『茲山魚譜-チャサンオボ-』を観る。
ちょっと必要があるかも、と思って観たのだが、『金子文子と朴烈』のイ・ジュニク監督による、ある意味、じつに映画らしい映画である。
一瞬「赤ひげ」みたいな風貌のソル・ギョング、ピョン・ヨハンの手堅い演技はともかく、音楽は私には説明過多に思われた。
海は、いい。白黒画面の、厚み。それにしても、韓国も海の国なのだ、と、あらためて思う。
自然と人間、という意味では、ぜんぜん違う方向の映画だけど、キム・ギドク監督の『春夏秋冬そして春』をなぜか想起した。
そして、もっともっと物語から離れていいのではないか、と、思ってしまうのだ。
野村羊子さんの訃報が届く。
ジャカルタで音楽家として活動されていたが、二十世紀末の頃から、インドネシアと関わる演劇を、親身に支えてくださった。
『南洋くじら部隊』では、本当にお世話になりました。
捕鯨村ラマレラへも、一緒に行きました。
帰国されたとき、年末年始の時期が多かった気がしますが、何度かお会いしました。
ここのところ、新たにインドネシアとの企画を進めかけているところでしたので、もうすぐ何らかの形でご一緒できるだろうと思っていたのですが、残念です。
『南洋くじら部隊』のための体験ワークショップで両国の演劇の仲間たちと一緒にラマレラに行った二十年あまり前の日々は、忘れがたいです。
あの週は、奇跡のようにクジラが捕れました。
若々しく、輝いていた、顔、顔。
羊子さんもその輪の中にいました。
さようなら。
あの海を、決して忘れません。
くまとの旅は、続いています。
今日は、名古屋に入りました。
やはり、道が広いですね。
さすがは、名古屋です。
燐光群『シアトルのフクシマ・サケ(仮)』
12月8日(水)19:00 開演
12月9日(木)14:00 開演
愛知県芸術劇場 小ホール
http://rinkogun.com/Seattle_Nagoya.html
劇中登場する「シアトルのおじさん」は、鴨川てんしが演じます。
鴨川さんは、私が演劇を始めたとき、既に大先輩でした。
私が二十代の頃、いろいろな劇場でばったり会うことが重なり、お話しするようになりました。
燐光群初出演が『くじらの墓標』で、1993年の1月でした。
そして、「シアトルのおじさん」のモデルになっている人は、実在します。
本日は岡山公演ですが、そのモデルになっている方は、そういえば昔、たまたま帰国していて、それで岡山での私の結婚式にも来てくれたのだということを、思い起こしました。
なので、たまたま帰国時に、甥っ子が福島に行くというので「シアトルのおじさん」が同行する、という設定は、まあじつに自然なのです。
撮影・姫田蘭。
燐光群『シアトルのフクシマ・サケ(仮)』
12月5日(日)午後2:00開演
岡山市立市民文化ホール
当日券ございます。
http://rinkogun.com/Seattle_Okayama.html
今回のツアーは、「くま」との旅、である。
岡山にも連れて来ましたが、待機していただく場所がとれないので、ときどきこうして舞台上にいます。
考えてみると、あられもない姿で、申し訳ない。
燐光群『シアトルのフクシマ・サケ(仮)』
12月5日(日)午後2:00開演
岡山市立市民文化ホール
当日券ございます。
http://rinkogun.com/Seattle_Okayama.html
初めて原一男監督にお会いしたのは、『ゆきゆきて、神軍』製作中だったから、もう三十五年以上前になる。当時から、並行して、別な企画を進行させ、さまざまな対象の取材をしておられた。
「水俣病」に取り組んでいる、と聞いたのは、二十年前にはなると思う。それがこうして、『水俣曼荼羅』として身を結んだ。
『ゆきゆきて、神軍』以来のスタンスで、官僚や政治家に対する怒りが、しっかりと描かれる。
しかし、憤りをあからさまにする人は多いが、全員がただやみくもに興奮しているわけではない。
官僚や政治家に向き合いつつ、声を上げている仲間の一人を見守っている水俣の人たちの、顔、顔、顔。偏見や差別と闘ってきた仲間たちがいる、という、決して整然としているわけではない、しかし豊かな、人間たちの層の厚み。
とくに終盤は、その顔の一人一人と、原監督ら作り手、観客の間に、共有しているものが多くなっているように感じられるから、通常の劇映画ではあり得ない形で、「立ち会う者としてのシンパシー」と「現場にいなければ感じられない疎外感」を、画面を通して共有することができるのだ。
樺島郁夫熊本県知事は自らを「法定受託事務執行者」であるにすぎない、と何度も繰り返す。国からの命令を遂行しているだけだ、と開き直る。そこにあるのは「機能」であって、人間ではないのか。映画の内容とは関係ないが、かつて川辺川ダム白紙撤回を決めた樺島知事は現在、昨年夏の球磨川の豪雨による水害を受けたショックのためか、ちゃんとした調査もしないで立場を正反対に変え、「川辺川ダム建設路線」を打ち出している。人吉や川の流域の人たちの自主的な調査では、球磨川ではなく山から来た水が町中を通る小さな川を溢れさせた事による死亡事故が多く、ダムができても災害は防げないことが、はっきりしているのに、だ。また同じことが、重なるように、繰り返されるのか。
