こんにゃく座『おぐりとてるて』を俳優座劇場で観て、翌日、SPAC『マハーバーラタ ~ナラ王の冒険~』を神奈川で観た。
なんだろうか。王子様お姫様夫妻が世間の常識とのズレというか心ならずも離ればなれになりまた復縁するという話を二日連続で観たわけで、なんだか不思議な気持ちになる。
こんにゃく座さんの誠実な作り方は、作・演出=立山ひろみさんの真っ直ぐさとも相まって、すがすがしい。音楽というテリトリーでの水準を求められることで一人一人が自立していることもその空気に繋がっているのだろう。
『マハーバーラタ ~ナラ王の冒険~』の祝祭劇としての明るさは、宮城聡氏が二十年前のク・ナウカ『トゥーランドット』以来のユーモアを素直に自分のものにしているところと、妖艶さを越えてあらためてシンプルな芯に磨きがかかった美加里はじめ、先輩連がチームの中で牽引している身体に根付いた美意識の浸透からだろう。終演後、短い時間だが宮城氏と久しぶりに話。
最近も、幾つか舞台は観ている。
中津留章仁新作『八月の雹』。執念深い作り手である。新人俳優たち相手でも等身大シフトのさいの中津留流を押し通した前半が、圧巻。
SIS Company『火のようにさみしい姉がいて』を観て、あらためて、清水邦夫さんの戯曲が、新劇世代の連帯感に依拠するところ大なのだと痛感した。この場合、「新劇世代」というのは揶揄ではない。その時代が確実にあったという事実と、清水さんのスタンス、一人の作家の想像力が時代を突き抜けようとすることについて、あらためて考えさせられた。
『アジア・ミーツ・アジア』で、久しぶりにDA-Mに行って、ベルリンにいるはずの千野秀一さんとバッタリ、立ち話が長引いた。千野さんは異国で音楽家として生きるスタンスをもう5年続けている。
ミュージシャンといえば、映画は『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』というのが、少なくとも観ている間は面白かった。コーエン兄弟の映画は『ファーゴ』以外は観た後に何も残らないのだな。
ここ一ヶ月は、自分の稽古場以外の仕事が多く、ひとのつくったものばかり観ている気がする。今年はオーストラリアから帰ってくるまで、本当に気が抜けなかったので、まあそういう時期も必要ということだろう。
写真は『おぐりとてるて』の五人合体型・千手観音。登場で確実に舞台は華やいだし、写真にしてもありがたみがありそうだ。
なんだろうか。王子様お姫様夫妻が世間の常識とのズレというか心ならずも離ればなれになりまた復縁するという話を二日連続で観たわけで、なんだか不思議な気持ちになる。
こんにゃく座さんの誠実な作り方は、作・演出=立山ひろみさんの真っ直ぐさとも相まって、すがすがしい。音楽というテリトリーでの水準を求められることで一人一人が自立していることもその空気に繋がっているのだろう。
『マハーバーラタ ~ナラ王の冒険~』の祝祭劇としての明るさは、宮城聡氏が二十年前のク・ナウカ『トゥーランドット』以来のユーモアを素直に自分のものにしているところと、妖艶さを越えてあらためてシンプルな芯に磨きがかかった美加里はじめ、先輩連がチームの中で牽引している身体に根付いた美意識の浸透からだろう。終演後、短い時間だが宮城氏と久しぶりに話。
最近も、幾つか舞台は観ている。
中津留章仁新作『八月の雹』。執念深い作り手である。新人俳優たち相手でも等身大シフトのさいの中津留流を押し通した前半が、圧巻。
SIS Company『火のようにさみしい姉がいて』を観て、あらためて、清水邦夫さんの戯曲が、新劇世代の連帯感に依拠するところ大なのだと痛感した。この場合、「新劇世代」というのは揶揄ではない。その時代が確実にあったという事実と、清水さんのスタンス、一人の作家の想像力が時代を突き抜けようとすることについて、あらためて考えさせられた。
『アジア・ミーツ・アジア』で、久しぶりにDA-Mに行って、ベルリンにいるはずの千野秀一さんとバッタリ、立ち話が長引いた。千野さんは異国で音楽家として生きるスタンスをもう5年続けている。
ミュージシャンといえば、映画は『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』というのが、少なくとも観ている間は面白かった。コーエン兄弟の映画は『ファーゴ』以外は観た後に何も残らないのだな。
ここ一ヶ月は、自分の稽古場以外の仕事が多く、ひとのつくったものばかり観ている気がする。今年はオーストラリアから帰ってくるまで、本当に気が抜けなかったので、まあそういう時期も必要ということだろう。
写真は『おぐりとてるて』の五人合体型・千手観音。登場で確実に舞台は華やいだし、写真にしてもありがたみがありそうだ。