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『冬眠まんざい』稽古をしていて、昨夜の直感が正しいと納得する。『ニーチェの馬』と『冬眠まんざい』は、おそろしく共通項が多い二作品なのである。世間から隔絶され厳しい自然の中で労働し食うにも困っている父と娘、二人で乏しい中、言い争い慰め合い、時として僅かな酒を飲んだりするのも似ている。近親相姦的というのとも違う、親子の官能もある。「超自然」にも出会う。未来に絶望して終わるのも同じだ。なんでこんなに似ているのだ。劇作家秋浜悟史はすごいぞ! 坂本長利さんが体力の限界まで挑まれている。五大路子さんは俳優として経験値と自ら演じる躍動のクロスする高みの時期にいる。この二人で、そろそろ「演じている人自身が楽しめるリーディング」にスイッチしていく。私はリーディング演出のセオリーなど、構造的には誰でもわかるものもあるだろうし時にそれを他人に勧めたりもするが、自分の現場ではそんなことはどうでもいいので、とにかく俳優を見て決める。俳優に興味が持てなければ方法論なんて役にも立たない。私も楽しむぞ! ……そして『ニーチェの馬』と『冬眠まんざい』は、『宇宙みそ汁』にも似ている。現代の孤独な母息子の、時間が停止したような世界は、この二作と呼応している。シンクロニシティというのも違う。私自身が呼び起こした偶然でもあるのだろう。そして、「物語の摂理」というものがあるとすれば、当然のように、私の中の「劇を作る」というフィールドが、それらを否応なしに呑み込んで、さらに違うものにしていくことになる。そうしたダイナミズムを素直に感じることを禁じられたかのような一年余の「震災以後の時期」だったが、少し元気にならなければならない。他人を励ます「懐」を持ってこその、生。しかしそれはもちろん、無神経になるということであってはならない。人間は面倒くさいものだが、シンプルに考える糸口を示し、励ますこともまた、「創作」の力なのだ。
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