Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

2020年東京オリンピック・エンブレム再度選定結果の正しさを讃えよう

2016-04-26 | Weblog
4月25日、再度の選定で、最終候補4作品に絞られていた2020年東京五輪エンブレムが、決定した。
選ばれたのは野老朝雄(ところあさお)氏がデザインしたA案「組市松紋(くみいちまつもん)」だという。
「歴史的に世界中で愛され、日本では江戸時代に「市松模様(いちまつもよう)」として広まったチェッカーデザインを、日本の伝統色である藍色で、粋な日本らしさを描いた。形の異なる3種類の四角形を組み合わせ、国や文化・思想などの違いを示す。違いはあってもそれらを超えてつながり合うデザインに、「多様性と調和」のメッセージを込め、オリンピック・パラリンピックが多様性を認め合い、つながる世界を目指す場であることを表した。」という。
まあ、それは、公式な言い方で、一種の方便であろう。
だって、このデザインに「市松模様らしさ」は、ない。ただの屁理屈である。

では、何か。
じつは、今回の2020年東京オリンピックのエンブレム再決定は、まったく正しい自己認識に基づいている。

たいへん勇気のあるデザインだ。
まず、他の三候補との違いは、カラーか、モノクロであるか、である。
カラーの場合は紺色のようになっているが、当然モノクロ印刷に耐えられるための単色デザインの採用でもあるので、単色の場合はどうなるか想像していただきたい。
白地と黒地である。
白地と黒地。
はい。
白地と黒地といえば、お葬式である。

放射能に覆われた地域で開催することになるかもしれないオリンピックであることを正直に伝えるべく、葬式幕をもとにした帯のデザインで、真ん中や、やや上部の空白エリアを堂々と葬式幕で覆い、葬り去られるしかない死に至る汚染の事実を隠さない。
いやいや、これは、そして立憲主義を自ら失効させ、暗黒時代に入ろうとしているかもしれないこの国の暗雲を示しているのか。
もはやオリンピックらしさは何もない。
葬式幕をデザイン化したパターンに囲まれた部分は、空白。
何もない。
無。
日の丸の赤丸など想起さえさせることはない。
無関心と無責任の世相の喩でもある。
ただただ、この国に、オリンピックどころか、未来はないことを示している。

こんなに正直でいいのだろうか。
ここまで、ただの虚無をデザインした五輪シンボルマークはなかったのではないだろうか。

この統一感のなさ、まとまりが感じられないレイアウトは、鋭い批評性を含んでいる。
下のカラーの五輪マークとの馴染みも悪い。とってつけただけだ。
日本の孤立を正直に反映させている。

メッセージは何か。

諸君、これが日本のオリンピックだ。
やめるならもう手遅れだがまだ間に合うかも知れないぞ。
ほんとうに誰か早く止めてくれ、なかったことにしてくれ、という悲痛な叫びが感じられる。
どのみち葬り去られる運命なのだ。
で、早く中止を発表したい。その真意を察していただきたい。

日本の未来に責任ある人々は、苦渋の末に、このようなデザインを選んだと思われる。
この正直さを讃えよう。

オリンピックのための国立競技場の新デザインで一度は選ばれたザハさんが急逝されたが、彼女への慰霊の意味もあるのかもしれない。

それにしても、オリンピックに無駄金を使うより、被災者への支援に使うのが、筋だ。
積載量の少ないオスプレイを救援物資運びより米軍駐留正当化のデモンストレーションのために無理矢理飛ばすより、その購入費で被災地を復興させるのが、筋だ。

この国を動かす人たちは、筋が通らなくても平気なのだろう。どのみち葬り去ってしまうつもりなのだから。

※ 野老氏にはなんの恨みもございません。ご容赦ください。
※ この記事は、当ブログのバックナンバーの2015年7月24日付け「2020年東京オリンピック・エンブレムの正直さを讃えよう」の続編である よほどお暇な方は、参照していただきたい
http://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/4095e50203f1676f150347a3e28d8e23
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