こんにゃく座オペラ『イワンのばか』、稽古始まっています。
宿河原に通っています。
ロシアの風景が見えてくるように、がんばりたいと思っています。
http://www.konnyakuza.com/syusai.html
こんにゃく座オペラ『イワンのばか』、稽古始まっています。
宿河原に通っています。
ロシアの風景が見えてくるように、がんばりたいと思っています。
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朝日新聞によれば、カジノを含む統合型リゾート(IR)事業をめぐり衆院議員の秋元司容疑者(48)が収賄容疑で逮捕された汚職事件に関連し、日本維新の会の下地幹郎衆院議員(58)=比例九州ブロック=が6日、那覇市内で記者会見し、贈賄容疑で逮捕された中国企業「500ドットコム」の顧問から現金100万円を受け取っていたことを認めた。
選挙運動費用や政治資金の収支報告書には記載していなかった。政治資金規正法違反などにも問われるだろう。
議員辞職すべきだ。
中国企業側は秋元議員以外に5人の国会議員にも100万円前後の現金を配ったと供述しているが、下地議員以外に中国企業側からの現金受領を認めた者はいない。
なので、他の議員と比べて「下地は潔い」とする言説も出てきたが、それは違う。それこそ思うつぼだろう。
下地は次の選挙のことをにらんでいる。みそぎはすませた、にしたいのだろう。それだけだ。
そもそもこのIR賄賂問題が発覚して時間は経っている。わかっていたのなら、もっと早く自分から名乗り出るべきだ。
こんにゃく座オペラ『イワンのばか』全体顔合わせ、稽古開始。
音楽稽古は4日からやっている。
とにかく、始まった。
稽古だけでなく、まだまだ後半の歌詞を、直します。
こんにゃく座という充実したカンパニーの魅力。
作曲・萩京子の新生面が出ていると皆が言う、プロローグ。
確かに、身震いするような、出だしである。
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日本政府は、公文書で日本人の氏名をローマ字表記する場合、「姓ー名」の順とする方針のようだ。昨年、文部科学大臣から提案があり、閣僚懇談会で了承されたという。
かつて、2000年、第22期国語審議会「国際社会に対応する日本語の在り方」答申で、「姓名のローマ字表記についての考え方 」が示された。
「人類の持つ言語や文化の多様性を人類全体が意識し、生かしていくべきであるという立場から、そのような際に、一定の書式に従って書かれる名簿や書類などは別として、一般的には各々の人名固有の形式が生きる形で紹介・ 記述されることが望ましいと考える」「したがって、日本人の姓名については、ローマ字表記においても「姓ー名」の順 (例えばYamada Haruo)とすることが望ましい。なお、従来の慣習に基づく誤解を防ぐために、姓をすべて大文字とする(YAMADA Haruo)、姓と名の間にコンマを打つ(Yamada,Haruo)などの方法で、「姓ー名」の構造を示すことも考えられ よう」「今後、官公庁や報道機関等において、日本人の姓名をローマ字で表記する場合、並びに学校教育における英語等の指導においても、以上の趣旨が生かされることを希望する」
当時の文化庁からは「外来語・外国語の取扱い及び姓名のローマ字表記について(依頼)」という通知が発出されたという。
それから二十年、ローマ字表記においても「姓ー名」表記が進んでいるという様子は、あまり見受けられない。
私も海外に行ったり、海外の人達とアルファベットでやり取りするときは、「名ー姓」でしか表記したことがない。そもそもパスポートが「名ー姓」である。正直言うとアルファベットでの「姓ー名」には、不便を感じる。
ただし、韓国・中国・ベトナムなどアジアの多くはアルファベットでも「姓ー名」順の国が多いし、ハンガリーなども「姓ー名」である。
姓をすべて大文字とするのは子どもっぽく感じられるし、例えば戯曲の翻訳などで「姓ー名」か「名ー姓」かで混乱するのも得策ではない。その国で行っているオリジナルを尊重するなら会話の中では「姓ー名」が適切ということになる。
あまり海外との接触がなかった人のほうがアルファベットの「姓ー名」表記に抵抗がないのだろうとも思う。
そうしたことを考えていくことは必要だと思うが、私自身は、アルファベットでやり取りするときの「名ー姓」という「常識」は、なかなか変えられないように思う。
「名ー姓」は、明治時代の日本の「脱亜入欧」の考え方に基づいているのではないかと言われれば、その通りだとも思う。だが、たんにアルファベット世界での表記は「名ー姓」が一般的なのでそれに合わせただけ、という考え方が、私にはしっくりくるのである。
何もできなかった年末年始、と記してはみたものの、最低限の顔出し、親族のことは、させていただいた。
劇団のことは「憲法くん」公演後は来年の国際合作のための会合は何度かあったが、他は忘年会だけで、その忘年会も申し訳ないことに準備や片付けは免除してもらい、私はホットプレートでチーズを焼くだけのことしかしなかった。チーズというのは岡山公演のさいにいつものように吉田牧場さんからいただいたカチョカバロで、ほんとうにおいしく、いただいた。忘年会はいろいろな人が顔を見せて下さり、ありがたかった。写真は、松尾貴史さん、渡辺照子さん。
