慶應義塾有志の会による、「慶應義塾有志の会による安全保障関連法案の廃案要請」が公開されました。
有志の会は、2015年8月15日現在、206名。
…………………………
慶應義塾有志の会による
安全保障関連法案の廃案要請
私たちは、今般の政府与党による安全保障関連法案の内容およびその審議の過程に対して強い懸念を表明し、法案の廃案を求めます。
現在の自公連立政権は2014年7月に憲法の解釈変更によって集団的自衛権行使を容認し、それに基づいて第二次世界大戦終結後70年にあたる本年5月、安全保障関連法案を国会に提出しました。この間、同法案に対しては、圧倒的多数の憲法学者と歴代の内閣法制局長官が憲法違反だと考え、一般の声も多くの調査で半数が法案に反対し、賛成は3割以下に留まっています。
その声を無視して、与党が7月16日に衆議院で安全保障関連法案を強引に可決したことは「多数決の専制」です。これまでの国会での審議における政府側答弁は説明の体をなしておらず、現政権が法の支配を軽んじていることがますます明らかになってきています。この政権下で国会に提出されているかたちでの安全保障関連法案が成立すれば、国家権力を牽制する立憲主義そのものが破壊され、憲法の条文の意味がなくなってしまうことを私たちは強く憂慮します。
もとより、集団的自衛権、それと区別される「集団安全保障」、さらに安全保障政策一般について現実的な議論を進めることは重要なことでありましょう。しかし、法の支配を捨て、憲法の空文化をもたらすかたちで議論と法整備を進めるのであれば、それは事実上の独裁と呼ばざるをえない事態となります。この国の安全保障政策は、立憲主義を尊重する政府のもとで進められねばなりません。
立憲主義を尊重しない政府のもとでは、言論の自由、表現の自由、報道の自由、そして「学問の自由」がいっそう抑圧されていく可能性を憂慮せざるをえません。それはすでに、報道や言論に対する政府の介入をはじめ、人文社会科学系研究教育機関への改廃要請という形で表われ始めています。このままではやがて、日本国憲法第23条が保障する「学問の自由」そのものの抑圧をも導き、多くの学者研究者が批判能力を殺がれ自主規制を余儀なくされ、学生たちは自由な研究の成果を受け継ぐことができなくなるでしょう。
慶應義塾の創立者、福澤諭吉が『学問のすゝめ』で説いたのはべつだん象牙の塔に限られた学問の可能性ではなく、あらゆる人々に向かって開かれた知的可能性と自由独立精神そのものです。福澤は、庶民ひとりひとりが学問することによって、その精神をおおらかに発展させるような社会教育を目指していました。そこでは、学問はいかなる権力からも権威からも自由です。一方で、福澤の思想が近代日本に与えた影響のネガティブな側面や、また慶應義塾も日本の帝国主義・軍国主義の時局下で迎合を余儀なくされた事実の真摯な検証や厳しい評価の必要性を忘れてはなりませんが、そのためにも学問の自由は決定的に重要です。学問的発展を閉ざした国家と社会には、未来は永遠に訪れません。
真の安全保障は、国内外を問わず学問の自由を推進することによってこそ成立します。学問と言論の自由を圧殺することから生まれるものは、不信感と憎しみしかありません。ところが 現在、歴史を忘却し真実を歪曲してやまない現政府は、この暴挙と呼ぶべき法案によって学問の自由を、幸福の追求の権利を、ひいては国民の生命をも危険にさらそうとしています。
だからこそ、慶應義塾における教育と研究に誇りをもつ有志一同は、ここに今般の安全保障関連法案が間違いなくもたらす立憲主義と学問の自由の危機を憂慮し、その一刻も早い廃案を強く希望します。
2015年8月15日
慶應義塾有志の会
http://keioyushi.wix.com/keiostandsup
有志の会は、2015年8月15日現在、206名。
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慶應義塾有志の会による
安全保障関連法案の廃案要請
私たちは、今般の政府与党による安全保障関連法案の内容およびその審議の過程に対して強い懸念を表明し、法案の廃案を求めます。
現在の自公連立政権は2014年7月に憲法の解釈変更によって集団的自衛権行使を容認し、それに基づいて第二次世界大戦終結後70年にあたる本年5月、安全保障関連法案を国会に提出しました。この間、同法案に対しては、圧倒的多数の憲法学者と歴代の内閣法制局長官が憲法違反だと考え、一般の声も多くの調査で半数が法案に反対し、賛成は3割以下に留まっています。
その声を無視して、与党が7月16日に衆議院で安全保障関連法案を強引に可決したことは「多数決の専制」です。これまでの国会での審議における政府側答弁は説明の体をなしておらず、現政権が法の支配を軽んじていることがますます明らかになってきています。この政権下で国会に提出されているかたちでの安全保障関連法案が成立すれば、国家権力を牽制する立憲主義そのものが破壊され、憲法の条文の意味がなくなってしまうことを私たちは強く憂慮します。
もとより、集団的自衛権、それと区別される「集団安全保障」、さらに安全保障政策一般について現実的な議論を進めることは重要なことでありましょう。しかし、法の支配を捨て、憲法の空文化をもたらすかたちで議論と法整備を進めるのであれば、それは事実上の独裁と呼ばざるをえない事態となります。この国の安全保障政策は、立憲主義を尊重する政府のもとで進められねばなりません。
立憲主義を尊重しない政府のもとでは、言論の自由、表現の自由、報道の自由、そして「学問の自由」がいっそう抑圧されていく可能性を憂慮せざるをえません。それはすでに、報道や言論に対する政府の介入をはじめ、人文社会科学系研究教育機関への改廃要請という形で表われ始めています。このままではやがて、日本国憲法第23条が保障する「学問の自由」そのものの抑圧をも導き、多くの学者研究者が批判能力を殺がれ自主規制を余儀なくされ、学生たちは自由な研究の成果を受け継ぐことができなくなるでしょう。
慶應義塾の創立者、福澤諭吉が『学問のすゝめ』で説いたのはべつだん象牙の塔に限られた学問の可能性ではなく、あらゆる人々に向かって開かれた知的可能性と自由独立精神そのものです。福澤は、庶民ひとりひとりが学問することによって、その精神をおおらかに発展させるような社会教育を目指していました。そこでは、学問はいかなる権力からも権威からも自由です。一方で、福澤の思想が近代日本に与えた影響のネガティブな側面や、また慶應義塾も日本の帝国主義・軍国主義の時局下で迎合を余儀なくされた事実の真摯な検証や厳しい評価の必要性を忘れてはなりませんが、そのためにも学問の自由は決定的に重要です。学問的発展を閉ざした国家と社会には、未来は永遠に訪れません。
真の安全保障は、国内外を問わず学問の自由を推進することによってこそ成立します。学問と言論の自由を圧殺することから生まれるものは、不信感と憎しみしかありません。ところが 現在、歴史を忘却し真実を歪曲してやまない現政府は、この暴挙と呼ぶべき法案によって学問の自由を、幸福の追求の権利を、ひいては国民の生命をも危険にさらそうとしています。
だからこそ、慶應義塾における教育と研究に誇りをもつ有志一同は、ここに今般の安全保障関連法案が間違いなくもたらす立憲主義と学問の自由の危機を憂慮し、その一刻も早い廃案を強く希望します。
2015年8月15日
慶應義塾有志の会
http://keioyushi.wix.com/keiostandsup