『8分間』岡山公演、無事に終了。
いつもより遥かに多くの人のご協力を得られた。
市民劇場さんや演劇on岡山の方々、幾つかの劇団など演劇関係の皆さん、マスコミの方々、文化関係の皆さん、私やさとうこうじのかつての同級生たち、昔なじみの皆さん、ほんとうにお世話になった。
舞台が客席に対して高い位置にあるため、見やすい席として用意したぶんは全客席の半分強で、その客席は完全に埋まった。通路前の観にくい席にご案内せざるを得なかった皆さま、どうかご容赦ください。
客席の反応も暖かく、観客を選ばずどなたにも喜んでいただけたようで、ほんとうにありがたく、お見せする側からしても、とても気持ちのよい上演であった。
終演後にロビートーク、劇場片付けを終えて関係者で打ち上げ。
本当にお疲れ様でした。
岡山らしい写真を、と思って、翌日に来年公演のための劇場下見を終えた後の昼食に寄った、「天神そば」の「肉多めタマゴ入り」の写真を載せる。私はふだんラーメンを食べるときチャーシュー麺など選ばない派なのだが、ちょっと魔がさしたのだ。谷賢一くんのラーメン屋台芝居の影響ではないぞ。
岡山のラーメンというのはさして特色があると思われず、「岡山ラーメン」という概念もとくに意識しないできたが、「すわき後楽中華そば」は、地元で育った身からすると、まあ「そういうのがある」という認識だけだ。ここ数年でいえば私はずっと「やまと」派なのである。「だて」は雑だし、「山藤」は砂糖が入っているんじゃないかというくらいにスープが甘くて嫌だ。
「やまと」では小さなデミカツ丼とのセットを頼んだりするが、子どもの頃滅多に食べる機会はなかったが岡山東山の「もりや」のカツ丼など懐かしいけれど、大人になってしまうと、カツにキャベツの千切り、デミグラスソースがかかっただけの「デミカツ丼」は、そのソースが甘すぎてさすがにいつも食べたいとまでは思わない。
全国のソースカツ丼文化圏については言いたいことが山のようにあるが、三十年に渡っていろいろ書いてきたので、省略。
さて、天ぷらと寿司を写真に撮るやつは食べる資格なし、と深夜番組の林先生も言っていたが、まあ、ラーメン撮影もお勧めできない。冷めるし、麺がのびる。丼が届いた瞬間から箸をつけるまでのどきどきした時間が興ざめしたものになる……、だろう。
「レストラン紹介ブログ」は巷に蔓延しているが、お店の側もぞんざいに点数などつけられるのは嫌だろう。ネット上にアップするため、客がスマートフォンで料理の写真を撮ることに、ミシュランガイド(Michelin Guide)に名を連ねる店のシェフたちなど、いい加減うんざりしているという。
「何にでも時と場所というものがある」「私たちは客に安らげるひと時を提供している。そのためには携帯電話の電源を切ってもらう必要がある」「(料理の写真は皿の上から)驚きを奪い、私の知的財産権を少しだけ侵している」「スマートフォンで撮影される写真の質がいいことなんてほとんどない。それは私たちの仕事を見せる最高のものではない」というシェフたちの意見が紹介されている記事もあった。
ごもっともだ。
このような料理の写真を撮影してブログやSNSに投稿する行為は「フード・ポルノ」と呼ばれているらしい。
ポルノと食べ物は結びつきにくいが、扇情的であることは確かだろう。
食欲と性欲と排泄欲が人間の三大欲望であるらしいし。
で、日本のネット上では『飯テロ』という言葉があるらしい。あえて解説せず。
「人はオンライン上で美味しそうな食べ物の写真を見ると実際に食べ過ぎてしまう」との南カリフォルニア大学の調査結果もあるという。「豪華な食事の写真を見て小腹がすいてしまい、スナック菓子を食べてしまった経験がある」という投稿も見たが、それはちょっと万民に共通しないだろうし、人との心理としてどうなんだろう。
そして、現代の人間は、食べものの話題くらいしか他人との共有項がないのか、という意見もある。
いやいや、今日に関しては、怒りを通り越して、特定秘密保護法について書く気力が湧かないのだ。
「自民三分の二越す勢い」などという新聞記事にがっかりして、何も言いたくなくなってくる。
重要な情報がまったく流通しなくなり、食べ物の写真ばかりが眼に入る、そんな時代が現実になっている。
「フードポルノ」は、人々の「無関心」を増長するのに役立っているというわけだ。
私もたいへん情けないのだが、今日は許せ。
いつもより遥かに多くの人のご協力を得られた。
