舞台衣装デザイナーの緒方規矩子さんが亡くなられたという。
初めて仕事で関わったのは、2011年6、7月、紀伊國屋サザンシアターでの、民藝『帰還』。大滝秀治さん最後の舞台だったが、1950年代の空気、後半で幻想的になる場面などに、持ち味が出ていた。横浜ボートシアターで仮面製作も担当していただけあって、「衣裳」という範疇を越えたスケールとニュアンスを持たれていた。
私の演出作では、2012年2~3月、東京演劇アンサンブル『荷』でご一緒した。(写真)
韓国の鄭福根さんの戯曲(翻訳・石川樹里)。韓国から、チョン・ソンギル、ウ・ミファという優れた二人の俳優にも来ていただいた。ソンギルは韓国版『だるまさんがころんだ』、ミファは韓国版『たたかう女』にも出てくれていて、もともと拙作との接点もあったが、ありがたい繋がりである。
今はなきブレヒトの芝居小屋で、両側から挟む特設の客席に挟まれ、冬ながら最後は本水が溢れるセット。美術は加藤ちか、照明は竹林功、ムーブメントは矢内原美邦との共同作業となった。緒方規矩子さんの衣裳は、リアルと抽象などという境界を軽々と越え、人間の手触り、体温を感じさせるものだった。そして霊界、幽玄な世界にも通じていた。鋏で大胆に衣裳を裂きデザインをまとめる緒方さんの気魄を鮮明に覚えている。俳優も生演奏する音楽は大友良英、演出助手に赤澤ムックが参加するなど、賑やかな現場だった。
以前にも紹介したことがあるが、緒方規矩子さんは、京都市立美術大あるいは京都美術専門学校(現京都市立芸術大)に在学中、演劇部の木下順二作『夕鶴』公演で「つう」を演じ、「よひょう」役の故・田中一光さん(その後デザイナーの大御所となって新国立劇場の媒体も担当)と共演、やはり故人の関西芸術座・岩田直二さんが学外から来て演出していたという。山本安英さんが『夕鶴』を始めた頃だというから1950年前後か。
そして、当時、やはり当時京都美専にいた私の父は、音楽関係との交流もあり、その公演で音響を担当していたのだそうである。そのとき以前からの御縁で、岩田さんが父の入学時の保証人だったという話は、かなり後になって聞いた。関西芸術座が津山公演に来たときに岩田さんと津山一中時代の父は、知り合いになっていたらしいのである。
岩田さんは演出者協会の理事会で何年間かずっと顔を合わせていて、それとなく当時のことを聞かされてはいたのだが。あらためて緒方さんからも話を聞き総合すると、いろいろな出会いが繋がりあっていて、驚くばかりだった。
緒方規矩子さんは三年前亡くなった父よりも、少し歳上だった。7日午前4時51分、心不全のため死去された。96歳。大往生と言えるだろう。
御冥福をお祈りする。