を作っているところもあった。

     
 15:30、39番霊場延光寺に到着。仁王門を潜ると、亀の上に梵鐘が乗っかっている石像があった。
 この梵鐘には、延喜11年(911年)正月の銘があり、平安時代前期の紀年銘鐘として貴重らしい。赤い亀が竜宮城より持ち帰ったとの伝説がある。このことから、このお寺の名前は赤亀山延光寺となっている。
 勤行のときと梵鐘を鳴らし、Ta君のご冥福を祈った。

     
 15:45、すぐ下の民宿嶋屋に到着。今日は一番暑く、汗をたっぷり掻いた。無料の洗濯機と乾燥機がうれしい。洗濯機に洗濯ものを入れて風呂に入った。

     
 汗を掻いたので、5日ぶりにビールを飲んだ。料理に、早速カツオの刺身が出た。ほかも味はイマイチだったが、ボリュームが多いこともあり、完食できなかった。
 ほかの泊まり客は外国人のご夫妻。おもしろかったのが、ご主人は正座をして、箸で上手に食べていたが、奥さんは椅子に座り、すべてフォークと手づかみで「ごめんなさい」と言いながら食べていた。

 宿泊代は、ビールと明日の朝のおにぎり弁当を入れて、7000円だった。

 


23日目 (午前・観光ドライブ) 〈よしのや旅館〉~柏坂越え~〈民宿ビーチ〉(愛南町御荘)〈18.2km〉〈合計713.8km〉

2018年04月02日 | 日常生活・つぶやき

(6:30~観光ドライブ) 11:45スタート~16:20ゴール(4時間35分)〈26500歩〉

◎愛媛県最後の日の午前中は、遊子水荷浦(ゆすみずがうら)の段畑と紫電改展示館への観光ドライブ

 お接待大師こと法起坊見習いさんが、ぜひとも案内したいと言っていた所が、この2ヶ所だった。

 朝、6:30に宿に迎えに来て、まずは、宇和島市遊子水荷浦の段畑へ。

     
 
     

     

       
 まさに、「耕して天に至る」そのもの。これまでいろいろな段々畑や棚田を見て来たが、幅・高さとも1㍍ほどの石垣がはるか山頂まで続いているのは、一昨年インカトレイルで見て以来だ。

 この地域に住む半農半漁の人が増え始めた江戸時代末期から開墾されたが、当時は土岸で、石垣は明治末期から大正にかけてらしい。
 水荷浦の地名は水が乏しく生活水を担いで運んだことに由来するらしい。
 栽培されているものは、最初はサツマイモ、次に養蚕の桑、そして、現在はジャガイモで、4月下旬には収穫するが、北海道と違って花は咲かないとのこと。

 次に、逆方向の愛南町御荘にある紫電改展示館へ。

     
  
     
 太平洋戦争末期に、ゼロ戦を上回る性能を誇った戦闘機「紫電改」…名前は知ってしたが、450機ほど製作されたが、これが、国内に残る唯一のものとのこと。
 帰還できずに海に墜落したものを、1978年に近くの久良湾で海底から引き揚げたものである。プロペラが曲がっているのは、海に落ちたときの水圧にのよるとのこと。
 アメリカには3機が現存するが、ほかの残ったものは、米軍により燃やされてしまった。

     
 当時、この紫電改と全国から集められた精鋭パイロット3000人で構成された松山基地のジオラマ

     
 松山の淡路ヶ峠でアップし、触れてある平和の桜「陽光桜」。中学校教師だった高岡正明氏が、犠牲になった教え子たちの供養と世界平和を願って開発された桜。こちらではすでに葉桜になっていた。

     
 そのすぐ近くの260mの高さの宇和海展望タワー。

     
   タワーから愛南町市街地を見下ろす

     
     タワーから見下ろす宇和海

     
    下の白い建物が、紫電改展示館

     
 またまた出てきた、法起坊主見習いさんお接待4種類目の御荘柑。素朴な味だった。
 帰りに、今日のゴールの宿の前を通ったので、リュックを預けてもらった。

     
 昨夜の宿の近くまで戻り、御馳走になったランチバイキング

◎お接待大師に見送られて、標高470mの柏坂越えへ

      
 結局、4日間に渡ってお接待を受けた彼に、昨日の宿の前で見送られて、今日の分の歩き遍路スタート。
 今回はこれでお別れだが、来年の春から夏に掛けて、北海道長期滞在旅行に来ると言う。今度はこちらがお接待をする番だが、とても真似はできない。

     
 前回も印象にある国道沿いの芳原川の堤防を進む。

     
 前回、初めて目にした珍しい「ほわら仮橋」は、2ヶ所あったが、下流の方は跡形もなくなっていたが、上流の方は橋桁だけ残っていた。

    〈前回写した「ほわら仮橋」〉
     
 橋桁の上に長さ5Mの歩み板が右側に5枚、左側に4枚有りそれぞれをワイヤーでつないでいる。

 1時間半ほど、国道と並行する芳原川沿いの道を進み、国道を渡って、柏坂へと向かう。

     
     桜の混じった春紅葉

     
 道外では良く目にするヒメシャガ

     
 今まで多くの峠越えをしてきたが、昔からの整備の良さ印象的な山道だ。

     
 途中に2ヶ所、このような遍路休憩所があり、トイレもあちこちに設置されている。

     
 途中10ヶ所以上、この峠越えに伝わる伝説や逸話の説明板が設置されていて、読みながら登っていく。

     
 標高460m地点の「つわな奥」から唯一広がる海の展望。この先から旧御荘町(現愛南町)へと入る。

 この柏坂越えは、逆打ちは緩やかで疲れを感じないで登っていけたが、下り(順打ちにとっては登り)は、道は広くて快適だが、非常に急だった。
 午前中に車で移動していたときに、この峠越えを避けて、国道を歩いているお遍路さんが多かったのは、このせいかも?

     
 山道に入って、2時間15分で、反対側の登り口に到着。

     
 国道に出て、さらに宿までは登りが続く。右手にいろいらな養殖施設が目につくリアス式海岸を目にしながらピッチを上げる。

◎楽しみだった民宿ビーチの料理

     
 16:20、民宿ビーチに到着。この宿は、法起坊見習いさんの「宿は古くて安いけど、料理が素晴らしい」とのお勧めだった。

     
 すべて地元の海で獲れたものばかりの料理。
 刺身は、いとより、めっきあじ、ヤズ(はまち)、まいか、ヒオウギガイ。
 煮付けは、いとより。酢の物は4種類の海藻。かき揚げは海藻とえび。ヒオウギガイの煮付けなど。この他に数種類の海藻のすまし汁。
 これだけのご馳走が出て、2食付きで6480円は、大満足!

 明日は、愛媛県最後の40番観自在寺を打って、高知県 へ舞台は移る。