市民劇場さんや演劇on岡山の方々、幾つかの劇団など演劇関係の皆さん、マスコミの方々、文化関係の皆さん、私やさとうこうじのかつての同級生たち、昔なじみの皆さん、ほんとうにお世話になった。
舞台が客席に対して高い位置にあるため、見やすい席として用意したぶんは全客席の半分強で、その客席は完全に埋まった。通路前の観にくい席にご案内せざるを得なかった皆さま、どうかご容赦ください。
客席の反応も暖かく、観客を選ばずどなたにも喜んでいただけたようで、ほんとうにありがたく、お見せする側からしても、とても気持ちのよい上演であった。
終演後にロビートーク、劇場片付けを終えて関係者で打ち上げ。
本当にお疲れ様でした。
岡山らしい写真を、と思って、翌日に来年公演のための劇場下見を終えた後の昼食に寄った、「天神そば」の「肉多めタマゴ入り」の写真を載せる。私はふだんラーメンを食べるときチャーシュー麺など選ばない派なのだが、ちょっと魔がさしたのだ。谷賢一くんのラーメン屋台芝居の影響ではないぞ。
岡山のラーメンというのはさして特色があると思われず、「岡山ラーメン」という概念もとくに意識しないできたが、「すわき後楽中華そば」は、地元で育った身からすると、まあ「そういうのがある」という認識だけだ。ここ数年でいえば私はずっと「やまと」派なのである。「だて」は雑だし、「山藤」は砂糖が入っているんじゃないかというくらいにスープが甘くて嫌だ。
「やまと」では小さなデミカツ丼とのセットを頼んだりするが、子どもの頃滅多に食べる機会はなかったが岡山東山の「もりや」のカツ丼など懐かしいけれど、大人になってしまうと、カツにキャベツの千切り、デミグラスソースがかかっただけの「デミカツ丼」は、そのソースが甘すぎてさすがにいつも食べたいとまでは思わない。
全国のソースカツ丼文化圏については言いたいことが山のようにあるが、三十年に渡っていろいろ書いてきたので、省略。
さて、天ぷらと寿司を写真に撮るやつは食べる資格なし、と深夜番組の林先生も言っていたが、まあ、ラーメン撮影もお勧めできない。冷めるし、麺がのびる。丼が届いた瞬間から箸をつけるまでのどきどきした時間が興ざめしたものになる……、だろう。
「レストラン紹介ブログ」は巷に蔓延しているが、お店の側もぞんざいに点数などつけられるのは嫌だろう。ネット上にアップするため、客がスマートフォンで料理の写真を撮ることに、ミシュランガイド(Michelin Guide)に名を連ねる店のシェフたちなど、いい加減うんざりしているという。
「何にでも時と場所というものがある」「私たちは客に安らげるひと時を提供している。そのためには携帯電話の電源を切ってもらう必要がある」「(料理の写真は皿の上から)驚きを奪い、私の知的財産権を少しだけ侵している」「スマートフォンで撮影される写真の質がいいことなんてほとんどない。それは私たちの仕事を見せる最高のものではない」というシェフたちの意見が紹介されている記事もあった。
ごもっともだ。
このような料理の写真を撮影してブログやSNSに投稿する行為は「フード・ポルノ」と呼ばれているらしい。
ポルノと食べ物は結びつきにくいが、扇情的であることは確かだろう。
食欲と性欲と排泄欲が人間の三大欲望であるらしいし。
で、日本のネット上では『飯テロ』という言葉があるらしい。あえて解説せず。
「人はオンライン上で美味しそうな食べ物の写真を見ると実際に食べ過ぎてしまう」との南カリフォルニア大学の調査結果もあるという。「豪華な食事の写真を見て小腹がすいてしまい、スナック菓子を食べてしまった経験がある」という投稿も見たが、それはちょっと万民に共通しないだろうし、人との心理としてどうなんだろう。
そして、現代の人間は、食べものの話題くらいしか他人との共有項がないのか、という意見もある。
いやいや、今日に関しては、怒りを通り越して、特定秘密保護法について書く気力が湧かないのだ。
「自民三分の二越す勢い」などという新聞記事にがっかりして、何も言いたくなくなってくる。
重要な情報がまったく流通しなくなり、食べ物の写真ばかりが眼に入る、そんな時代が現実になっている。
「フードポルノ」は、人々の「無関心」を増長するのに役立っているというわけだ。
私もたいへん情けないのだが、今日は許せ。
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