Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

大島渚さん逝く

2013-01-16 | Weblog
午前中、事務的な所用で訪問者あり。電話連絡と確認事項を片付け、午後から出かけ、劇作家協会戯曲セミナー研修課のゼミ。既に新人賞受賞経験もある新人とは言えない水準の劇作家たちと、彼らの新作作品・あるいはシノプシスについて、密度濃い討議。……気温が低く雪は溶けない。凍った道を自転車で必死に帰る。……大島渚監督の訃報。十代の頃から刺激を受けてきた。「創造社」は、劇団のようなものだったのではないかと思う。映画としてというだけでなく、物を考える方法じたいを教わった気がしている。どれだけ影響を受けたことか。画期的な『絞死刑』。カラー・シネマスコープでの『儀式』の映像の鮮烈さ、セレモニーを重ねて描くアイデアの秀逸さ。誰も思いつかない『帰ってきたヨッパライ』のアイデア。拙作『天皇と接吻』に関心を持たれていたことを間接的に聞いている。ご冥福をお祈りします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪の日

2013-01-15 | Weblog
夜まで雪、やまず。雪のため苦労する方々のことをまったく念頭に置かず例によって単純に雪を喜ぶ沖縄出身者に呆れつつ。いろいろ予定をキャンセルして、雪かき。倒れた樹を起こし、なんとか縛りつけて固定。どうせまた積もることはわかっているのだが。こんな日はご近所さんとの声の掛け合いが嬉しい。……雪の中、夜は海外からのお客様と会う約束のため渋谷へ。海外ゲストにだいたい喜んでいただける焼き鳥屋へ。途中で中島那奈子と飛び入り矢内原美邦、二人のダンス女史どうしを引き合わせたりもする。……インフルエンザによる「隔離」生活から娑婆に戻った土井敏邦監督、かねてからの計画通り1月下旬に高江入りの予定とのこと。アカデミー賞候補ともなっているパレスチナ映画『壊された5つのカメラ』の上映会もやるという。監督にとって初めての高江、パレスチナと高江の共通項も確かめられるはずである。「パレスチナ・フクシマ・オキナワ」を結ぶドキュメンタリーへの期待が高まる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1月に入ると時間が経つのが早い

2013-01-14 | Weblog
ちまちまとした作業いろいろ。午後から出かけて、知りたいことがあったので緒方明監督に映画教育の現場についてなどいろいろ聞く。映画全般の話にもなる。どの分野でもいろいろなことがどどっと変わってきている時代の岐路なのだろう。夜、近藤達史さんからある物を受け取る。ラーメン居酒屋「はるばる亭」に行く。長時間、経堂にいた日。……1年前の今頃は何をしていたかというと、東京演劇アンサンブル『荷』の稽古をしていた。当時の写真が届いていたので、アップ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飯舘村の酪農家・長谷川健一さんの写真展と講演会

