トルストイ原作のオペラを作ることになったので、一度は訪ねてみたいと思っていたロシアに、行くことにした。
関西でロシアの児童文学を研究している方々の会によるロシアツアーに、こんにゃく座の萩京子さん、神戸のオペラ歌手・濱崎加代子さんと一緒に、参加させていただいている。
モスクワの宿舎は、労働社会関係アカデミー学生寮である。男子三人の相部屋である。私は最年少。一般的にはいちげんの皆様と同室はいろいろと心配なもののようだが、考えてみれば私は大学に入ってしばらくは男子寮暮らしもしていたので、得がたい経験として、楽しくさせていただいている。
じつはこのツアー、チョコレートケーキの古川健さんもお誘いしたのであるが、諸事情で実現しなかった。村井健さんがご存命だったら、ツアーなんて坂手らしくない、とおっしゃったに違いない。だが、ロシアに精通した人たちの経験値は、侮れないというのも、確かである。
モスクワから南へ190キロ、トルストイの生地であり、トルストイが一生のほとんどを過ごした、彼の作品の背景にある土地、ヤーナ・ポリャーナを見学することができた。一日がかりである。
敷地内の端にはトルストイの墓がある。
墓石も文字もなく、苔むす緑、ただ土が盛り上がっているだけである。
このかたちは、トルストイ自身の選択である。
トルストイのこと、この地のこと、墓のことを語るモスクワのロシア人が、涙ぐんで昂揚していたのをその前日、目の当たりにして、かの地の人々がいかにトルストイを愛しているか、あらためて感じいった。
1993年からしばらく、私が初めて行った西欧の国は、もと東側の国ばかりだった。その後のツアーも、もと東側が多い。しかしロシアは初めてだったのである。ある意味ではべつだん際立った新情報に出会ったというわけでもないのであるが、いろいろな謎が氷解していくような、妙な感じもある。
1991年『汚名』は、私が、母とソヴィエトについて書いた戯曲である。全国ツアーもした。ただ、岸田戯曲賞受賞第1作にしては、思い切りテーマが狭いように思われたらしく、私が処世術が下手くそであるという評判も、何しろこのあたりから始まっているのであろう。