隣県育ちだからといって、広島のお好み焼きについいて、わかった気になってはいけない。
これは「府中焼き」というもので、表面が薄焼きタマゴではなく、露出した麺がやたらパリパリとしている。
府中は、広島の府中のことである。
世の中は多様である。
わかった気になってはいけないのだ。
隣県育ちだからといって、広島のお好み焼きについいて、わかった気になってはいけない。
これは「府中焼き」というもので、表面が薄焼きタマゴではなく、露出した麺がやたらパリパリとしている。
府中は、広島の府中のことである。
世の中は多様である。
わかった気になってはいけないのだ。
新年早々、某所で「この先行き止まり」の標識に出会う。
「行き止まり」の字が赤くなっている。
本気なのだ。
まったく、縁起が悪い。
もちろん、違う道を選んで、先へと進んだので、なんとか危機を脱したといえるのだろうか。
東横線から地下鉄副都心線に乗り変えて渋谷で降りずに新宿に向かった。メガステーションで乗り換えのため降りなくてすむのはありがたい。
副都心線の座席がやたら豪華になっていて驚いた。一人分ずつ区切ってあって肘掛けがあり、その肘掛けには一つ一つコンセント電源がついている。充電や電源を繋いでの作業ができるのだ。
時間がなく追い詰められて電車内でノートパソコンを開いた経験は私にもあるが、「電車内が一番仕事が捗る」という人もいると聞く。充電が切れるまで車内に居続けるという者がいたとして、彼らはこのコンセント付き座席の存在を知ったら一日じゅう乗りっぱなしで仕事場にしてしまうのではないか。それは人様に迷惑をかけるのでやらないでいただきたいのだが。
下北沢のスパイスカレー店「般゚若」へ、何年ぶりかで入る。
松尾貴史さんの店。
四国からの客人を案内して。
チキンとキーマのカレーをいただく。
私はふだんカレーを食べるとき、ご飯少しにカレールーを多めにいただくので、いつも、追加のルーかおかずがないと、ご飯が余ってしまう。他店で、もったいないので「ご飯少なめ」と注文すると、ルーまで少なくされた失敗例もあった。
「般゚若」では、ご飯は、まったく余らない。
私にとっては、ご飯とカレールーが、黄金比率なのだ。
そして、たいへん、おいしい。
なんだか、元気になる。
ありがたい。
新年早々のある夜、人と人を繋ぐ。
やりたいこと、先に繋げたいこと、それぞれの人の望みが噛み合うよう。
目の前の問題を解決すること、将来に向けてどう動いてゆくかということ。
一人では解決できないことが、場を変え、相手を変えることで、良い方向に展開してゆけるよう。
コロナ期を越えて、人と人を繋ぐ機会は増し、昔のように交流による解決の場が多く戻ってくるだろう。
初対面なのに初めて会ったような気がしないと言われる人と、こちらも久しぶりに密に話すという二人。
いろいろなことが、うまくいってほしい。
副産物として、多くの若い人たちのいる場にも行く。
未来を向くことの豊かさ、厳しさ。
私も前を向いてゆこう。
ヴィム・ベンダース監督の最新作、役所広司主演の『PERFECT DAYS』を、ようやく観る。
のっけから、クルマを走らせるシーンで、東京の高速道路を未来都市に見立てたタルコフスキーの『惑星ソラリス』が、頭を過ぎった。まあ、関係ないのであるが。
途中まで期待で胸を高まらせて、観た。
しかし,トイレ掃除の仕事の若い同僚が出てくるシーンから、ひっくりかえってしまった。若者たちが出るシーンはジャームッシュに撮ってほしかった気がする。
何度か挿入される、よくわからないモノクロの重ね映像は、不要な気がする。
ときどき面白い感じのセリフがあったりするが、物語の軸に触れるものではない。
同じ役所広司主演だから『素晴らしき世界』と比較する人も多いと思うし、じっさい、「何かしでかした人がこの境遇にいる」という結末近くの説明で似通ってしまったので「あらら」と思ってしまったが、まあ比べても仕方ないと思う。
あがた森魚さんのギター伴奏で石川さゆりさんの歌を聴く映画とは思わなかった。
田中泯さんにはもっと活躍してほしかった。
さいきん病いに向き合う役の多い三浦友和と主人公の「影踏み」も、気の効いたことをしているのはわかるが、幾らなんでもご都合だろう。
浅草の、駅の改札に近い地下街の焼きそばも出す居酒屋には、この映画の「聖地巡礼」のお客が押し寄せていたりするのだろうか。知らないけど。
下北沢をもっと写してほしかったが、それはこちらの勝手である。
基本は、渋谷のトイレの広報映画である。そう思うと、とてもよくできている、と思う。
ベンダース監督は、1990年頃に、某広告代理店主導でトヨタの広報のための短編映画を撮っていたはずである。その流れと関係あるのかどうか知らないが。そのトヨタの方のに関わっていた人と過去に微妙に接点があったことを思い出したが、まあそれはどうでもいい。
一九七〇年代後半、ベンダース監督の『さすらい』とヘルツォーク監督の『カスパー・ハウザーの謎』の二本を、ドイツ文化センターが無料で貸しだしてくれていた時期があって、岡山・倉敷の有志で、倉敷市民会館で上映会を企画したことがあるが、フィルムが届いて目の前にあるのに映写機が壊れていて観られなかったという事件がある。その二本は、後になって東京に出てきてからようやく観ることになるのだが、『さすらい』を観るまでには、その後十五年くらいかかったのではないか。
タイトルになっている『PERFECT DAYS』はルー・リードの曲だが、燐光群『屋根裏』のニューヨーク上演時に、ルー・リード氏本人が劇場まで観に来てくれたのには、ほんとうに驚いたことを憶えている。
正直に言えば、物語は不要だった気がする。とことん何も起きない映画にしてほしかった、と思う。
これだけ感想が出てくるのだから、やはり観るべき映画だったのである。
神田川沿いを歩いて井の頭公園まで。
人がほとんどいない。
それはそれで新鮮。
吉祥寺で一部劇団若手とご飯。
元旦から地震に驚いていたら、羽田の事故の報。
一人でも多くの方がご無事であることを祈ります。
思うことは山ほどですが、言葉になりません。
そんな正月二日でした。
『ガザとは何か』『なぜ日本は原発を止められないのか?』を全中高生の副読本にしてはどうかと、思っている。
新春の読書の課題としては、最適であろう。
なぜそう思うかって? それはご一読いただければわかると思う。
いや、わかっているつもりの大人こそ、読むべき本だろう。あまりにも多くの複雑な出来事が起きてきたのだ。茫然と見守ってきた歴史なのだ。
私も読後、あらためて謙虚な気持ちになった。
岡真理 著『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義 』(大和書房)は、大晦日の日付けで緊急出版された。より多くの若い人たちに、一刻も早く知ってほしいと思って記されている。「ガザで何が、なぜ起きているのか。歴史的文脈とポイントを平易に解説する、まずここからの一冊」と謳われている通り。
https://www.daiwashobo.co.jp/book/b10040675.html
青木美希著『なぜ日本は原発を止められないのか?』(文春新書)は、この十三年近くの「フクシマ後」の時間について、あらためて現在の目で、「忘却しないで」と強く訴えるメッセージと、現在形の問題意識が、満載されている。わかっているつもりの人もあらためて確かめるべきだし、やはりこちらも若い人たちに読んで欲しい。
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166614332