2013-01-13 | Weblog
またも蒲団に眠らずそのまま朝から良くない意味でもやもやした時間を過ごしつつ、いろいろ気持ちを振り払って、外出。近所で一件用事を済ませ、新宿に出て地下街で本を読む。午後、スペースゼロで行われている、原発事故で全村避難している飯舘村の酪農家・長谷川健一さん自ら撮影による写真展へ。彼は飯舘村前田地区の住民集会を開いて、現状を説明し、被曝を避けるための対処法を知らせつつ、村の運命に対してぎりぎりの責任を取ってきた。写真展の連動企画である講演「飯舘村 あの日、今、これから」のが、午後1時から行われた。会場は、カタログハウス地下のセミナーホール。先週「沖縄独立」を無責任に謳う記事で一気に株を下げた「カタログハウス」=「通販生活」だが、長谷川さん支援の姿勢は評価しなければ。長谷川さんは一昨年夏、下北沢での講演会のさいお会いして以来。あのとき講演後、我らの通いつけ居酒屋「ふるさと」にお連れしたのだが、米どころ出身者として日本酒しか口にされなかったのが印象的だった。以後一年半、それだけの時間を刻んできた重み。講演会で全世界を巡り、当然のように話術は格段にアップ。あれからの変化として、端的に言えば、長谷川さんは、村を出た。「日本一美しい村」といわれた、飯館村を。全村避難の6,200人の一人として。ご本人が「二十年後、今の子供たちが結婚するときに『差別』があるかも」と告げる、重さ。目から鱗だったのは、朝日新聞による「だめな除染キャンペーン」が、逆に「除染すれば大丈夫」に聞こえてしまう可能性があるということ。現実は厳しい。帰れないあきらめと、なお帰ろうとする高齢者たち、葛藤は重い。「被爆者手帳」のようなものが必要だという、切実さ。村長は、「そういうものがあると、差別を受ける可能性がある」と言ったらしい。それは本末転倒の詭弁だが、現実の痛みが、是正する機会を妨げる。「逃げればよかったのに被爆させてしまいました」という、区長という立場にいた長谷川さんの思いが、何もできないで過ごしてきた我ら聴衆の身に、こたえる。私があらためて驚いたのは、かなり早い時期、行政側の方から「差別を受ける可能性」を指摘して放射能被害を誤魔化してきたという、事実である。村長はそれに乗っかろうとしたのだ。
長谷川さんが原発事故がおきた直後の3月から1年半の間に撮り溜めた、1万枚を超える写真の一部は、全労済ホール/スペースゼロであと二日間、観ることができる。13日 10:00~19:00、14日 10:00~14:00。写真集も発売されている。
写真は長谷川さん(右から二人目)と、広瀬隆さん(飯館の夕景を映したスクリーン前でマイクを持っている)。森住卓さんも応援に来られていた。
http://www.spacezero.co.jp/access
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これを「リアル」と思うのか

2013-01-12 | Weblog
安倍首相の経済対策は「今までとは次元の違うレベル」「史上最大規模」なんだそうだ。前政権にストップされたものを復活するのも含め、必要のない公共事業をやりまくってバラ撒きを増やすだけなのに。カネの力で「雇用創出」といっても仕組みが変わらなきゃ元の木阿弥。「仕分け」って何だったのか、今やほんとに子供扱いどころか、忘却の彼方に置かれたわけだ。……安倍氏は橋下市長に会いにわざわざ大阪まで行った。五年前とは違う、味方がいるんだぞ、ということか。橋下側は余裕で政権に入り込む機会をうかがっている。カジノリゾート誘致のための「規制緩和」についてなど話したとか。二勢力が組んでの「憲法改悪」 「軍備増強」は勘弁だ。そもそも橋下は体罰賛成論者だが、体罰の「ルール化」とか、バカ言ってるんじゃないよ、まったく。現実感のない人達だ。……被災地の「手抜き除染」が発覚した4日に登庁しなかった石原伸晃環境相が沈黙を続け、一週間後の定例記者会見も不都合な質問が出そうになると一方的に打ち切ったという。4日の行動については「覚えていない」そうだ。普通の会社ならアウトだろう。「民主党のせいだ」と言い放つこともできるだろうに、要はこれからも「除染」を続け、その利益誘導をイメージしているように思われても仕方ない。……原発専業会社・日本原子力発電が、原発を動かしていないにもかかわらず、今年度上半期の純利益が過去最高の、209億円。東京、関西など5電力が契約を続け、電気が送られていないのに「基本料」として計762億円ほど払っている。もちろんこの費用は各電力の電気料金に含まれ、利用者が負担。意味不明な「電源開発促進税」も含まれる。日本原電のこれまでの通期の純利益の最高は8年度の約32億円。このまま大きな損失がなければ通期も過去最高になる。原電側の説明では、同社の収支は、原発に含まれる修繕費、廃棄物処理費などが定期検査、関連工事の時期に左右されるため、著しく不規則になるという。この間、各プラントとも大きな工事が行われていないため、たまたま純利益が大きくなったというが、一時的でも巨額の利潤が生じているのに変わりはない。何もしないで余っているなら還元するのが筋だろう。そして日本原電は11日、朝日新聞が11日付け朝刊の記事「日本原電、発電せず最高益 電力5社から760億円」について、謝罪・訂正を求めた。居直っているのか。……ほとんど家に籠もって仕事する日。何往復かの不毛な連絡が数種類、時間を無駄にする。……それにしても、新聞やテレビのニュース、ネットで拾うあれこれが、ほんとに、あり得ないシュールさというか、四半世紀前ならナンセンスギャグとしか思えない、呆れた事象ばかり。(まあ、もちろん昔の「重さ」が良かったとは一概に言えないが)……昨年のキネマ旬報ベストテンが発表される。ほとんど映画を観なかった年なのに、そのうち邦画は4本、洋画は7本観ていることに気づいて驚く。確かに『ニーチェの馬』『別離』は圧倒的だった。『かぞくのくに』はまだ観ていない。そして、土井敏邦監督の傑作『〝私〟を生きる』が、かなり限定された公開であったにもかかわらず、文化映画部門で二位。まだ人は何がしかの「リアル」を求めていると信じたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すべきは「慰安婦」への謝罪である

