暑いですねえ。
余りの暑さに、仕事を放り出して、またまた『スカイ・キャロット』 (ラウンジ)に。
まあ、三茶まで出てくる道中も充分暑いんですけれども・・・
とにはさて置き、昼間からハイボールなど聞こし召して暑気払い。
全く我ながらいい気なもんだ。
この夏が過ぎないと本気で仕事に身が入らない。
とは言え、来週には新規の顧客訪問がある。準備も怠ってはならない。
そんなわけで真夏のぐうたらもそこそこに・・・
帰りは西友でおかずを買って帰ろう。
蒼天に緑揺らせる夏の息吹 素閑
暑いですねえ。
余りの暑さに、仕事を放り出して、またまた『スカイ・キャロット』 (ラウンジ)に。
まあ、三茶まで出てくる道中も充分暑いんですけれども・・・
とにはさて置き、昼間からハイボールなど聞こし召して暑気払い。
全く我ながらいい気なもんだ。
この夏が過ぎないと本気で仕事に身が入らない。
とは言え、来週には新規の顧客訪問がある。準備も怠ってはならない。
そんなわけで真夏のぐうたらもそこそこに・・・
帰りは西友でおかずを買って帰ろう。
蒼天に緑揺らせる夏の息吹 素閑
三連休最終日の海の日。
土曜日はかーたんが仕事だったし、昨日の日曜日は小学校の同窓会だったので、今日くらい二人で水入らずでのんびりしようということになった。
しかし、気の利いたところに行くにはお金が無い。しかも、今日はうだるような暑さだ。そこで、結局、三茶のキャロットタワーの26階のラウンジに涼みに行こうということになった。
現地に着くと、丁度、6人掛けのソファが空いていたので二人で占領。昼間からハイボール。かーたんはケーキセット。かーたんも最近は、大分いろいろなものが食べられるようになった。ただ、抗癌剤治療開始丁度一週間で、口内炎や、全身の痒みなど、副作用がそろそろ出てきた。
それから、西友に寄って、かーたんはサングラスを買った。この日差しでは、裸眼ではさぞ辛かろうて。
しかし、本当に日本の夏は暑い。ニュースによると東京地方は34.6℃まで上がったそうだ。昔、日本に赴任した外国人には「熱帯手当」が出たというのは本当の話だろうか?半分信じてしまう。
日盛りや八百屋の呼び声空元気 素閑
かーたんが主宰する音楽教室の発表会が7月3日にある。
その盛り花を手配するために下北沢の花屋さんに用事。
オカブも銀行で振り込みの用事があり、夕飯のおかずのお使いも兼ねてかーたんと出かけた。
途中通りかかった、アーケード街の居酒屋『三芳野』が珍しく閉まっていた。ここまで頑張ってきたが遂に立ち退くことになったのか?
野暮用はすぐ済み、暑いので、北口のセガフレード・カフェで一休み。
とにかく今日は蒸し暑い。
ビールを一杯ひっかける。
かーたんはここで昼食。紅茶とバニーニ。
ビールは甘露甘露。
かーたんは発表会が終わると抗癌剤治療が始まる。その方法も選ばなくてはならない。しかし、オカブはその話題を切り出すことが出来なかった。
かーたんとは、専らとりとめのないことを喋くる。エルさんの話題が中心だったかな。
一時間ほど暇をつぶして、オオゼキで、オカブにとっては今年初の鰹を買って、帰りに、王将の向かいの古着屋さんで、かーたんの夏物ドレス(古着)を買う。
かーたんの手術以来、初めての息抜きらしい息抜きだった。
汗拭い妻と街に出夏物買い 素閑