演出者協会の忘年会も出ず。一部で私が『スター・ウォーズ』最新作を観たらしいというデマが飛んでいたらしいが(☺️)そんな年末ではなかった。
そもそも年末年始とは、いつからいつなのだ。
何もできなかった年末年始、というのはどういう事情かというと、私が年末より前にすませておくべき仕事が終わっていなかったからで、年が明けて、今現在も修正作業は継続している。
歳を取るとは恐ろしいことで、時間の経過が、あっという間に感じられる。
とはいえ、今日はもう現場の皆さんと顔を合わせている。
四の五の言っている暇はない。
西と東でカップ麺「どん兵衛」に違いがあるという噂は聞いていた。
西日本で入手した黄色い「どん兵衛」の「鬼かき揚げ」。かき揚げが厚く玉葱が入っていると書いてある。東京でも売っているというが、東日本のほうはパッケージは黄色くないらしい。
西の物のほうがスープが澄んでいて薄味なのだろう。
まだ食べていません。
と、たんに「関西」繋がりで、再々告知。
1月18日(土)、関西版「月いちリーディング」に、ゲスト出演します。
関西方面の皆様、ぜひぜひご参加ください。
15時開演(受付開始、開場は14時45分より)
場所 common cafe
(地下鉄谷町線中崎町駅4番出口徒歩1分)
入場無料
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「月いちリーディング」
リーディングそのものに出演するわけではなくて、その戯曲についていろいろ話をする役割です。
東京で既に十年行われている劇作家協会の「月いちリーディング」は、オフ・プロードウェイの「ニューヨーク・シアター・ワークショップ」が毎週月曜日にやっているリーディングのやり方を日本にも導入して、「座・高円寺」開場を期して、始めたものです。リーディングへの質疑の方法は当時「ニューヨーク・シアター・ワークショップ」の副芸術監督だったリンダからもらった「リズ・ラーマン・システム」マニュアルを参考にしました。
「ニューヨーク・シアター・ワークショップ」がリーディングをどのようにやっているかだけでも話は長くなるのですが、それは、いずれまた。
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第15回関西版月いちリーディングのお知らせ
公募された戯曲から一作品を選び、俳優によるドラマリーディングのあと、その場に集った全員で戯曲についてディスカッション。
月いちリーディングは戯曲のブラッシュアップの場であるとともに、劇作家・演出家・俳優・制作者、そして観客の出会いの場でもあります。
2020年1月18日(土)
15時開演(受付開始、開場は14時45分より)
場所 common cafe
(地下鉄谷町線中崎町駅4番出口徒歩1分)
入場無料
ご予約受付中! ご予約はカルテットオンラインもしくはメールでお願いします。
カルテットオンライン→https://www.quartet-online.net/ticket/m15
*このページの予約するボタンから予約ページにいけます)
メール→jpwa.kansai@gmail.com
(件名を予約とし、お名前、人数、ご連絡先をお願い致します)
採用戯曲
河合穂高『春の遺伝子』
ゲスト
坂手洋二(燐光群)
金哲義(劇団May)
出演者
河本久和(空の驛舎)
九谷保元
神藤恭平(DanieLonely)
シンドウミチル
橋本健司(桃園会)
繁澤邦明(うんなま)
松原一純(A級MissingLink)
山本つづみ
https://www.facebook.com/jpwakansai/?eid=ARDQQgCaS8toH-JFCyzKA41ek2Ota6vrqNGh_dT6Te9z2fE9g75440gT9ZjUG9GfzQrmzZwQSniU9GuM
↓
よく、元憲法学者で弁護士の馬奈木厳太郎さんに冷やかされるのですが、私が憲法前文で一番好きなのは、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」の、「「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という部分です。今の総理大臣が「みっともない憲法」と言った箇所です。あの人には何もわかっていないのです。
そして、パンフレットの私のご挨拶文の全文は以下で読めます。
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https://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/050d76928434a24c6aeb2c71480523da
「あたらしい憲法のはなし」は、以下で読めます。(青空文庫)
↓
https://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html
写真は、昨年末、『憲法くん』原作者・松元ヒロさん、金平茂紀さんと。(撮影・松元ヒロ)
アメリカによるイラン軍幹部「謀殺」の報道。
なぜアメリカだけが「世界の警察」として振る舞えると思うのか。
どのような事象もどの立場に着くかによって見え方が違うという事実を認めるなら、決してやってはいけないことだ。
外交を放棄して戦争を選択したに等しい。
日本がアメリカの友人なら、「そんなことはやめなよ」と諭すべきである。
平和憲法を抱く国として。