2013-01-11 | Weblog
予想通り、安倍政権が「政権として沖縄に寄り添う」というのは口先だけだった。政府高官曰く「知事に『苦渋の決断』を促すための大義名分が欠かせない。腰を据え知恵を絞るべきだ」というのは、「懐柔(寄り添う)しながら『大義名分』を見つけたら有無を言わさず押しきれ」と考えていたわけだろう。米軍普天間基地の名護市辺野古への移設に必要な海面埋め立て工事について、埋め立て許可の権限を持つ仲井真沖縄県知事との面談で、過剰な沖縄振興策推進という飴をあらためて見せつけ、「大義名分」のことさえ忘れたのだろう。年末の強引なアセス提出に続いて、急転直下、2月で調整している安倍首相の米国訪問前に、知事への埋め立て申請を検討していることが、報道によって伝えられている。共同通信曰く「首相は移設に向けた具体的な手続きを進めることで、普天間問題に取り組む姿勢を米側に印象づけたい考えだ」。
やりかねないとは思っていたが、ほんとうに安直だ。安倍が訪米に際してオバマに「手土産」を持って行きたいなら、それは強い決意を持って反対してきた沖縄県民の総意を踏みにじる「辺野古基地建設」であってはならない。
アメリカのみならず世界の信頼を取り戻したいなら、その前にすべきことがあるはずだ。
忘れてはならない。「慰安婦」への謝罪である。
日本の国家としての「慰安婦」関与については、証拠も証言もきちんとあり、諸外国では事実と認定されている。ところが政府=安倍はまったく逆様を向いている。米紙「慰安婦」否定意見広告に首相や主要閣僚が賛同し名を連ねたばかりでなく、あらためて説明するのも煩わしい愚かな発言が続いている。このままでは結局いつか破滅し「無条件降伏」することになる。
謝罪のやり方がわからないのだろうか。ならば最低限、2007年の米国下院「慰安婦」謝罪決議、そこに記された以下の4項目を満たすくらいの内容を指針とすることである。「明確かつ曖昧さのない形で正式に認め」「謝罪し」「歴史的責任を受け入れ」「そのような謝罪を、首相としての資格で公式声明として発表」する。できるはずだ。

(1) 1930年代から第二次世界大戦中のアジアと太平洋諸島の植民地支配および戦時占領の期間において、日本軍が若い女性たちに世界に「慰安婦」として知られるようになった性奴隷制を強制したことを、明確かつ曖昧さのない形で正式に認め、謝罪し、歴史的責任を受け入れるべきである。
(2) もし日本の首相がそのような謝罪を、首相としての資格で公式声明として発表するならば、これまでの声明の誠実さと位置づけについて繰り返されてきた疑問を解決する姿勢を示すこととなるであろう。
(3) 日本軍のための「慰安婦」の性奴隷化と人身取引はなかったとする如何なる主張に対しても、明確かつ公的に反駁すべきである。
(4) 「慰安婦」に関わる国際社会の数々の勧告に従うとともに、この恐るべき犯罪について現在および未来の世代に対して教育すべきである。