連休半ば。
かーたんと湯島聖堂、神田明神、湯島天神に行ってきた。
暑いほどの晴天。陽が眩しい。
下北沢より、小田急線・千代田線で新御茶ノ水まで。
歩いて湯島聖堂。
がらんとしていて、あまり見る物がない。
そこから歩いて神田明神へ。
まずは、門前の『天野屋』で甘酒を。
かーたんは冷やし甘酒、オカブは普通の熱い甘酒。
名物に旨いものなし?かな。
神田明神もちょっと大規模な普通の神社で、見るものなし。
そこから歩いて湯島天神へ。
きつい坂を上って神社に着く。
ここも見るものなし、だが本殿で結婚式をやっていた。
花嫁さんは文金高島田だが、日本髪ではないし、角隠しもしていない。ちょっと奇異な気がした。
ここでカメラのバッテリー切れ。ついていない。よって以降、画像なし。
上野に出て、『木曽路』で昼食。
なんとか弁当、2,000円也。美味かった。
上野に出て、銀座線・渋谷・代沢十字路経由でご帰館。
青白く舗道も燃ゆる五月の陽 素閑
かーたんの大腸癌が発見されて5日目。
東京医療センターの外来に行ってきた。
胃カメラの内視鏡検査を受けるためである。
一昨日はCTスキャンを受けてきた。これら一連の検査で、手術や、これからの治療戦略が決まるという。
検査結果は来週水曜に分かる。
大腸から転移していると、手術プラス抗がん剤治療になるらしい。
東京医療センターには桜の木があった。今はもう葉桜である。
しかし、今日はいい天気で麗らかな春爛漫だ。
散る桜来る年に咲け永久に咲け 素閑
花見に行ってきた。
もちろん、かーたんとである。
もちろん、北澤川緑道である。
来てみると、全体は五分咲き。七分咲き、八分咲きの木もある。
人通りはまだ少ない。ちょうど今週末が見ごろといったところか。
サミットで買ったビールと、ポテトサラダ、おからなどといったおつまみでせせらぎ公園にてささやかな花見の宴。
かーたんは食べられるものを、ということで焼きそば。
乱痴気騒ぎもなく至って静やかな花見だった。
花曇り犬とたわむる母娘 素閑
昨日は、寒に戻ったような寒さの上、夜になると凄まじい春の嵐だった。
そんな荒れた天気が嘘のように、今日はカラッと晴れた春のうららかな日。
渋谷に出かける用事があったが帰りは大橋から歩いて目黒天空庭園に寄ってきた。
池尻大橋の246沿いのスーパーのライフ・ストアの脇の階段から上がる。
天空に出てみると、風は強く冷たいが、青々とした空に春日がさんさんと注ぎ、実に爽快な気分だ。
スーパーで弁当でも買って、ここで食べていきたい気もするが、午後にも予定が入っているので、早々に退散する。
ところで、かーたんが鬱血性大腸炎というのに罹った。
先週、腹部の膨満感と腹痛がするので、近所の消化器科に行ったら、この病名を告げられ、内視鏡検査をすることになった。
その前日に下剤を飲んだら、酷い腹痛に襲われ、救急車で目黒の東京医療センターに運び込まれた。
その時は、点滴と鎮痛剤で応急措置をしてもらい、夜明けに帰宅したのだが、改めて、昨日、東京医療センターで受診し、来週、入院してCTと内視鏡検査をすることになった。鬱血性大腸炎の原因として大腸癌の可能性もあるという。しかし、二人とも不思議と精神的にそのことでは動揺しなかった。運を天に任すしかないというような生活を日頃しているからであろうか?