さて、今現在、水俣病とは、有機水銀が脳に与えた影響によるものだと、はっきりしている。大脳皮質の感覚をつかさどる部分を損傷させた、中枢神経の障害。にもかかわらず、浴野成生・熊本大学教授が言うように、中枢神経である脳に障害を受けるたとき、患者本人が、自らの症状を自覚できない。そこが多くの誤解を生んできたという前半の展開は、説得力がある。患者への認定基準を広げない、それまでの誤謬を正そうとしない「国や県」への怒りは、あまりにもまっとうだ。
終盤に登場する『苦海浄土』の著者・石牟礼道子さんが言う「悶え神」という言葉は、深く届く。
水俣病の中心的な症状である「感覚障害」とは、うまいものを食っても味がわからず、性行為をしても何も感じないことだという。その、形にならない、辛さ、苦しさ。当事者の、寄り添う人たちの、切実な叫び。
それでも人々は自分の人生を、生きる。
喜びも、怒りも、どの感情も、自分のものとして手に入れてゆく。患者の方々の結婚や恋の話と、怒りが噴出する場面が交互に連続することに、この映画の6時間12分という長さが、必要な理由がある。原監督の怒りとユーモア、その二刀流なくして、この境地は得られなかっただろう。
『シアトルのフクシマ・サケ(仮)』、ツアー開始です。
まずは岡山公演。
12月5日(日)午後2:00開演 岡山市立市民文化ホール
ワンステージのみです。
ところで、この週末、岡山・天神山文化プラザで『春の遺伝子』という劇も上演されます。
この劇は、私も御縁のある河合穂高さんの戯曲作品で、関西から岡山にうつって活発に演劇活動をされている角ひろみさんが演出する、期待作です。
『春の遺伝子』は昨年の劇作家協会新人戯曲賞で、最後まで受賞作と競った、定評ある作品。私は、医学者でもある河合さんを、「演劇界の手塚治虫」と呼んでいます。
その河合さんが、今回の期せぬ「同時上演」について、以下のようなコメントを寄せてくださいました。
↓
明日の 14 時は市民文化ホールへ ! この週末は、にわかに岡山が演劇づいている !?
坂手さんは、岸田國士戯曲賞や読売演劇大賞を受賞した、あの「坂手洋二」 ですが、私にとっては『春の遺伝子』を発見してくださった恩師でもあり ます。2020 年の大阪つきいちリーディング以来の関係ですが、それ以 後、様々なアドバイスを頂き『春の遺伝子』ももちろんその薫陶を受けま した。
明日、14 時、市民文化ホールに坂手洋二さん率いる燐光群がやってきま す。不思議なご縁で同日公演となってしまいましたが、岡山でにわかに 起こった演劇祭のようです。新型コロナウイルスの影響で、すっかり聞かなくなってしまった演劇が、12 月 5 日だけは岡山で二つも上演される のです。
今回の『シアトルのフクシマ・サケ(仮)』の舞台は福島で、奇しくも『春の遺伝子』と原発問題で被る部分があります。しかし、そのアプローチは 全く異なり、その違いを楽しめるのも今回の醍醐味でしょう。私も明日は、本番を抜けて市民文化ホールに駆けつける予定です。
新たな変異株の蔓延が予感される中、束の間の小康状態にあるこのタイ ミングだからこそ、岡山ゆかりの作家の共演に浸る贅沢を、是非 !
河合穂高
『春の遺伝子』Webサイト
↓
https://tenplaza.info/event/detail.php?i=2184
『シアトルのフクシマ・サケ(仮)』
[ 岡 山 ]12月5日 (日) 岡山市立市民文化ホール
↓
http://rinkogun.com/Seattle_Okayama.html
劇場でお待ちしています。
左から、猪熊恒和、大西孝洋 撮影・古元道広
『シアトルのフクシマ・サケ(仮)』、残るツアーは以下の通りです。
[名古屋]12月8日 (水)・9日(木) 愛知県芸術劇場
[ 伊 丹 ]12月11日 (土) 〜13日 (月) AI・HALL
↓
http://rinkogun.com/index.html
映画『テレビで会えない芸人』を観る。
もともとテレビ版ができていて、その拡大版。
あらためて、素敵だ。
素敵すぎる。
松本ヒロさんと同時代を生きる幸せを、噛み締める。
私が明日小屋入りする、岡山市民文化ホールで、「憲法くん」としてのヒロさんが「憲法前文」全文を口にするだけで、涙、涙、である。
一昨年は演劇『憲法くん』の製作も快諾してくださったし、今年は『悪魔をやっつけろ』の第二部トークショーにも出演してくれた。感謝しかない。
Webサイト
↓
https://tv-aenai-geinin.jp
残念だ。
残念なことだらけ。
私なりには、いろいろなことをやってきたつもりだ。
社会に関わる中で、自分の問題以外に於いても、可視化できる方向にも、持ってきた。
しかし、なかなか、人間一人の思うことは、それぞれ違う。
さて。
あまり関わっていなかった演劇分野の某事案のやりとりに向かう。
疲れはするが、仕方がないとも思う。
それぞれが、必死なのかもしれない。
ただ、私が思うことは、そこに、ほんとうに、「演劇」はあるのか、ということ。