「慰安婦」と「性奴隷」の言葉の違い、軍そのものによる強制の実行の「命令」の記録や「直接性」の有無などは、諸外国にとっては、何をこだわっているか意味不明であり、言い逃れにしか聞こえない。こうして道筋を提案してくれていたアメリカの「友情」に応えるなら、新たにニューヨーク州議会上下両院に提出されている「人道に対する罪について、日本政府に公式に謝罪を求める決議案」が2月末に採択される前に、思いきるべきだ。最後通牒が出されているのだ。五年前の轍を踏むな。
そしてその謝罪の相手は、もちろんアメリカではない。2007年に同様の謝罪要求決議を出したEUでもない。
謝罪するのは、直接に被害を及ぼした、ほんとうに謝らなければならない相手に対してである。一度は河野談話を否定し撤回することを表明してしまっている以上、全てについて何もかも初めから、謝らなければならない。そして、それは、他者に言われたからするのではない、首相の訪米とも関係なく、国として、人として、一刻も早くすべきことである。頑なになってはいけない。
そして言うまでもないが、それは、本気の、真実の謝罪でなければならない。
あまりにも不毛な時間を費やしてしまってきたことを含め、心から申し訳なく思う。だが、とにかく、少なくともご存命の皆さんは、まだ謝罪を待ってくださっているのだ。

http://www.wam-peace.org/index.php/ianfu-mondai/intl/resol/us20070730
http://www.wam-peace.org/index.php/ianfu-mondai/intl/resol/eu
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福一2号機の異変

2013-01-10 | Weblog
「ふくいちプラントパラメータモニタ」に出ている温度計数値によると、昨年12月下旬から炉内の温度が上昇している福島第一原発2号機で、圧力容器底部の温度数値が、「冷温停止」の定義である95°Cを大きく上回り、年を越えて170°Cを越えた。もともと底部に溜まった水の水位は低く、冷却不能に陥ったのかもしれず、かつて東電社員がメールで告発したように、再臨界の可能性もあるのか。2号機だけが水素爆発がなく建屋が残っているわけだが、そのぶん「中のことはわからない」、そもそも汚染水の漏れ場所も掴めず、探索ロボットも故障して戻って来ないのだ。7日朝には、2号機付近で黒煙が上がる様子が確認されているという。同日、東電は温度計について「2号機では事故後、温度計の故障が相次いでおり、もともと41台あった圧力容器の温度計で、現在も監視に使用できる温度計は12台だけ」とした。ついに8日には圧力容器底部の温度数値が180°Cを超えたところで、急に80°C台に下降した(写真)。圧力容器の底部の温度を計測するのは設置した代替温度計を加えても現在2台しかないということだったので、もはや「故障」前提なのだから数値に責任を持てないということか。同じ圧力容器の上部にある「故障」と発表されていない温度計も上昇し、年末から50°Cを越えはじめ、こちらは9日を過ぎても70°C以上を保ったまま下降する兆しはなさそうだ。底部の温度計が熱のために破壊されたとしても、内部の温度は上昇し続けていると考えられる。この先2号機はどうなるのか。爆発するのか。事故で放出された放射性物質の約40%が2号機から出たものとみられているだけに、さらなる危機が起きつつある可能性は否定できないわけだが、正式に公開されている数値がとんでもないことになっているにもかかわらず、この2号機の「年越し温度上昇」について、マスコミもほとんど報じている気配がないのはどういうことなのだろう。はじめっから誰もこうしたデータを真に受けていないということなのか。
http://fukuichi.mods.jp/?p=10&fname=p02.csv&cnt=100&update(上部の温度計)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリンピック誘致広告の醜悪