目黒天空庭園からの帰りは北澤川緑道を通ってきた。疎水の温もりが伝わってくるようで、まさに水温むである。
菜の花が一群れ咲いていた。山村暮鳥の詩を思い出した。
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
春光と昏き座敷の静けさや 素閑
朝、ビールを一杯飲んで、その後は野暮用を済まし、家でグダグダしていようと心に決めたのだが、昼近くになって、陽も顔を覗かせるようになったので、これはもったいないと、かーたんと示し合わせて、お弁当のサンドウィッチを作って、家を飛び出した。
最初に目指すのは豪徳寺である。若林に出て、国士館脇の烏山川緑道を歩く。春のような陽気だ。
豪徳寺は大谿山、曹洞宗の禅院である。この寺の名物と江戸大名・井伊直孝との来歴は余りにも有名で、ここにも何回か記したが、重複を怖れずに再記する。
井伊直孝一行がこの地で巻き狩りを楽しんでいると、一宇の荒れ寺の山門に差し掛かった。すると山門の前に一匹の猫がおり、直孝一行を招くようにおいでおいでをしている。不思議とも思ったが彼らが猫の招きに応じて山門に入ると、一天にわかに掻き曇って、今まで彼らが居た所に大落雷が落ちた。それを奇に想った直孝は寺を訪ね、和尚の法話を聞き、この寺に帰依することしきり、寄進するところのものも少なからず、遂には一門の菩提寺となした。
それまで赤貧洗うが如くだった荒れ寺はたちまち潤い、和尚はこの機縁となった白い猫の像を刻み招福の招き猫として檀家に頒布した。これが豪徳寺と招き猫の由来である。
境内は一日観光の人々、初詣の人々で賑わっていた。庫裏の前のベンチで昼食のサンドウィッチをかーたんと食べる。
井伊家の末裔、桜田門外の変で名高い、井伊直弼の墓は井伊家の墓所の外れにある。
豪徳寺をでて、世田谷線沿いに宮の坂駅に来た。ここで、先日、日経新聞に記事の出ていた、旧世田谷線車両を観る。
それから世田谷八幡宮。世田谷の一宮である。ここも初詣の人々で賑わっていた。
そして南に進みこれも曹洞宗の禅院、勝光院。青々とした竹藪が好ましい。ここには静寂があった。ほっとした。世田谷領主、吉良家の墓所を観た。由緒正しい宝篋印塔を中心に五輪塔などが建っているが荒れているので侘しい感じがした。
さらに上町にで、ここも曹洞宗の実相院。庭園が美しい。かーたんが空腹だというので、先ほどオオゼキで買ってきた、鶏の唐揚を食い、オカブは冷えたエールを飲む。いけない!『不許葷酒入山門』の碑が建っているにもかかわらず、酒を堂々と飲んでしまった!
ボロ市通に戻るすがら、赤い引き戸の浄光寺の門をくぐる。浄土宗である。ここには禅寺の人間臭さがない。何故か安らぐ。
ボロ市通で期待していた、大場代官屋敷と郷土資料館は祝日のため閉館していた。この公務員体質には違和感を覚える。
世田谷通りを進んで、故寺内大吉氏が住職だった大吉寺で旧友の墓を弔い、松陰神社に出た。
成人の日の晴れ着姿の若い女子で賑わっていた。
重い足をかーたんと引き吊り、若林経由で、4時前にご帰館。
帰宅して、湯に入り、熱燗と蕎麦の夕食を摂る。
蕎麦とは誠に微妙な食べ物だ。茹であがってから食うのに、早すぎてもいけないし、遅くてもいけない。蒸篭に上げて、ちょっと水気が引いたあたりが食いごろだ。ちょうど、猪口二杯ぐらいを、聞こし召した頃合いだ。ここで一気に食わなければならない。もたもたしていると蕎麦が伸びてしまう。
話は飛ぶが『アラビアのロレンス』の文中に、空腹のロレンス一行が羊の丸焼きをアラビアの族長たちと食う場面がある。その中でロレンスは「誰も口をきく者はいなかった。話すということは折角のご馳走に失礼にあたるからだ」と述べている。蕎麦にもこれが当てはまる。蕎麦を食う時は口を利いてはいけない。折角の蕎麦に失礼に当たるからだ。
だからオカブは蕎麦は家で食う時は独りで、蕎麦屋ののれんをくぐる時も独りで訪れることにしている。
今日は疲れた。予定していた、税務関係の仕事は明日に延ばして、寛ぐことにする。