自衛隊の中東派兵など、論外。
即刻中止しかない。
写真は三年前ちょっと前の沖縄・高江。米海兵隊北部演習場ヘリパッド建設に抗して。
ほんとうに今年、オリンピックを開催するのだろうか。
この国で。この町で。
「国力」が落ちまくっている中で、なぜ開催を求めたのだろうか。
この国の「依存症」は並大抵ではない。
オリンピックを開催することで何かいいことがある、何かが変わる、と思っているのだろうか。
何か発想が逆なのである。
オリンピックは何もしてくれない。人間が何かをするのである。
オリンピック強行に至る全ては、この国の、アメリカ依存症、「経済発展」依存症、「過去の歴史」依存症、みたいな依存症候群の発展形でしかないのだが、表面上はそう見せないようにしている。
無理やりな出来事というものは、過去にもあった。それでも過去にはいくばくかのリスクがあっても人間のエネルギーのようなものが、それを乗り越えたり、埋めたりしてきたのだろうと思う。
今は真逆である。
みんなわかっていないわけではないはずなのに。マラソンの札幌も、誰がどう金を出すのかという推移を見ていると、巨額を動かすにもかかわらず、この「ザル」のような緩さに、唖然とせざるを得ない。
開催自体も困難が多いが、既に「終わったあとがたいへんだ」という言説が浸透している。こんなのは、ヘンだろう。
底冷えのする寒さである。
オリンピックという「制度」じたいは批評されていかなければならないが、人間のやることじたいは尊重されなければならないという気持ちは、ある。
多くのことに、引き裂かれる。
写真は昨日の新幹線からの富士山。
一時間くらいは通路に立ったが、後は座れてよかった。
映画館というものに、久しく行っていない。数ヶ月になるだろう。『パラサイト 半地下の家族』をもうやっているというので観たい気がしているが、日比谷だけらしいのもあるし、難しいだろう。『スター・ウォーズ』最新作はIMAXでないと観たくない気がするのだが、どうも行けない気がしている。
トルストイ原作『イワンのばか』のオペラ版を作ることになったので、一度は訪ねてみたいと思っていたロシアに、半年前に初めて行った。
当時にも記したが、関西でロシアの児童文学を研究している方々の会によるロシアツアーに、作曲する「こんにゃく座」の萩京子さん、神戸のオペラ歌手・濱崎加代子さんと一緒に、参加させていただいた。
モスクワから南へ190キロ、トルストイの生地であり、トルストイが一生のほとんどを過ごした、彼の作品の背景にある土地、ヤーナ・ポリャーナを見学することができたのが、何より収穫だった。
実質的に、このオペラは、このヤーナ・ポリャーナをメインの舞台とするからである。
ラストシーンは、全体をまとめるより先にほぼ書いていて、じっさい、ようやく最初の場面から全体が繋がってみると、こうでなければならなかったのだという実感は、ある。
きちんと譜面になってゆくためにも、さらに改稿・短縮は、ある。遅筆で人々に迷惑を掛ける日々であったが、もう新たに書き加えることはない。稽古が始まるまで、作曲家の緻密な作業を、可能な限りフォローしてゆきたい。
写真は、ヤーナ・ポリャーナ、トルストイ邸の前での、萩さんと私。
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「2020」ではなく「2200」ではないか、という気持ちが、抑えられない。
いや、「2020年」ではなく「2200年」のことを考えよう、未来志向、一気に180年先に行こうとしている、という話ではなくて、すみません、消費税のことである。
昨秋、消費税が10パーセントになって、その衝撃は大きい。
百円払って、十円。千円払って、百円、税金として取られるのだ。
消費税8パーセントのときも、八円、八十円だから、2パーセント上がって、二円、二十円払う額が増えただけ、という感じには、決して、ならない。
千円札を握って、このうち百円玉分は、あなたのものではないのである。
あらためて、一割の額を税金として持って行かれることに、理不尽さを感じる。
なので、「2020」という数字に、引っかかる。
「2020」は、消費税に敏感になった身には、「2000円」に消費税が「20円」というふうに、消費者に錯覚を与えはしまいか。……そうだね、二千円払ったら二十円取られるのだね、と。
違います。百円玉を二枚取られるのです。
「2000円」に消費税がかかった額は、間違いなく、「2020円」ではなく「2200円」である。
なのに、「2020」が二千円に消費税額を載っけたように、見えてきませんか。
錯覚してはいけない。ということです。
新年早々私が言いたいのは、それだけである。
「2020」ではなく「2200」、である。
私たちに錯覚を与えようとする陰謀と闘わねばならないのである。
元旦にこんなやくたいのないことを書き込むのは、仕事正月ゆえの息抜きである。お許しください。
新年を祝うということではありません
ただのご挨拶です
今年もよろしくお願いします
台詞を直している間に年を越してしまいました
そういう感じで今年も過ぎてゆくのかもしれませんが
いろいろと成長し 変化していかなければならないと思っています
思うことはいろいろですが
人間は一人では生られないということだけは確かなようです
どうか 昨年までに懲りず これからを生きていくのに おつきあいいただければと思います
写真は ロシア ヤースナヤ・パリャーナ トルストイが生まれ育った場所