2013-01-09 | Weblog
安倍晋三首相の1月中の訪米が困難な情勢になったという。2期目を迎えるオバマ米大統領の多忙さに加え、早期の首脳会談では成果も乏しいと見られるからだそうだ、いや、それは有形無形に「手土産無しで来るな」とアメリカに言われているからだろう。首相は就任前の昨年12月、大統領と電話協議し、「1月に首脳会談を予定している」はずだったが、岸田文雄外相は「大統領就任式の準備などで(訪米の)外交日程が組めない」という。TPP交渉や鳩山がどっと躓いた普天間問題などで進展が見込めない以上、「具体的な成果を望んでいる」という大統領に袖にされるのは当然なのだろう。安倍は原発維持派をずらり揃えた態勢をとったが、それだけじゃアメリカに褒めてはもらえないのだ。放射能なんて怖くないと嘘ぶくのは、国際的には「犯罪」と思われてさえいる。何やら勇ましそうなことを顕示しようと焦って、全世界を道連れにするのはやめてほしい。どのみち短命政権とも言われているわけだが、誰が首相であれ、平和憲法を大切にするだけで全世界の尊敬を得られるはずだとなぜ信じないのか。……どうでもいいけどオリンピック東京誘致のゴールド縁+字の電車内吊り広告。あれを見たくないから電車に乗りたくないと思うほどの醜悪さだ。テリー伊藤の気持ちの悪さ、なんで外国人はみんな胸毛生やしてるってことになるんだ? これで浜ちゃんも嫌いになった。銀座でサッカーするな。あほらしい。猪瀬が自分売りの一枚を用意しているのも気色悪い。……映画『二つの祖国で 日系陸軍情報部』について、前回に記し忘れたことがある。それは沖縄上陸作戦の前に米軍幹部が沖縄の多くの亀甲墓の写真を見て、「この島は全島まるごと要塞だ」と絶望的に呻いたという話だ。確かに斜面や見晴らしのいいところに亀甲墓はある。つまり彼は亀甲墓を戦闘陣地と勘違いしたわけだが、そうした「勘違い」を残酷な皮肉と感じながら、アメリカ兵たちに亀甲墓にきちんと墓として出会ってもらいたかったと思った。過去の世界の歴史に於ける異文化どうしの出会いが、「戦争」「経済」「宗教」の暴力的な侵攻によって果たされることがほとんどだったのだと、あらためて思った。ネット社会やSNSにも問題はあるが、そこに「出会い」の可能性を見出さなければと思うし、その小さな社会の中にさえ暴力的な侵攻が行われないようにしないといけないとも思う。もちろん過剰すぎる反応や防衛も問題ではあるのだが。……オリンピックは、国と国どうしが、「対等」であるという仮説を用意する。それは現実であり幻想だ。右派はオリンピックを日本の没落を隠す仕組みと考えてもいるだろう。それは無駄なあがきだ。オリンピックがたたかいではなく出会いの場なら、誘致に血道を上げ無駄な金をばらまくのではなく、それぞれ特色と意義のある他の候補地に譲るのが当然である。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フィクションより現実の不条理

2013-01-08 | Weblog
すずきじゅんいち監督『二つの祖国で 日系陸軍情報部』、試写を見逃していたので、やっと映画館で見る。閉館が決まったという銀座シネパトス。ドキュメンタリーとしては異例なテンポの良さで、七十年を越える歴史を現在に繋いでいく。いっけん作り手の意図が見えにくい仕組みになっているが、それだけ登場人物たちの魅力だけで持ってゆけているということであり、現在の日本に立ち返って考えさせられる。日本から最も多く海外に移住したのは沖縄県民だが、その沖縄が地上戦の場所となったという変遷を、あらためて重く受け止める。喜多郎の音楽がツーマッチなのは残念。三部作の他の二本も観なければ。……その後、やっと『希望の国』を観る。作り手の苦労が偲ばれるが、なぜこれほどタイムリーな作品が今ひとつ評判になっていないかという事情について、考えさせられた。せっかく近未来・架空の場所を舞台にしたのに、フィクションとしての構築が乏しく既知の情報を並べたように見えてしまうからか。困難さは察するが。……日本政府が東アジアの「核のごみ」の六ケ所村での再処理受託方針を打ち出し、核燃料再処理工場の延命を構想しているという。現実は不条理の領域に入ってきている。……米海兵隊が沖縄やんばるの北部訓練場に設置している、世界で唯一の「ジャングル戦闘訓練センター」を、新たに米本土近くに建設することが検討されているという。全世界の陸・海・空部隊が集まり、効果的な統合運用するのを演習面で支える施設。どうしてこれが「沖縄から米本土に移す」という話にならないのか。二つに増やすことによって、沖縄では国際合同演習や在沖海兵隊の訓練に特化しようということか。こんなにボロボロなのに防衛費だけは上げるという日本とは違って、米本土設置は経費削減に繋がるからということらしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦争のことを考えると