藪入りという言葉のみ覚えたり 素閑
正月明け翌週の見事なまでの冬晴れの暖かな土曜日。
久方ぶりにのんびりとかーたんとお出かけをし、散策を楽しんだ。
しかし、お出かけと言っても、先ずは先立つものがない。交通費の電車賃150円も惜しい。そこで目的地は、我が家から徒歩で行ける、世田谷観音と世田谷公園にした。
世田谷観音は昨年の10月にも独りで徒歩で行ってきたが、かーたんが初めて行くことになるので、目的地に定めた。
先ずは三茶まで。246との三叉路を渡って、栄通を行く。途中フーディアムに寄って弁当の仕入れ。と言ってもダイエット中なのと金がないのとの都合に合わせて、2人でフライドチキンパック535円也を一つと、127円のサラダを二つずつ。まあ安い。
明薬のわきを通って、世田谷観音に。
ここは、 昭和26年に一人の僧侶が独力で建立した、非常に歴史の新しい寺。
特攻隊観音とか、不動堂とか、韋駄天堂とかがある。
本尊は聖観世音菩薩。本堂に本尊が安置されている。
特攻隊観音は大東亜戦争中に散華した特攻隊員はもちろん、終戦直後に満州でソ連機甲師団に体当たりを敢行した陸軍航空隊院の霊が祀られている。
不動堂は螺旋状の栄螺堂。
韋駄天堂は庫裏を兼ねた、三層の楼閣。
終戦間もない物資の乏しい時代だったろうに、創意に満ちた境内だ。
世田谷公園に行く道すがら、真言宗西澄寺があった。仁王山門の武家屋敷門が寺としては厳めしい。しかし東京の寺である。最初に広い墓地が目に入ってきた。しかし真言宗で西(最?)澄寺とは、面白い。
本堂の内陣が華やかだ。
世田谷公園に向かう。途中大時代な建物の酒屋さんがあったので思わずパチリ!
世田谷公園ではミニSLが走るのを観たり、噴水で写真を撮ったり。
小山に登って、頂上のタイムカプセルの脇で弁当を食べる。冷えたフライドチキンが物寂しい。
帰りは三茶に出て、西友で夕飯のおかずを買い込んで、3時過ぎにご帰館。お疲れ様でした。
意味もなく晴れ渡りたり冬の空 素閑
秋晴れの抜けるような天気の半日、世田谷観音と野沢の龍雲寺に行ってきた。もちろん徒歩のお散歩である。途中、喫茶店に寄ったり、飲み物を買ったり、ましてや飯を食いに飲食店に入ったりなどは決してしないので、一銭も遣うことはなく、極めて経済的な娯楽である。しかし、それはオカブの仕事が極めて暇で、稼ぎのほうも細々としたものであるという悲しい事実と表裏一体なのだが。
それはそれ、まずは三茶まで出る。246を渡り明薬通りに出、真っすぐ行って、左に折れると、世田谷観音はすぐだ。30分強の「旅」である。
世田谷観音の歴史が新しいことはこの区内に住む者の間では常識になっている。正しくは「世田谷山観音寺」。昭和26年に睦賢和尚によって創建された。本尊は聖観世音菩薩。その他にも旧国宝、現在の国指定重要文化財の不動明王と五童子の木像、都指定重要文化財の羅漢像などを蔵する。
しかし、そんな歴史の浅い寺とは思えないほど、こんもりとした林の中の堂宇は古色蒼然とし、落ち着いた佇まいだ。
ただ、堂の中には特攻観音などというものもある。もちろん太平洋戦争中に散った特攻隊の英霊の鎮魂のために祀ったものである。
不動堂は螺旋状の栄螺堂だ。小学生のころ会津若松に旅行に行き、そこの史跡に「栄螺堂」という建物があるのを思い出した。
韋駄天堂は高い櫓を乗せた三階建ての建物だ。
歴史が浅いといっても、これらの堂宇を創建した先人の創意には感服させられる。
続いて、環七のほうにしばらく歩き、野沢の龍雲寺に行った。
こちらは元禄12年、大慈妙応禅師の開山による。臨済宗妙心寺派。しかし伽藍はすべて鉄筋コンクリートで味気ない。禅寺の峻烈さがまったく感じられない。寺域の片隅に朽ちかけた往時の道標や墓塔を見つけてなぜかほっとした。
境内を一通り歩くが見るべきものは少ない。
なぜかとても疲れた。
三茶に取って返し、今日の夕飯の鍋の材料を西友で仕入れて、三時前に帰宅した。
どんぐりを踏みて拝する観世音 素閑