2013-01-07 | Weblog
仕事とはいえ一日じゅう七十年前の戦争のことを辿っていると、どうにも落ち着かなくなる。子どもの頃に感じた戦争とも違う。何しろそこに出てくる人達はみんな私よりもはるかに年齢としては若いからだ。……晩飯を食いつつ「八重の桜」をぼんやり眺めていたが、もう子役の女の子がかわいらしければ第一セットは取ったも同然というNHK大河・朝ドラの黄金パターンを踏んでいて、じっさいヒロインの子ども時代の女の子が、かわいい。脚本は短いレンジでちゃんと小さい結論を出していくという、わかりやすく行く路線で、それがどういうことを言っているかは見ればわかるというくらいわかりやすいので、脚本を学ぶ人達は勉強になるはずだ。映像に凝っているといっけん見せないのも「平清盛」の評判を踏まえての「わざと」であろうし、才能のある人達が集まって作っているのであろう。ただ今後、なんだかんだいって若い者が戦争に向かうことを肯定する戦意高揚ドラマに受け取られてしまわないようにと願う。……その後テレビでは『聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-』をやっていたが、この映画の特撮部分とドラマ部分が噛み合わないという残念さはさておき、辛うじて描こうとしているはずの、この国が、一度破滅しないとリセットできないという、ばかばかしい子ども国家であるということ、それがまた繰り返されようとしているということを、どこまで見る人が感じてくれているだろうか。「日本的リーダーシップ」については、半藤一利氏の言を私がまるごと諒解してるわけではないが。……私は「歴史は繰り返さない」と思う。「共産党宣言」の前文を否定するという意味ではない。文意が違うからだ。「歴史は繰り返さない」と私たち生徒にしつこく言ったのは、中学の時の社会科の先生である。これは忘れていなくて、その後今まで、ずっとずっと思い出している。もちろん私が勝手な解釈に意訳しているのだろうが。

あと、今日の出来事としては、「通販生活」の「沖縄は日本から独立したほうが幸せではないのか」という記事について。
この記事は、「だとしたら、沖縄は日本国から独立して昔の琉球に戻り、米軍基地を日本国にそっくり返してしまうほうが、よほど幸せな暮らしをつくれるのではないですか。」という、ど真ん中の一文が、まったく意味をなしていない。「だとしたら」で前後関係は何も繋がりようがない。なぜそうすれば必ず「米軍基地を日本国にそっくり返してしまう」ことができるのかの根拠がない。そもそも「独立」がなぜ「昔の琉球に戻り」と決めつけられるのか。沖縄について考えると称して、沖縄に向けて話しかけるような言い方で、ここまで幼稚な文は、そうそうお目にかかったことはない。宮城康博氏のいうように「本意がどこにあれ、ここにあるのは、オール沖縄での「県外移設」という要求への本土からの応答でしかない」、つまりこの記事は、「県外移設」について、「それはやっぱり沖縄の問題でしょ」と言い放っているに過ぎないのだ。
http://miyagi.no-blog.jp/nago/2013/01/post_e79e.html

もう一つ、情報としては知っていても、今日になって初めてきちんと見た、福島の自民党県連の広報を見て思ったこと。同じ党がその県連と齟齬があるときに、県連の方を信じて結果としてその政党を支持してしまった県民たちという現状について、考えさせられる。自民党県連は県民と「約束」してしまっているんだぞ、と思う。沖縄自民党のことはいうまでもない。しかしそれは多かれ少なかれ、じつは全国どこの県でも同様ではないのか? この「島国根性」の蔓延から、私たちはいかに逃れられるのか? どう越えていくのか? と思う。
私は沖縄の知己には何度も、沖縄はヤマトの政党と組まないで沖縄県民主体の党を本気で持ち、支持するべきではないか、と言い続けてきている。じっさいのところ、社大党のことはどう思っているのだということでもある。で、他に方法があるとすれば、どうするのだ。独立云々どころか観念的な話でさえない。できることであり、すべきことのような気がする。それがおこがましい言い方になってしまうとすれば、それは、私たちがヤマトでついに、「自分たち主体の党」を見失ってしまっているからだ。
http://jimin-fukushima.jp/_userdata/46thseisaku.pdf
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子どもの頃の友達が写真家になっていた

2013-01-06 | Weblog
私は自分で思っているよりもはるかに過去を向かないで生きてきたのだろう。小学・中学と親しかった加納満君とは、彼が一度芝居を観に来てくれたくらいで、ほとんど疎遠に過ごしていた。HPで写真家として活躍している彼の写真展の情報を知り、とくに小学生時代三人でつるんでいた中山茂君ともこの正月二日の同窓会で三十六年ぶりに会い、最近の加納君の話など聞き、で、今日、その最新写真展の初日に行ったのである。本人とも三十六年ぶりにいっぱい話した。写真も面白かった。彼はイタリアが好きなのだ。陰影に対するこだわり。マジックアワーのこと。あっという間に時間が過ぎた。お互い体格も髪もずいぶん変わっているわけだが、顔は昔の面影を完全に残している。不思議なんだが普通に話している。別なところでそれぞれなんとかやってきた。それだけだ。生きていればこんなこともあるのだな。写真が「作品」であることがとてもわかりやすく現象している展示だった。猫と二人組の後ろ姿の写真が殊に印象的。
写真展情報は以下の通り。加納満写真展「RICALCO 風景を翻訳する」、会場:ギャラリー冬青 住所:東京都中野区中央5-18-20 会期:2013年1月5日~2013年1月26日 時間:11時~19時 休館:日・月・祝。写真もアップしてしまうが、HPに出回っている写真だから許してくれるかな。
http://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/20121214_578676.html

マクドナルド・ハンバーガーの「ENJOY!60秒サービス」が始まっているらしい。注文を受けてから商品提供を完了するまでの時間が60秒を超えた場合、ハンバーガーの無料券を進呈するというものだ。うーむ、どう考えても店の方々が「店に損させないようにスピードアップしてあくせくする」というふうには、思われない。ある程度お客に「サービス」するつもりで始めたことであろう。急いで手を抜かれては困る、「急がなくていいからちゃんと作ってくれ!」と思う客もいるだろう。まあ、あまり心配しても仕方がない。基本的には「60秒を越える」ために複数だったり複雑な組み合わせだったりを注文させることで、売上げ上昇を考えているのではないかと思うのだが、そうではないのだろうか。そういう一種の「遊び」を提案しているように感じられるわけだ。その是非については私は、なんともコメントしようがないが、世界の中で完全に「ガラパゴス化」(この言葉は好きじゃないが今日はあえて使う)しつつある中で、日本はなんとも「平和」だという気がした出来事の一つだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

憲法と映画館は風前の灯火?

2013-01-05 | Weblog
安倍・自民総裁は某ネット番組で、日本国憲法前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」について、「つまり、自分たちの安全を世界に任せますよと言っている。そして、『専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う』と書いてある。自分たちが専制や隷従、圧迫と偏狭をなくそうと考えているわけではない。いじましいんですね。みっともない憲法ですよ、はっきり言って。それは、日本人が作ったんじゃないですからね。そんな憲法を持っている以上、外務省も、自分たちが発言するのを憲法上義務づけられていないんだから、国際社会に任せるんだから、精神がそうなってしまっているんですね。そこから変えていくっていうことが、私は大切だと思う」と述べたという。これはもう、子どもが駄々をこねているだけだ。憲法前文が、「平和を愛する公正と信義」について、全世界のリーダーたらんとしている宣言であると、なぜ読めないのか。そうすることが「われらの安全と生存を保持」することのもっとも有効な方法であるということを、なぜ信じられないのか。……日本国憲法を起草したベアテさんが亡くなって、いろいろ思う。青年劇場はレパートリーである、彼女を主人公にした『真珠の首飾り』を、リーディング公演で緊急上演すべきだ。むりに芝居にしようとしなくていい。リーディングでいいから、今月中にもすぐにやってほしい。……憲法を守るために何ができるか、いろいろ考えている。……最近観た映画。『レ・ミゼラブル』はクローズアップで勝負しているのね。確かに一人で延々と歌っているのを遠くから見たら、辛いかもしれない。舞台と映画の「人間のサイズ」の違いについて、いろいろ考える。後半は何かダイジェスト版に見えてきてしまう。「人民側からの改革は割に合わない」というメッセージに取られかねなくないか。『桐島、部活やめるんだって』、自主映画の歴史と現在の感受性が交錯して興味深いのだけれど、屋上から飛び降りたのがなんだかわからない。『テルマエ・ロマエ』、アイデア勝負、御都合主義を自ら笑い飛ばしている。上記二本立てを超満員のギンレイホールで観て、やはり昔ながらの映画館は良いなと思った。……やはりシネコンは「映画館」じゃない。映画館がなくならないでほしいと思うのは、どこかそこに戦後民主主義のにおいがするからか。シネコンは「消費」の工場である。……沖縄県民大会実行委が、1月27・28日総理直訴東京行動を企画(写真)。オスプレイ配備撤回、普天間基地閉鎖・返還を求める東京集会は、1月27日(日)午後3時~4時、日比谷野外大音楽堂、集会後、銀座パレード。翌日は直訴行動。「現行憲法を改悪するな」も言わなきゃね。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グリーティングカード

2013-01-04 | Weblog
岡山駅ピル上のホテル(オープニングセールで格安中)から朝6時発の新幹線始発に乗って帰京、いろいろ考えてそのまま帰宅せず移動、某所で情報収集したり、某女性たちの会議にオブザーバーで参加したり、今村修さん宅の新年会でクジラをご馳走になり賢犬マクベに遊んでもらったり、結局帰宅は夜であった。写真は劇団の2013グリーティングカード年賀状。ともあれ今年も始まった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三十五年ぶりの同級生

2013-01-03 | Weblog
三村泰彦君の働き掛けがあって、久しぶりに接点が生まれ、初めて中学の同窓会に出る。五年に一度開かれていたという。おそろしいことに、三十五年が経っている。しかもこの人数である。驚くというか茫然とするというか。浦島太郎なのかタイムマシンなのか。唸るしかない。まあ、こちらがそうなのだからみんなもそうなのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元旦はあっさり終わる

2013-01-02 | Weblog
初詣もせず初日の出を見たりもしないが、朝早くから散歩。そのまま元旦だというのに午前中から某首長さんと会い、昼食を挟んでいろいろ実りの多い話ができた。というか、具体的に進みそうなことが見えてきた。いい出会いで始まる年は幸先が良いと信じたい。……夜になって、12月30日の11時に測定した福島第1原発2号機の圧力容器下部の温度が152.1度を測定したという話を聞く。東京電力が2012年の12月3日に発表した資料によると急上昇している温度計は故障ではないことが記載されている。そう聞いてネットで確かめると、「ふくいちプラントパラメータモニタ」では、年末には160度近くに達している。原因は何なのか。なんで話題にならないのか。……そんなに重たい作業はしないので珍しくテレビを付けたままパソコンに向かう。やっているのはEテレ「ニッポンのジレンマ」。「格差」と労働について。前夜の「朝まで生テレビ」は途中で見るのをやめたが、聴衆を含めて若い人が大勢出ているほうが、まだましな気がする。1970年以降生まれに絞られている座談会らしい。ここにその世代の演劇人が出ていたらどうかとは思わなかったのは、やはり登壇者が偏っているためか。最後まで見て感想はいろいろあるが、午前中に話したこととも繋がる部分がある。そして意外なことに現在抱えている仕事とも関連しているのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする